「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」解説

 

マルセイユとリヴァプール

 

第1章 白い港はカサブランカ?
第2章 「風立つカレン」の解析
第3章 「悲しきWhite Harbour Cafe」の分析
第4章 ビートルズともう1人のポール

 

 

「イエロー・サブマリン」(1966年)は、ビートルズの英盤シングルで唯一リンゴ・スターがリード・ボーカルを務めた曲でした。
「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」制作当時に折しも構想が具現化しつつあった「イエロー・サブマリン音頭」(1982年)のノベルティ路線をグッと我慢して、大滝詠一さんは“ビートルズ”をそっと潜ませた「白い港」を完成させました。

その「白い港」の特徴的なリズム・パターンには、フィル・スペクターの息がかかっています。
リズム・パターンの源流にあたる曲はトレジャーズの「ホールド・ミー・タイト」。
白い港」誕生の背景を知るには、『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』のような概観的な見渡し方が必要になりますので、ビートルズに縁のない方も今回はちょっとだけ気合を入れてお付き合い願います。

 

 

第4章 ビートルズともう1人のポール

 

リンゴ

ビートルズのデビュー盤、正確に言うと、ビートルズ初のイギリス版公式オリジナル・アルバムが「プリーズ・プリーズ・ミー( Please Please Me )」(1963年3月)です。

 

全英アルバムチャートで30週連続1位といういきなりの快挙を成し遂げました。
その後、「プリーズ・プリーズ・ミー」を抜いて1位になったのが、1963年11月の彼らの2作目「ウィズ・ザ・ビートルズ( With The Beatles )」でした。

 

「プリーズ・プリーズ・ミー」の5曲目の「ボーイズ( Boys )」は、アルバム中で唯一、リンゴ・スターがリード・ボーカルを務める曲です。
ドゥワップ・コーラスが耳目をひきますね。

 

ビートルズ 「ボーイズ」

 

それもそのはず、もともと「ボーイズ」は、シュレルズの有名曲「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」()のシングルのB面曲でした。
カヴァーする曲の目の付け所がシャープですね。

●シェレルズ 「ボーイズ」(1960年) (←クリックしてお聴きください)

 

「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」については、
当別館「カナリア諸島にて」の回
本宅「ガラス壜の中の船」の回
をそれぞれご覧ください。

 

ビートルズの快進撃を受けて、フィル・スペクターが1964年3月に放ったマニアックな怪作が、ボニー・ジョー・メイソン名義の「アイ・ラブ・ユー・リンゴ」でした。
実際に歌ったのは、後にソニー&シェールとして大活躍することになるアカデミー女優のシェールです。
ソニー&シェールの相方は、スペクター配下のソニー・ボノですね。

 

ボニー・ジョー・メイソン 「アイ・ラブ・ユー・リンゴ( Ringo, I Love You )」

 

この曲は、フィル・スペクターやピーター・アンダース(ピーター・アンドレオリ)、ヴィニ・ポンシア (ヴィンセント・ポンシア・ジュニア)、そしてヒル・アンド・レインジ社の重役ポール・ケイスらによる共作。

 

このうち、ピーター・アンダースとヴィニ・ポンシアは作家コンビの“アンダース&ポンシア”として知られる二人です。

 

時を同じくして、フィル・スペクターは、彼らふたりをトレジャーズなる名義のグループに仕立て、今度はビートルズの曲をカヴァーさせました。

 

曲はセカンド・アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中の「ホールド・ミー・タイト( Hold Me Tight )」。
ジャック・ニッチェによるアレンジ、ゴールドスター・スタジオでの録音という正真正銘のスペクター・サウンドです。
ドゥワップの要素も取り込んでキャッチーな仕上がりになっていますね。
曲は、動画の1:30から始まります。

 

トレジャーズ 「ホールド・ミー・タイト」

 

ところが、これ、フィレス・レーベルからではなく、スペクターの姉の名前にちなんだサブ・レーベルのシャーリー(Shirley)・レーベル からリリースされたのです。

このことで、’60年代半ばに大滝さんがリアルタイムでこの曲(このバージョン)にふれた可能性は、俄然、低くなったと思うのです…。
白い港」の基本リズムに引用されたトレジャーズ版「ホールド・ミー・タイト」に、大滝さんはいつ出会ったのでしょうか。
 

 

ポール

フィル・スペクターがトレジャーズ名義の架空グループにカヴァーさせたのが、アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中の一曲、「ホールド・ミー・タイト」。
 

