トーク番組は話し手の素の姿が垣間みれて面白い。 | 噺新聞(874shimbun)

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新聞のテレビ欄で、フジテレビ朝7時から「ボクらの時代」という30分トーク番組を見つけた。

今回は世代が異なる人気落語家、春風亭小朝、林家正蔵、春風亭一之輔だ。

写真は6.15(土)放送フジTV「ボクらの時代」を撮影したものを使用しています

この番組、さまざまなジャンルで活躍する人が集い、多彩な話題や事象を取り上げる構成。

MCも台本もなしで「語り」の面白さを楽しむという。

 

落語協会100年を迎えている協会副会長を勤める正蔵が落語についてとことん話をしたいと今回の鼎談が実現した。

 

その正蔵の服装をみて小朝が、

「落語漬けになっているなんてのは、格好見てすぐ、分かるも、こういうの着こなしっているの、そういないよね、正蔵さんとペーさんくらいでしょうね」

と黒いポロシャツと背中には緑色のポロシャツを繋ぎ合わせたような洋装を見ながら話しだす。

正蔵が、

「今、落語協会は真打が多く、二ツ目、前座、逆ピラミッドになっている。前座が25、6人いて見習いさん3人です。なり手が極端に少なくなっている」

これに小朝がこんなことを言っていた。

「木久扇師匠と木久蔵くんが並んで、入門したいという若者と師匠が面接してしていた時、木久扇師匠が話している間、その若者が、ずっと下ばっかり見ているので、木久蔵くんがおかしいなと思って見ると机の下で、Twitterやってたんだって、木久蔵くんが、ちょっとそれ見せてというと、『木久扇、面接ナウ』と書いてあったんだって、実話なんだから、面接の時、Twitterしちゃうんだよ」

 

小朝は中学生の時、持ちネタが128あって、即戦力になりますと手紙に書いて、黒門町の桂文楽へ送ったが、今は人が余ってつっかえているので、弟子はとっていないと、達筆な筆跡で書かれた返事をもらい噺家を諦めた。その後、テレビプロデューサーをしていた叔父さんから新宿末廣亭の支配人を紹介され、何人かの噺家を挙げてもらい、柳朝師匠に入門したという。

 

正蔵は、芸風に憧れアイドルだった志ん朝師匠に弟子入りしたいと父親三平に願ったが、反対され、三平の門下になったという。稽古で咄が突っかかるとすぐゲンコツで殴られ、それが五、六回あったと語っていた。

 

今、毎週、笑点に出演し、噺家としても次のステップにアップしだしている一之輔、

「しょせん、テレビで生きている人間じゃないと腹をくくっているかもしれない。テレビに出た後寄席にも出てるし、寄席を低くみているわけでもない。寄席に帰ってくるのが自分だなと思っている。

地方での独演会で一人で、そして寄席に戻ってきて楽屋で前座さん相手に世間噺をしていると、浄化されるというか、自分の客だけ相手をしているとどうにかなっちゃうんで、寄席で自分目当てじゃないお客さんの前でしゃべることが、こんなに自分にプラスになるかというのを感じている」と。

 

 

落語協会という組織を考えると、春風亭小朝が会長になっていたとしても実力、実績からいってもおかしくない。協会の会長席はやっぱり柳派が継いでいかなければというようなことなんですかね。

でもそんな組織上のことなぞ関係なく、MCも台本なしで進行するという番組、ここでの自分の立ち位置、仕切り方、進行、小朝の力業を感じた番組だった。