まつPONの「hanaと共に生きる」 -6ページ目

まつPONの「hanaと共に生きる」

中の人の職業観、人生観の変遷が垣間見れます。

今日、夕方に商談を終え、大崎駅から川越方面行きの埼京線に乗った。18時前のラッシュアワー。

ここで信じられない光景を目撃した。


恵比寿、渋谷、新宿と停車する度の、乗降客の怒涛のようなわれ先の乗り降り、女性客の悲鳴、男性客の怒号。

駅間の駅員の無機質なアナウンスは中学生に言い聞かせるような内容。乗客たちの顔は一様にこわばり、

ため息、苛立ちのオーラ、まさに一触即発。


この時間帯の電車に乗る機会がほとんど無くなってしまったため、免疫がないこともあるのだろうが、

5年も前には考えられなかった状況。日本もここまで来たかと思うとぞっとした。


焦り、苛立ち、不安と言った負の感情の常態化は、花き業界に限ったことではない。

もはや我が国民全体の中に常態化してしまっているように思える。

この鬱屈がはちきれた時に、凄惨な事件などの現象となって発露するのだろう。



今こそ花屋の出番だ。



花を売る前に、店頭の花を眺めているお客さんの心に、気持ちの良いあいさつをしよう。

お金を頂く前に、お客さんの心から嬉しそうな表情を思う存分頂こう。

一日の売上を勘定する前に、一日にどれだけの人たちに感動を差し上げたか数えよう。


今、世の中が花屋さんに求めているのは、そんな価値だと思う。

先日、J○MAのイベントで、ド○ツの大手の花屋の社長と会った。弱冠37歳。

前職は経営コン★ルで、8年前にこの会社にきて、この6年ほどで200店舗のチェーンに伸ばしたのだとか。

以前にこんなエントリ を書いたが、まさにこういう人のことだ。


色々とテクニカルな話も聞いたが、要は成功への青写真を描き、それに対して地道なプロセスを踏んで

行くという、気持ちだとか信念、それから仮説→実行→修正を繰り返す体力、そんなところに肝を感じた。

お客さんが求めているものを探り、それを調達して納品するという行為はアクロバットではなく滝行のようなもの。

それが出来るかどうか、また仲間にもそれをやりたいと思わせられるかどうか、そこに全神経を注ぐ。

印象深かったのは「現在あるいはどこかのタイミングで、流行を作ったり発信したいと思うか?」という問いに、

「No!」と強く明確に言っていたということでした。

成功のためのウルトラCを模索するのではなく、今踏み出す一歩と目指す理想の距離感と難易度を常に正確に

把握すること、鵜の目鷹の目の市場ならいざ知らず、この市場ではそうした基本こそ重要なのでしょう。


ところで花の中お○し会社の全国組織?というのがあるらしく、昨日はその総会だったようです。

社長さんたちが全国から集まって何かするという、古き良きものです。

面白かったのは、その場で「二ちゃんneル」における業界スレッドの話題が出たのだとか。

還暦前後の社長たちの年に一度の集まりにおいて、身近な話題としてこれが登場する時代なのですね。


で、早速見てみた。


まぁ正直ガッカリである。当然、ごくごく一部の方々によるお遊びなのだろうが、皆が皆、第三者目線で

世の中や特定の誰かについて批判的なコメントを寄せている。愛すべき花○界の人間の姿とは程遠い。


怒りだとかやるせない気持ちは人間だれしも抱く当然の感情で、そういう負の感情からもパワーは生まれる。

そのパワーをより負の方向へ向けるのか、自らを成長させる正の方向へ向けるのか。

難易は別にしても、得られる結果がどのようになるのかは火を見るより明らかである。


いいからやれ!と自分を叱咤する今日この頃です。


※なんとちょうど1年前にこんなエントリ が!ブレなくPASSIONを持っているすごい人です。

○エピソード1


利益は出させてくれないし面倒だけど、見た目の売上になるのでお付き合いしてきた某大手。

余りにこちらをナイガシロにした態度を取るので担当者を呼んで喝を入れたら泣いてしまった。


本当に申し訳ないことをしてしまった。


