人、人間、自分 (2024 No.25) | 噺新聞(874shimbun)

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 えー、人間というものは、他人と過去は変えられない。しかし、自分と、未来は変えることが出来る。と言われています。

 このまくらことばに、よく登場する私の学生時代の先生。「概念としての人間ではない。あの人、この人、一般的に人間は、ということではなく〈自分はどうか〉が大事なんだ。人間とは、自分のことだ」と我々学生に語られていました。五〇年以上前のことです。

 落語にこんな小噺があります。長屋の若い連中が集まっている。「今日は、これでお開きだ。又次にしようじゃねぇか。酒と肴はいつも通り、持ち寄りだ。頼むよ」酒は飲みたいが、先立つ物がない。何しろ、宵越しの金は持たない江戸っ子ばかり。「いつも、皆の酒を、やかんの中に入れるんだよ。誰が何を持って来たか分かりゃしねえ。今日は、びた一文ねぇ。しょうがねぇや。オレくらいはいいだろう。次に穴埋めすればいいや」

 各自、持って集まって来る。「そろそろ始めようじゃねえか。やかんを回して。そろったら、乾杯だ。皆、いいかい」それぞれ茶碗のお酒を一口飲む。と同時に、一同顔を見合わせた。もうお分かりでしょう。水っぽい酒、いや、酒っぽい水だったかもしれません。水の中に、少し酒が入っていたような。笑うに笑えない噺です。(ここは笑うところですが)

 私達は、人生の歩みの中で、これと同じようなことをやっていないでしょうか。自問自答が必要です。他がどうか、ではなく、自分がどうかが大事だと教わりました。

 六月末、さくらんぼの実る頃です。今年は佐藤錦、紅秀峰二種類が山形より届き、舌鼓を打ちました。(ヨー、ポン)小さな一粒のそれぞれが輝き、元気いっぱいです。徒党を組んでいる様子はありません。「私一粒くらい」と悪知恵がはたらくこともないようです。さくらんぼ一粒一粒さくらんぼ ’24   6/24   悪志