今日の心得 「テニスの環境変化を知る」 | 噺新聞(874shimbun)

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amebloを始める前は自分でホームページを作り、好きなことを書いてアップしていた。

 

その頃はテニスにはまっていて、週末の土日にはクラブへ行き、終日ボールと戯れ、日頃仕事でたまるストレスを日がな一日、ボールを打つことで忘れることを繰り返していた。

 

週に1回、「今日の心得」、「ときどきテニス」と題し、テニスをしながら感じたことを綴る文、テニスを離れることもあるが、気ままな内容である。

 

そうやってアップした文をときどき思い返したように読むことがある。

昔の文章である、埃まみれになった文、ちょっとハタキをかけて、皆様にご披露してみたいと思う。

 

2001/05/19-No.26(戯言おやじぃは:越智 健)

日本で一番古いテニスクラブは明治11年(1878年)に誕生した横浜レディース・ローンテニス・クラブで、明治時代、外国人居留地にそのルーツがあった。


同じような居留地で活動していた「神戸ローンテニスクラブ」の記録集がみつかり、その中には1910年代の写真も多く収録されていた。当時の服装は「ウィンブルドン大会」(ローンテニス全英選手権)の規定に従って男性は白い長ズボン、女性は足首までの白いロングスカートだ。これが、30年代には男性は半ズボン、女性がショートパンツ姿になっている。服装、用具の変遷を知るのもなかなか面白いものだ。


25年くらい前になるだろうか、夏の軽井沢で、泊まりがけのテニス教室を手伝ったことがあった。当時おやじぃはテニスとはまったく無縁で、この教室も運営事務というか、参加者のお世話が主な仕事だった。カワサキラケットが協賛会社、この会社は今はもう無くなっている。参加者にテニスシューズをプレゼントしたが、ズック製の靴だった。革製は高価だったのだろう。ボールは今のようなイエローボールではなく、白球だった。時代とともに用具も変わってくる。


還暦を迎えた会員さんがクラブハウスで話していた。俺の初給料が12,000円ぐらいだったかな、その頃、その頃というと昭和37、8年。テニスボールは600円くらいだったそうだ。給料から比較してもボールがとても高価だったことがうかがえる。大学のクラブでも、新しいボールは上級生が使い、真っ黒で、毛足などが無いツルツルボールを下級生が使っていたそうだ。ボールは貴重品、今のように何回かで練習ボール、あるいはお払い箱になるようなことはなかったようだ。