あなたという個人が悪いわけでは無いのだよ。あなたの属している企業が悪いのだ。



○エピソード2


何年か振りにセリ場に行った。仕入担当のい○船が「この現状を見て下さい!」とわざわざ電話をよこしたのだ。


大体想像はついていたが、目を覆いたくなる状況があった。

ほとんど叩き売り状態。我々の仕入れ想定価格の5分の1、10分の1で、それでも誰もボタンは押さない。


いつまでこんなことやってるんだ、この市場は。あのセリ場は花の価値を明らかに落としている。

「安くてもたくさんのセリ人に知ってもらえる宣伝効果」なんかありえない。

セリなんかに大切な品物を出しては駄目ですよと、声を大にして言いたい。

もしこの価格でペイするなら、注文価格のほうがぼったくり。両方のバランスで・・・、というのは幻想。


この業界の未来を案じながら現場に戻ると、セリが安くて大喜びしている人たちがいた。


ほとんど同じ話題 、前にも書いたな~。

農業生産者は神だと思うし、実際、色んなところでそういう話をします。


まぁ、「神」という表現には信仰的な要素も強く、必ずしも適切ではないのでしょうが、

太陽や土と会話し、生命の源である種から生命を引き出し、水という活力を与え育てる、

その全てはこの地球を誕生させた神のした作業と同じことをしていると思えてなりません。


しかし、今日、同世代の生産者の方と話していて、さらにそれだけではないのだと感じた。


生命を育てるだけでなく、その収穫物に自らの名を冠し、販売することで生活し、家族を養う。

多くの場合においては、販売に直接関わることはなく、かなりの部分は第三者に委ねられる。

しかしその過程においては、例えば顧客とのやり取りなど気を遣うことも多い。

だけでなく、俗世に生きる者たちの自堕落な生活態度が生んだ膨大なツケのしわ寄せは、

俗世間の人々と同等またはそれ以上に被ることになってしまう不条理。即ち環境問題、原油高騰。


それなのに、彼らはあらゆる痛みや怒りの矛先を、最終的には自己に向け、内省することに解を求める。

自分のやり方、生き方を、その都度、これで本当に良いのか、いやこのままでは駄目ではないのかと、

日々、仮説、検証、自己否定の繰り返し。のみならず、後代の未来までに視野を拡げる。究極の哲学。

これは先人たちから脈々と引き継がれた哲人としてのDNAの為せる業なのだろう。


私は彼らを尊敬はしない。その生き方自体は、人それぞれの選択の結果だからだ。

しかし私は、彼らの生き方に大いなる敬愛の念を抱かずにはいられない。極めて真っ当な生き様。


社会人全てがこの生き方を選択することはありえないし、そもそも環境はそれを許さない。

ただこうした生き様があることを知り、敬愛の念をほんの少しでも心に持つ人が大勢とならなければ、

我ら人間社会の存続も時間の問題ではなかろうか。


私の現業は、極めて世俗的であり、世の大きな流れを読み捉え、自分の追い風にして、

自分の力の何倍ものものに見せて行くこと、自虐的でも何でもなく、そういうことを生業としている。

経営というのはそういう面が、どのような現場であっても、必ずある。

そこに「場」が生まれ、「雇用」が生まれ、「知恵」が生まれ、「利潤」が生まれ、経済は発展する。


ただ、それだけを目的とした現業としての経営には、何年も前に飽きましたという、人に言えない事実。

現業のその先に、人の生き方、人の集合としての社会のあり方に直接アプローチできる方法はないものか。


あると確信し、神々のパートナーとなるべく飽きずに仮説検証を繰り返す、強い信念を持ち続けたい。

中華料理チェーンK社のN社長。

「今回の農薬問題に関わらず、常に日本人が中華料理を食べなくなるという場合を想定してのリスクヘッジを考えている」


今週から、初の試みとしてバラの苗の販売を始めました。

あまりにも爆発力のある動きだしに戸惑いすら感じますが、この社長の言葉とマージすると、

いろんなことが見えてきました。


足かせや障壁を作っているのは、実は自分自身だったのかも知れない。

