毘沙門天(多聞天)について | 雑文・ザンスのブログ

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「・毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ(またはヴァイシュラマナ)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。多聞天または北方天とも呼ばれる。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。仏教では、主にヴァイシュラヴァナで知られ、漢訳の際にヴァイシュラヴァナを意訳した名前が多聞天で、ヴァイシュラヴァナを音写した名前が毘沙門天である。北方の守護を担う。

 

日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。」(以上、Wikipedia)

 

・宮崎市定氏の「中国文明論集」(岩波文庫。pp.176-218)に「毘沙門天信仰の東漸について」という考察がおさめられている。つまり、もともとはイランの神、ミトラ(Mithra)に由来するのはないかと推測する。ペルシャでは、拝火教による日の神であり、同時に勝利の神である・。遊牧民の社会においても勝利の後に来るものは、人畜財宝の略奪であり、統一された国家組織の下においても将士が攻城野戦の労に酬いられるのは官爵であり賞賜である。・・その他、中国については様々な文献を駆使して分析がなされている。また、日本については、鞍馬の「天狗」は毘沙門天の部下の軍隊、天兵を指す「天供」のことであろう・・とも説明がある。もうひとつ毘沙門天の霊地として有名な志貴山については、城楼上に城郭保護のためにおかれたことにはじまるようだとしている。

 

・日本で、「国宝」に指定されている「四天王」の彫刻は10セット「4体で1点」として国宝登録がされている・。すなわち、教王護国寺(東寺)講堂(木像)浄瑠璃寺(京都)(木像)興福寺(奈良)中金堂(木像)東金堂(木像)北円堂(木芯乾漆)南円堂(木像)唐招提寺(奈良)金堂(木像)法隆寺(奈良)金堂(木像)東大寺(奈良)戒壇堂(塑像)東大寺・法華堂(乾漆)

なお浄瑠璃寺の「多聞天」は現在、東博の「京都南山城の仏像」展で展示中。↓(展示会パンフレット)。

 

 

・また、単独で毘沙門天として国宝指定されているものもあるが、その場合は、吉祥天など他の像と「あわせて1点」として国宝登録されている場合が多い。全部で4点ある。東寺の兜跋毘沙門天立像(木像)は単独指定。昔、京の羅生門の上にあったとか。他には、毘沙門天・吉祥天・善膩師童子立像(鞍馬寺)が「あわせて1点」。毘沙門天・吉祥天立像(法隆寺金堂/奈良)も「あわせて1点」。運慶作の仏像 5躯(うち1体が毘沙門天立像) 附 五輪塔形木札 4枚が「あわせて1点」で、指定。

 

・東大寺の戒壇堂は修理中でそれまで四天王像は東大寺ミュージアムに展示されていたが、戒壇堂に移されたようだ。(いちおうミュージアムで見た・・)

 

・まだ見てない像は、下線が付いたもの。意外と見てるかも・・。鞍馬寺に行かなくちゃ・・。南円堂はご開帳は年一回。「ついで」があればいいのだが・・。追記すると、鞍馬寺は。下記のように2023年11月に訪問した。なので、残るは興福寺の南円堂のみ。