いわゆるレノン=マッカートニー・ブランドのクレジットになっていますが、実際はポール・マッカートニー作の楽曲のようです。
1作目「プリーズ・プリーズ・ミー」のセッション時に録音されながら、収録は2作目の方に回りました。

 

ビートルズ 「ホールド・ミー・タイト」
 

ポール自身のこの曲への評価は高くなく、アルバムの中の埋め草として作った…というような記憶らしいのですね。

 

 

ジョン と ジョージ

大滝詠一さんの「白い港」のイントロにビートルズの楽曲のフレーズが引用されているのかな? と一瞬思わせる曲もあります。

 

ビートルズ 「クライ・フォー・ア・シャドウ( Cry For A Shadow )」 
 

率直にいえば、「白い港」とは“近からず遠からず”といった感じですね。

 

「クライ・フォー・ア・シャドウ」は、ビートルズで唯一のジョージ・ハリスンとジョン・レノンの共作曲で、活動初期の1961年に録音されたものです。

 

イントロといえば、前出のトレジャーズ版の「ホールド・ミー・タイト」の前奏と同じなのが、前述の作家チーム、アンダース&ポンシアらが組んだマルベリー・フルーツ・バンドの「ジ・オーディション」というインスト曲です。
テンポを2倍に引き延ばすと、似ているのが分かります(笑)
レア音源ですが、アンダース&ポンシアの「ポップ・ワークス」なる編集版2枚組CDでも聴くことができます。
1990年代には日本でもソフトロック・ブームがあり、その恩恵ともいえるかもしれません。

 

マルベリー・フルーツ・バンド 「ジ・オーディション」(1967年)

 

曲の本編は0:35から始まります。
何やら、大滝さんの「土曜の夜の恋人に」(♪ バーバーバー 馬場こずえの~)や「月曜の夜の恋人に」(♪ ゴーゴーゴー オータキエーイチ~)に聞こえなくもない…(笑)。
 

 

もう1人のポール

1981年の『サウンドレコパル』の企画「私の100枚」の中で大滝さんは、アルバム「ポール・アンカ・シング・ヒズ・ビッグ15」を挙げ、こう述べています。
 

日本でロック・ポップスというと この人の音楽をいうみたいです。

 

また、2012年9月放送の『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート2』の第5夜で大滝さんは、こんな趣旨で解説しました。

 

いわく…。

 

1956年に始まったロックンロール時代は早々に1959年に幕を閉じようとしていた。
ロックンローラーが抗えなかったのは、'60年代ポップスの到来。

その原点とは…。
ポール・アンカの「ダイアナ」であり、
その陰にいたプロデューサーのドン・コスタであり、
「ダイアナ」のギターを担当したアル・カイオラだった…。
 

 

ポール・アンカ 「ダイアナ」(1957年)

 

大滝さんの「白い港」のイントロで演奏されるギターのフレーズは、「ダイアナ」の前奏を引用しているのだと思います

 

 

大滝詠一 「白い港」

 

「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX」収録のセッション音源 “風立つカレン「白い港 (Take 2)」” を聴くと、イントロのギターのフレーズが少しだけ違っていて半拍分早く下降するので、「ダイアナ」と「白い港」のイントロの相似性がより実感しやすいです。

 

「ダイアナ」のギターを担当したアル・カイオラは、前回の 続「オリーブの午后」篇 に引き続き、なんと今回も登場です。

 

「ダイアナ」で聴かれる彼のギターのフレーズについて、大滝さんは『アメリカン・ポップス伝』の中で
♪ トゥンクク ランカン トゥンクン ランタン(←早口で歌ってください)
と軽妙に口真似しながら、その後の様々な曲でもアル・カイオラがそのフレーズを弾きまくった…と語っています。

 

♪ トゥンクク ランカン トゥンクン ランタン」を“弾きまくった”例を、他の歌手で挙げると果てしなく切りがないので、ポール・アンカーのナンバーから紹介しますと…。

 

「四月のラブレター」のリフを感じさせるこの曲。

●Paul Anka 「 Just Young 」 (←クリックしてお聴きください)

 

イントロが美しいこの曲。

●Paul Anka 「 My Home Town 」(←クリックしてお聴きください)

 

♪ トゥンクク ランカン トゥンクン ランタン」。
これを大滝さんは、松田聖子の「風立ちぬ」ではオルガンに弾かせています。
動画の1:48~のサビのバックを、ボリュームを上げてお聴きください。

●松田聖子 「風立ちぬ」(←クリックしてお聴きください)

 

そして。
1986年の『新春放談』で大滝さんは、こうも語っていました。

 

