死んで霊界へきた人は初期の段階においては地上にいた時と少しも変わりません。

肉体を捨てた。ただそれだけのことです。

個性は少しも変わりません。

性格は全く一緒です。

習性も特性も性癖も個性も地上時代そのままです。

利己的な人は相変わらず利己的です。

貪欲な人は相変わらず貪欲です。

無知な人は相変わらず無知のままです。

悩みを抱いていた人は相変わらず悩んでいます。少なくとも、霊的覚醒が起きるまではそうです。



トランス状態で現れたシルバーバーチの祈りの言葉のはじめの部分です。 



神よ。

私たちは到達し得る限りの高く、尊く清きものとの調和を求めて祈りを捧げるものです。

私たちはあなたの中に完全なる愛と叡智の精髄と、宇宙の全生命活動を支配する永遠不滅の大精神の存在を確信いたしております。

小さき人間の精神では、あなたの全てをとらえることができません。

それゆえに人間が抱くあなたについての概念は、ことごとく真理の全体像のおぼろげな反応に過ぎないのでございます。

しかし、同時に私たちは全宇宙をその中に抱擁し、規律と普遍性を持って、過失も欠陥も汚損もなく、統括し支配している絶対的摂理の共有を理解することができます。

すなわち、あなたは、その叡智によって全存在の一つ一つの側面、

活動のひとつひとつが管理され、全てが1つのリズムのある調和のとれた宇宙機構の中で滞ることなく流動をしております。

その中にあって、あなたの子等は、それぞれの定められた位置を有し、全体に対して必須にして不可欠の役割を演じているのでございます。



この後は省略します。



巻頭言続き


どうか謙虚にそして畏敬の念を持って真理を迎えてやってください。

謙虚さと畏敬の念のある所には真理は喜んで訪れるでしょう。

そしてせっかく訪れてくれた真理が少しでも長居をしてくれるよう手厚くもてなしをあげて下さい。

真理こそがあなたに自信と確信と理解力とそしてなににもまして、永遠に失われる事のないかけがえのない霊的叡智をもたらしてくれることでしょう。


巻頭言より

頑固な心石ころのような精神では、真理の種子は芽を出しません。
受容性に富む魂を素直に受け入れ、それが導く所ならどこへでもついていける魂においてのみ花開くものです。
あなたがそのような気持ちになるまでには、つまり心理を魂の中核として受け入れる備えができるまでには、あなたはそのために用意される数々の人生経験を耐え忍ばなくてはなりません。

私は頑なで頑固だったので(今でも)
人生経験を耐え忍んできたな。な。


その霊力を枯渇させ麻痺させる。最たるものは心配の念です。
全幅の信頼ー盲目的な信仰ではなく、知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。
神の子である以上は自分の魂にも至聖所があり、そこに憩うことを忘れない限り、自分を焼き尽くす火も吹き倒す嵐も絶対に無いとの確信があるからです。
心配の念は全てにおいて光を遠ざけるそうです。

私は心配症なところがあるので気をつけないと、です。

常に上を見上げるのです。
うつむいてはなりません。
うなだれる必要はどこにもありません。
あなたの歩む道に生じる事のひとつひとつが、あなたとあなたと言う存在を構成していく縦糸であり横糸なのです。
これまでにあなたの本性の中に追い込まれたものは、全て神の用意された図案(パターン)に従って織られていることを確信なさることです。

基本的真理にしがみつくのです。
迷いの念の侵入を許してはなりません。
これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきた時は、ムキにならずに神の安らぎと力とか宿る魂の奥の間に引きこもることです。
そこに漂う、静寂と沈黙の中に、その時のあなたにとって必要なものを見出されることでしょう。
基本的真理をまず知ること!ですねキラキラ


皆さんもいつかは死ななくてはなりません。
霊の世界へ生まれるために死ななくてはなりません。
地上の人にとってはそれが悲しみの原因となる人がいますが、霊の世界の大勢のものにとってはそれは祝うべき慶事なのです。
要は視点の違いです。
私たちは永遠の霊的観点から眺め、
あなた方は地上的なつかの間の観点から眺めておられます。

一つ前の投稿の続きで、

シルバーバーチの言葉が続きます。


病気が治り、魂も目覚めるとして、治療の本来の意味が理解してもらえるのが最も望ましいことです。

次に、たとえ魂にまで手が届かなくても、病気だけでも治してあげると言う段階もあります。

さらに、もう一つの段階は、

たとえなら治らなくても、治療行為だけは施してあげると言う場合です。

要請された以上はそう努力しなければなりませんが、だと要請されなくても施すべき場合があります。

受けるよりは施す方が幸いです。

施した時点をもってあなたの責任は終わります。

そしてその時点から、それを受け入れた人の責任が始まります。