横田慎太郎という野球選手のこと | 噺新聞

噺新聞

「落語」のこと、暮らしの中にある「噺」についてなどを集めた、噺新聞

虎、阪神ターガースファンの方から、ちょっと早めのクリスマスプレゼントが贈られてきた。

「栄光のバックホームー横田慎太郎、永遠の背番号24の本だ。

今年7月18日、脳腫瘍のため28歳の若さで亡くなった、元阪神タイガースの横田慎太郎選手の母、横田まなみさんを取材し書き上げた劇作家・中井由梨子さんの著書。

 

贈り主からのひとこと

「奇跡のバックホーム」は横田慎太郎選手が闘病中、自己の半生について綴った自伝のような本です。
しかし、この「栄光のバックホーム」は横田選手のお母さんを取材して書かれたノンフィクションです。
お母さん目線で書かれているため思い入れが強すぎて作品自体としては、名作とはいいがたいと思います。
二十八歳という若さで亡くなる息子を持った母の実体験としての辛さが描かれています。
作品としてはそれだけの価値だと思います。
健康第一を訴えている、そいう本だと思います。
ただ、わたしは阪神優勝の影に、こういうドラマがあったということを知って欲しいと思い本を届けさせてもらいました。
単なる阪神タイガースファンの”ざれごと”と思い、ご一読いただければ幸いです。
優勝の瞬間、横田選手のユニホームを掲げたのはドラフト6位の岩崎優投手です。横田選手はドラフト2位でした。
そのときのドラフト1位は岩貞投手。この岩貞投手が鹿児島の横田選手の実家に連絡し、優勝を横田選手と一緒に祝いたい、そう言ったと言います。それでユニホームを送ってもらったそうです。
胴上げの輪のなかで横田選手のユニホームが舞っているいるとき、涙を流したのは私しだけではないと思います。
なぜなら、多くの阪神タイガースファンが引退した横田選手を思い出したからです。
天に掲げられたユニホーム・背番号24は阪神ファンの目の中から消えることはありません。

 

横田慎太郎選手のことはチラッとニュース番組などで小耳にはさんだ程度、詳しくは知らないまま、この贈られた本でプロ野球選手として短い時を駆けぬけていってしまったということを知りました。

 

高校を出てプロ野球の選手になるということは、やはり甲子園に出場していることが最低限の条件なのかもしれない。

鹿児島実業高校の横田慎太郎選手は、高校三年の鹿児島地区決勝戦で樟南高校と対戦し、三回表に三塁打を打ち、先制したが、結果、4対3で破れ、甲子園へは行かれなかった。

この対戦をスタンドで見ていた野球部のコーチとスーツを着たスカウトと思われる人の会話が、本には記載されていた。

 

「山下のスライダーからタイムリースリーベースか」

「いいですね」

「しかし彼の持ち味は、あのガッツですね。序盤から泥だらけだ」

「はい、全力プレー以外、知らない子ですから」

 

「甲子園出場」という夢が絶たれ目標はプロ入りに書き換わっていた。

そして、その年のドラフト会議で、走攻守三拍子揃った逸材、横田慎太郎選手は阪神の2位に指名され、念願のプロ入りをはたした。

 

親より先に死んでしまうことは、親不孝そのものです。

でもしょうがない、その人に与えられた運命なのだから。

母親から我が子を語る「栄光のバックホーム」。読んでいてグッとくる、泣けてくる親心がありました。

親思う心にまさる親心、この言葉が本を読みながらひしひしと感じてきました。

 

 

母親の立場から書かれたこの本を読み終わり、横田慎太郎さん自身が書かれた「奇跡のバックホーム」この本を書店に行き手に入れてきた。

阪神タイガースファンの方から贈られた書籍、それをきっかけに文庫本、「奇跡のバックホーム」を読んでみます。