日本人にとってのロックの父は(チャック・ベリーではなく)「ダイアナ」、ポール・アンカだってこと。
エルヴィス・プレスリーですらなくて、ポール・アンカなんだよ。
♪ C / Am / F / G 」なのよ、どこまで行っても。

 

 

♪ C / Am / F / G 」の循環コードを延々と繰り返す「悲しきWhite Harbour Cafe」から転生した「白い港」のイントロで、「ダイアナ」が登場するのは不思議なことではないのですね。

 

それでも、今さら(と言っても40年前ですが)ポール・アンカの「ダイアナ」はないんじゃない?と思われる方に…。

 

たとえば、「ロング・バケイション」の「我が心のピンボール」の前奏のギターの跳ね上がるフレーズで大滝さんは、コニー・フランシスやニール・セダカの有名曲、「ステューピッド・キューピッド」のヒーカップ唱法のメロディを少し変えて、堂々と引用したりしている前例もあるのです。

 

●コニー・フランシス 「間抜けなキューピッド( Stupid Cupid )」(1958年)(←クリックしてお聴きください)

●大滝詠一 「我が心のピンボール」 (←クリックしてお聴きください)

 

「我が心のピンボール」の動画の0:09~の部分ですね…。

「ステューピッド・キューピッド」の動画の歌いだしや、0:20~、0:42~などの部分の跳ね上がりを模しています。

 

ナイアガラ楽曲には元ネタの引き方がいろいろありますが、あまりにも超有名な曲をちょっとだけ変えて明確にポン…、というケースもあるのですね。

 

という訳で、大滝さんがこんな趣旨の話を語っていたのを思い出します。
 

エルヴィスとビートルズに共通するのは、その原点をすごく明確に示したということ。
自分たちからスタートしたのではなく、以前の歴史を受け継いで発展させたんだということがわかる。

 

ところで。
“ポール・アンカ”は、山下敬二郎が「ダイアナ」をロカビリー解釈で歌った時代だけでなく、その後の日本で受け入れられ土着化していったのだと思います。

●Paul Anka「I Don't Like To Sleep Alone」(1975年)(←クリックしてお聴きください)
 

ジミー・ハスケルのアレンジが素晴らしいこの曲などは、「大阪で生まれた女」(1979年)の下敷きにされているのでは…、と思うのです。

 

 

フィル・スペクター

大滝さんが前掲のトレジャーズ版「ホールド・ミー・タイト」(1963〜65年)にふれたのは、後年になってからのことだったのかもしれません。
 

1970年代半ばになってから、シリーズものの一環として「PHIL SPECTOR WALL OF SOUND VOL.5」、「PHIL SPECTOR WALL OF SOUND VOL.6」なる2枚が発売されました。
未発表音源やフィレス・レコードのサブ・レーベルからの音源を集めたファン感涙の内容だったのですね。

 

これ、音壁ファンから「レアマスターズ」と呼ばれているアルバムです。
大滝さんも「レアマスターズ」に歓喜し、虜になったものと思われます。

 

トレジャーズ版「ホールド・ミー・タイト」は「レアマスターズ」の中でも、ひときわキャッチーな楽曲でした。

 

大滝ファンの音楽家・カンケさんのファーストアルバム「HOMMAGE(オマージュ)」も、「レアマスターズ」に寄せたジャケットデザインになっていますね。

 

たとえば、「レアマスターズ2」の1曲目、ロネッツの「エブリシング・アンダー・ザ・サン」。
ウォーカー・ブラザーズやジャッキー・デシャノンが歌ったバージョンを遥かに凌駕する出来で、圧倒的な迫力です。

●The Ronettes 「 Everything Under the Sun 」 (←クリックしてお聴きください)

 

この「レアマスターズ」の衝撃に影響を受けた作品やカヴァーも散見されます。
 

●高橋ひろ「君じゃなけりゃ意味ないね」(←クリックしてお聴きください)

 

 

●須藤薫 「恋のマニュアル・ブック」(←クリックしてお聴きください)

 

 

山下達郎 「This Could Be The Night」(1978年)

 

 

大滝詠一

フィル・スペクターの「レアマスターズ」の中のキャッチーな要素を自作曲にも取り入れたい…、そんな願望が大滝さんに沸き起こったのではないかと、なんだか想像がつきます。

 

山下達郎さんが「レアマスターズ」から「This Could Be The Night」を最新のサウンドでカヴァーしたことも、大滝さんの心に火をつけたでしょう。

 

