「ちいさなハーモニー」
どひたかこです。
「不登校・登校しぶり」についての4回目です。
1回目
2回目
3回目
不登校になった時に、まず見直したい事として、4つ
①その子の心の中に、家庭・家族から満たされるべきものが満タンになっているか?
②学級担任とその子の間に、安心感を得られる繋がりがあるか?
③学級の友達とその子の間に、仲間意識が生まれているかどうか?
④どうしても身体と心が動きにくい症状を起こしている原因として、
病気や栄養状態が考えられないか?
今回は、「③学級の友達とその子の間に、仲間意識が生まれているかどうか?」について
マズローの5段階欲求から考えると、
学校での生活が「安心、安全である」と子どもが認識するのには、
「仲間である」と思える友達がいることが絶対なのです。
太古の昔の人は、どうやって命を守ってきたのでしょう。
周りには動物がいっぱい。猛獣もいます。
一つ間違えれば、自分が食べられます。
闘います?ライオンと。
「勝てそうな気がします!」という方のいるかも知れませんが、稀ですよね。(笑)
それで、人間はどうやって生きていく方法を見つけたかというと、
集団で協力しながら生活することです。
1対1では、ライオンやクマに勝てなくても、
集団で力を合わせたら、勝つチャンスは大いにあります。
そのように、仲間をつくって生き延びてきたのです。
だから、「仲間である」という認識は、脳から考えてもものすごい大きなことなのです。
「仲間のために頑張ろう」「仲間と一緒にやっていこう」
と考えるのは、人間の脳として大事なのです。
仲間であると認識していない場合は、モノと認識するということです。
同じクラスの友達であっても、「この人は仲間である」と認識していなければ、
モノと同じ扱いをするということです。
では、どのようにすると「この人達は、仲間だな」と認識できるのでしょう?
それは、小さな共有から芽生えるのです。
授業中に、自分の意見を発表して共有する。
これももちろん良いのですが、
もっともっと日常のちー--っちゃなことの共有。
「今日は、めっちゃ暑いね。帰ったらアイス食べたいね。」
「好きなアイスって何?」
「俺、ガリガリ君!」
「そうなん何味が好き?」 みたいな。
「昨日、晩御飯がカレーやってんよ。」
「え?今日の給食もカレーやで!」
「え?マジで!まぁええわ。カレー好きやしな。」
「カレーやったら毎日でもええな。」 とか。
こんな自然でちっちゃな共有が生まれるように、
担任の先生が意識してそういう場をつくると、
自然に子ども達は共有します。
いい事ばかり話す必要はない。
頑張ったことばかり話す必要もない。
かっこ悪いことまで共有できるようになったら、すごいですよね。
失敗しちゃったことを話した時、優しい笑顔が生まれて、
「私もそんなことあったよ。」と逆に共有してくれる友達が一人でもいたら、
素晴らしいですよね。
そんな友達同士は、「仲間」です。
安心感半端ないですよ
「ちいさなハーモニー」