奈良へ2泊3日で行ってきたので、ご紹介します~~
奈良へ行ったのは、中学の修学旅行以来です。
初日に行ったのは、法隆寺です
鮮やかな供え物が並ぶ聖霊院で=2020年3月22日、
奈良県斑鳩町、岡田匠撮影
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西院伽藍
南大門(室町時代) 永亨10年(1438年)に再建
五重塔 中門
中門 (通り抜けはできません)伽藍には左側入口から
中門の金剛力士像
【吽形】向かって左
【阿形】向かって右
仏教界では、「あ」は万物の始まりを、「うん」は万物の終わり
を表しています。これは、口を開いて一番最初に出てくる音が
「あ」、最後に出てくる音が「ん」であることが由来とされています。
次第に、対となる物に対して、「あ」と「うん」が使われるよう
になり阿形・吽形という金剛力士像が誕生しました。
また、ひらがなの五十音が「あ」で始まり「ん」で終わるのも、
これと無関係ではありません。
五重塔(飛鳥時代)わが国最古 高さ:32.5m(基壇上より)
塔・・・ストゥーバともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのもの(パンフから)
法隆寺は奈良県生駒郡にある寺院で、1300年以上昔に造ら
れました。五重塔を含むいくつかの建物は、現存する世界
最古の木造建築で、日本で初めて登録された世界遺産です。
実は1000年以上昔の木造建築は世界の中でも日本にしか
ありません。
仏教寺院の建築技術は6世紀後半、仏教とともに朝鮮半島から
伝わったといわれていますが、五重塔に使われている技術は、
朝鮮半島にも中国大陸にもない日本独自のものです。総重量
1200トンを、いったいどのような技術で安定化させているの
でしょう?
実は心柱の周囲は吹き抜けになっていて、階段すらなく、各階
の庇とは直接つながっていません。心柱が他の構造と接して
いるのは屋根の部分だけです。心柱はただ地面から立っている
だけで、庇自体の重量を支えているのは心柱とは別の16本の柱
なのです。しかも、ある階の庇は下の階の庇に間接的に乗って
いるだけで、構造は階ごとに独立しています。
つまり法隆寺の五重塔は、実は全体的にユルユルの構造なのです。
大講堂(平安時代)
925年に落雷により焼失 990年に再建(パンフから)
大講堂の左右にある廻廊 エンタシスの柱
金堂
金堂の仏像
釈迦三尊像(推定623年) 薬師如来像(607年) 阿弥陀三尊像(鎌倉時代)
天蓋飛天(天人と鳳凰が飛び交う) 毘沙門天・吉祥天像 四天王(白鳳時代)
釈迦三尊像 11/1~11/3 公開
昭和24年(1949)1月26日、不慮の火災により金堂壁画
が焼損 この写真ガラス原板は焼損前の金堂壁画の姿を
伝える貴重な資料となり、平成27年(2015)には国の
重要文化財に指定されています。
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寺は将来の通年公開に向けた調査と研究を続ける中で、
3年前から期間を限定して秋に壁画を公開してきました
が、4回目となる今回は初めて春に公開することにしました。
公開日は、来月11日から14日、17日から19日、それに
23日から26日のあわせて11日間で、寺では壁画への影響
を考えて収蔵庫に入る人数は1日あたり最大80人としています。
参加するには、3日から始まったクラウドファンディングで寄付
をする必要があり、寄付はひと口1万円からとなっています。
04月03日 16時15分
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鏡池
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百済観音像の水瓶に似ているかも
聖霊院
僧房:僧侶の住居が鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともない、
聖徳太子の立像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造。
(パンフから)
こちらで、御朱印をいただきました
馬舎
大宝蔵院
飛鳥時代からの宝物 1400年に及ぶ法隆寺の信仰
の遺産 平成10年に落成した院 (パンフから)
百済観音像、夢違観音像、玉虫厨子(飛鳥時代)、
橘夫人厨子、百万塔、九面観音像、金堂障壁画など
多数を安置
特に有名なのは「玉虫厨子(たまむしのずし)」と
「百済(くだら)観音像」の二つの国宝でしょう。
百済観音像は、高さ209.4cmのスラリとした観音菩薩像です。
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玉虫厨子(飛鳥時代)推古天皇御所持の仏殿(パンフから)
(法隆寺玉虫厨子、木製、高さ232.7cm)
(パンフから)
2m以上ある長身。左手に水瓶を持ち、優美で慈悲深い表情のお姿。
(パンフから)
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,
続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々
招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,
日本に仏教を伝えたことで知られております。
百済から伝えられた仏像は、蘇我稲目に与えられ、蘇我氏
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