フラ○ーシ○ップの最新号、阪shinトレーディnグの話題が出ていました。

当然、タイアップ広告記事なので割り引いて捉える必要があるが、とにかく勢いが感じられた。

足かせとか、疲労感がないところが新鮮で素晴らしい。

業態としては競合する位置関係にあるが、楽しみな会社だと思いました。

この注文の少なさは一体何なんだろうか。まじ凹む。

でもここが踏ん張りどころで、恐怖心から自社利益誘導型の施策を打ってはならない。

作り手と使い手あってこその弊社なのです。自戒自戒。

K県のH洋蘭園の取り組みは、常に目から鱗である。


今月から全国の主要市場で自社商品の展示会キャラバンを行なうらしい。

皮切りに2月20日OT市場。

IF○Xに第1回から連続出展した結果、「もっと」の結果を求めるべくの試みとのこと。

(IF○X出展は休止するらしい)


日本市場において、世界中のどの産地をも凌駕し、卓越したマーケティングを行なおうとしている。

この試みの成否はもはや問題ではない。こうした取り組みを行なう境地に至った時点で既に勝っている。


※親戚筋のM農園も全く違ったアプローチで頑張っている。南の動きから目が離せない。

母の日の商談(法人)がぼちぼち開始している。


昨年の顧客は引き続き良好な関係。プラスをどれだけ開拓できるか。

新規の引き合いにおいては、例えば「無農薬または低農薬のカーネーションを」という要望。


市場その他サプライヤーに問合せるも、「数が極端に少ないし~」「ちょっと無理です」の返事。

ここでキャッチボールが終わってしまう。


客にはその先の客があり、さらにその先の客(消費者)があるという構図。

この構図の中で「みんな喜ぶ」=「ビジネスになる」の一つの解が「無農薬または低農薬」なのだろう。

その問い合わせ(もちろん今のところ唯一の)を弊社に下さっているという状況。


相手が求めている価値はいったい何なのか。


「無農薬とはいえませんが、○○という(無農薬に勝るとも劣らない)価値がありまして・・・」

「そもそも農薬という概念は○○・・・」

「実はカーネーション以外にもこういう商品がありまして・・・」


生産~消費の流れの中の、どの部分でこの発想の転換ができるか。誰がやるのか。

私はこの辺りの想像力と実行力を武器として、商戦に挑みたいと思っています。


戦場(消費市場)が固定された中で苦境に陥った折、活路を見出すのは「知恵」よりも「捨てる決断」。

大切なものを捨てるという意味ではなく、知らずのうちに載ってきたものを取捨選択する行為。


かなとも思いますがいかがでしょうか。

やっぱりね・・・


何がって、「再生紙ペーパー」の話。

この手の商品(コピー用紙等)を若干安いのでよく使うのだが、例えばトイレットペーパーのそれと比べ、

正規品との品質の差異が小さく、本当に古紙が入っているのかと、ほのかな疑念を抱くことは度々あった。


以前のエントリ にも書いたが、間違った「考え方」に立脚したビジネスは絶対に永続しない。

奇しくも、その言葉を吐いた(著書でも書いている)折口氏が、同じ過ちを犯してしまったことはまた、

他山の石としなければならないが。


食品偽装しかり、日本の一次産業寄りの二次産業は、その苦境に我慢できず、ミスを犯した。

しかし、如何なる形にせよ自浄作用がまだあることが救いだ。

花卉業界は世界が狭いことと、善意の小規模プレーヤーが多いこと、そして我慢慣れしていることで、

この手のミスは比較的犯しにくい構造にある。

別のエントリ で書いたが、ポイントはプロ意識。今こそ土俵際と思って踏ん張ることができれば、

絶対に大きな風の恩恵を受けられるはずです。

色々な信じていた価値が崩れ行く今、自然とか自分に立ち返りたい今、花は求められるはず。

花人が「プロ」として広く世の中に認められる時が、ようやく日本でも訪れるはず。ドラマも見方してくれるはず。


風邪をこじらせているため乱文で恐縮ですが、布団の中で熱くなってしまいました。(身も心も)