農業生産者は神だと思うし、実際、色んなところでそういう話をします。
まぁ、「神」という表現には信仰的な要素も強く、必ずしも適切ではないのでしょうが、
太陽や土と会話し、生命の源である種から生命を引き出し、水という活力を与え育てる、
その全てはこの地球を誕生させた神のした作業と同じことをしていると思えてなりません。
しかし、今日、同世代の生産者の方と話していて、さらにそれだけではないのだと感じた。
生命を育てるだけでなく、その収穫物に自らの名を冠し、販売することで生活し、家族を養う。
多くの場合においては、販売に直接関わることはなく、かなりの部分は第三者に委ねられる。
しかしその過程においては、例えば顧客とのやり取りなど気を遣うことも多い。
だけでなく、俗世に生きる者たちの自堕落な生活態度が生んだ膨大なツケのしわ寄せは、
俗世間の人々と同等またはそれ以上に被ることになってしまう不条理。即ち環境問題、原油高騰。
それなのに、彼らはあらゆる痛みや怒りの矛先を、最終的には自己に向け、内省することに解を求める。
自分のやり方、生き方を、その都度、これで本当に良いのか、いやこのままでは駄目ではないのかと、
日々、仮説、検証、自己否定の繰り返し。のみならず、後代の未来までに視野を拡げる。究極の哲学。
これは先人たちから脈々と引き継がれた哲人としてのDNAの為せる業なのだろう。
私は彼らを尊敬はしない。その生き方自体は、人それぞれの選択の結果だからだ。
しかし私は、彼らの生き方に大いなる敬愛の念を抱かずにはいられない。極めて真っ当な生き様。
社会人全てがこの生き方を選択することはありえないし、そもそも環境はそれを許さない。
ただこうした生き様があることを知り、敬愛の念をほんの少しでも心に持つ人が大勢とならなければ、
我ら人間社会の存続も時間の問題ではなかろうか。
私の現業は、極めて世俗的であり、世の大きな流れを読み捉え、自分の追い風にして、
自分の力の何倍ものものに見せて行くこと、自虐的でも何でもなく、そういうことを生業としている。
経営というのはそういう面が、どのような現場であっても、必ずある。
そこに「場」が生まれ、「雇用」が生まれ、「知恵」が生まれ、「利潤」が生まれ、経済は発展する。
ただ、それだけを目的とした現業としての経営には、何年も前に飽きましたという、人に言えない事実。
現業のその先に、人の生き方、人の集合としての社会のあり方に直接アプローチできる方法はないものか。
あると確信し、神々のパートナーとなるべく飽きずに仮説検証を繰り返す、強い信念を持ち続けたい。