「ロング・バケイション」では「悲しきWhite Harbour Cafe」の採用を慎重を期して見送り、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」の「白い港」で満を持してトレジャーズ版「ホールド・ミー・タイト」のリズム・パターンを投入したのでしょう。
 

「レアマスターズ」に限らず、フィル・スペクターの“後期ワークス”も、大滝さんに影響を与えたように思います。

 

たとえば、「白い港」に通じる音の厚さで構築された、太田裕美の「恋のハーフムーン」。

 

太田裕美 「恋のハーフムーン」

 

この曲は、ソニー・チャールズ( Sonny Charles And The Checkmates Ltd )の「ブラック・パール」を下敷きにしていると思います。

 

ソニー・チャールズ 「ブラック・パール( Black Pearl )」(1969年) 

 

『新春放談』でもかかったこの曲の動画の0:300:40でオケの中低音全体が階段状に下がるところは、「恋のハーフムーン」の動画の0:27~の「♪ 星ふる夜には~」のバックでオケの低音が下がっていくところに用いられていると思います。
 

また、「ブラック・パール」の動画の0:03~や0:09~で入るリフは、「恋のハーフムーン」の1:03~で12弦ギターが弾くリフのヒントになっていると思うのです。
 

 

さて、ここで、“後期”から“前期”へ時間を戻して、1963年からスタートします。


冒頭の『リンゴの項』でふれたアンダース&ポンシアは、1963年にスペクターの下で「 Do I Love You 」や「 Breakin' Up 」などをロネッツへ提供しました。
 

彼らがガーネット・ミムズへ提供した「One Woman Man」は、布谷文夫さんの「悲しき夏バテ」(1973年)に収録の「夏バテ」(作詞:布谷文夫、編曲:多羅尾伴内)に姿を変えています。
アンダース&ポンシアもビックリですね。

 

1976年の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「'60年代後半のさわやかサウンド」すなわちソフトロックの特集では、彼らに関わるトレイドウインズとイノセンスの曲がかかりました。

 

「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」と同じ年、1982年には日本独自企画としてアルバム、「アンダース・アンド・ポンシア・レアリティーズ」が発売されました。
裏ジャケットの英文推薦文を“EIICHI OHTAKI”として、大滝さんが寄せています。

 

一方、大滝さんはポール・アンカのベスト盤の監修も手掛けていました。

「大瀧詠一監修:オリジナル・ポール・アンカ・コレクションVOL.1」と同「VOL.2」がそれで、解説文はかまち潤氏が担当。

 

CBSソニーからの発売なので、“名前だけ…”だったのか、あるいは積極的に選曲などにもかかわったのかは不明です。

 

アンダース&ポンシアについて、時を早送りしてまとめると以下のような感じになり…。

 

'60年にヴァイデルズの主要メンバーとしてホワイト・ドゥワップの名曲「Mr.Lonely」をヒットさせデビューし、
'60年代前半はスペクターと組んでウォール・オブ・サウンドの曲を送り出しつつ、
'60年代半ばにはビートルズの曲をホワイト・ドゥワップ要素も加味してカヴァーし、
'60年代後半はトレイドウインズとしてソフトロックの担い手に。

 

大滝さんの「白い港」のイメージの基はその辺りの流れをふまえたもので、そこへ'60年代ポップスの源流の分水嶺にあったといえる「ダイアナ」をイントロに据えた、と…。
 

ここで、『アメリカン・ポップス伝』の大滝さんの言葉の反芻です。
 

1956年に始まったロックンロール時代は早々に1959年に幕を閉じようとしていた。
ロックンローラーが抗えなかったのは、'60年代ポップスの到来。
 

なお、これはアメリカの話であり、大滝さんによれば、エルヴィスが徴兵で表舞台から抜けた影響も大きかったのだとか…。
大滝さんは、そして、こう続けたのですね。
 

しかし、このロックンロールの流れを(途切れさせることなく)、受け継いだ国があったんですね。
それがイギリスです。
ただし、アメリカの人は1964年のお正月までこのことは知らなかったのです

 

『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート2』は、ここで終わっています。
『パート3』以降でも、“その先”についてはまだ語られなかったのです。

 

1964年の年明けに何があったのか…。
それは、次回の“肝”になるお話です。

 

私はここで、「白い港」の歌詞の一節を思い出します。

♪ ぼくはふとっ 眼を~ふせ~ながーら うで時計巻ーいたー

次回は“時間”の流れを気にかけつつビートルズを織り交ぜ、いよいよ「ハートじかけのオレンジ」完結篇へ参りたいと思います。

 

今回も長編をご精読いただき、ありがとうございました。