緑の指 3
「瀬波、どうした?あれから」
立ち止まった渋沢教授が、聞いてくる。
ざわついた廊下で問い掛けられたので、一瞬言葉に詰まったものの、無難に答えをだす。
「蛍ですか?大丈夫ですよ」
がしがしっと薄くなりつつある頭をかいて、教授が苛立ちを見せる。
「余裕だな、瀬波は。なんかないのか困ることとかは」
「特には」
胸の隅に、ちらりと彼女の栗色の髪が揺れた。
「お前は落ちつきすぎなんだ。頼ったり甘えたり出来んのだろ」
「別に困っていませんから」
教授はじっと僕を見た。
「俺はな、これでも結構な数の学生を送り出してきた。だからお前が隠したいものも想像がつく」
白衣のポケットに手を突っ込こんだまま、ぺたんとサンダルを履いた足を交差させた。
「なんでもかんでも隠すのは止めろ」
とんとんと自分の胸を指す。
「俺の大事なナナフシを隠すんじゃねぇ。俺ぁ見られたって困らない」
苦笑いが浮かぶ。確かに研究室を最後に出て施錠する前に、出ている標本はみな片付けている。
「散らかっていたから、片付けただけです」
ぼりぼり首の後ろをかきながら、教授が答える。
「見たくねぇの?コレクションてものは、手に取って眺めて飾っておく物じゃないのか?」
「見ますよ、もちろん。でも片付けますけれど」
「かーーーっお前、わかってないねぇ。常に視界の隅にあっていい物だろう」
渋沢教授は、ばりばりと頭をかく。ああ髪に負担にならないだろうか。薄くなってきた頭頂部を掻きむしる。
「コレクター全員がそうとは限りません。それに教授は研究対象でしょう」
「愛だよ、Love 見たいとか触りたいとか普通だろ」
彼女の面影が浮かんだ。
「お前はなぁ、甘ちゃんなんだよ。こんなしょぼくれた俺でさえ嫁さんがいるっての!ウジウジしてんなよ」
「奥様は教授のことをなんて?
ほうっと大きく息をつく。
「そんな虫どこがいいのかわからないだとよ」
顔に笑いが浮かぶ。
「だけどなぁ…あいつは俺を愛してる。俺もそうだ。人間なんて相手の全てを受け入れることなんてできない。ただ許せるかどうかなんじゃないのか」
言いたいだけ言って、教授はくるりと背を向けた。
「なんかあったら言え。相談に乗る」
「…ありがとうございます」
振り返りもしない教授に向かって頭を下げる。視界のすみが滲んだのを隠すように。
立ち止まった渋沢教授が、聞いてくる。
ざわついた廊下で問い掛けられたので、一瞬言葉に詰まったものの、無難に答えをだす。
「蛍ですか?大丈夫ですよ」
がしがしっと薄くなりつつある頭をかいて、教授が苛立ちを見せる。
「余裕だな、瀬波は。なんかないのか困ることとかは」
「特には」
胸の隅に、ちらりと彼女の栗色の髪が揺れた。
「お前は落ちつきすぎなんだ。頼ったり甘えたり出来んのだろ」
「別に困っていませんから」
教授はじっと僕を見た。
「俺はな、これでも結構な数の学生を送り出してきた。だからお前が隠したいものも想像がつく」
白衣のポケットに手を突っ込こんだまま、ぺたんとサンダルを履いた足を交差させた。
「なんでもかんでも隠すのは止めろ」
とんとんと自分の胸を指す。
「俺の大事なナナフシを隠すんじゃねぇ。俺ぁ見られたって困らない」
苦笑いが浮かぶ。確かに研究室を最後に出て施錠する前に、出ている標本はみな片付けている。
「散らかっていたから、片付けただけです」
ぼりぼり首の後ろをかきながら、教授が答える。
「見たくねぇの?コレクションてものは、手に取って眺めて飾っておく物じゃないのか?」
「見ますよ、もちろん。でも片付けますけれど」
「かーーーっお前、わかってないねぇ。常に視界の隅にあっていい物だろう」
渋沢教授は、ばりばりと頭をかく。ああ髪に負担にならないだろうか。薄くなってきた頭頂部を掻きむしる。
「コレクター全員がそうとは限りません。それに教授は研究対象でしょう」
「愛だよ、Love 見たいとか触りたいとか普通だろ」
彼女の面影が浮かんだ。
「お前はなぁ、甘ちゃんなんだよ。こんなしょぼくれた俺でさえ嫁さんがいるっての!ウジウジしてんなよ」
「奥様は教授のことをなんて?
ほうっと大きく息をつく。
「そんな虫どこがいいのかわからないだとよ」
顔に笑いが浮かぶ。
「だけどなぁ…あいつは俺を愛してる。俺もそうだ。人間なんて相手の全てを受け入れることなんてできない。ただ許せるかどうかなんじゃないのか」
言いたいだけ言って、教授はくるりと背を向けた。
「なんかあったら言え。相談に乗る」
「…ありがとうございます」
振り返りもしない教授に向かって頭を下げる。視界のすみが滲んだのを隠すように。
緑の指 2
大学の敷地内に農学部用の用水が引かれている。汲み上げた水を流しているため、土壌にろ過された綺麗な水が流されていて、農薬に汚染されていない。
このまま蛍を解き放っても、問題なく子孫を残せる可能性が高い。
ちゃぷちゃぷと流れの中にビールや焼酎とともに、きゅうりやトマトが冷されている。農学部や他の学部の名前が書かれたそれは、天然の冷蔵庫だ。
用水路から少し離れたしげみの中に、繁殖用の小屋はあった。
網を張られたそれは、鳥小屋のようで暗闇に寂しげに佇んでいた。
蛍が留まるための植物を用意しなくてはいけない。間に合わせに薮から切ってきた草を倒れないように固定しようとしたら、小屋の中に缶がありそこに挿した。
「ほら。出るといいよ」
蓋を開けたケースから、瞬くような明かりが飛び立つ。
蛍は雄も雌も発光器官を持つ。お互いに光り合い、呼びあうかのように、つがいになる。
『声もせで 思いもゆる蛍こそ 鳴く虫よりも哀れなりけり』
教授は何か感じていたんだろうか。顔に出すことはなくても僕の心に人が住んでいることを。
告白したこともある。されたことなら何倍も。付き合っている女性がいなかったら、その告白を受けて付き合うこともあった。
ただ長く続くことはなかった。
隠している訳ではない、専攻について問い詰められたり、研究についてあからさまな嫌悪で返されるたび、どこか感情が擦り減っていった。
そんなこと、始めからわかっていたんじゃないの?
わかっていないのに俺と付き合うつもりだったの?
自分を理解してもらえないことは関係を歪め、お互いの距離を置くことになり自然に離れていく。
「俺にどうしろって言うんだか」
どちらかが無理したら、その関係を維持するのは難しい。
もしこの気持ちのまま彼女に告白したなら、どうなるだろう。ぼんやり蛍を眺めるとほんの僅かな恋の季節のために炎を燃やしていた。
このまま蛍を解き放っても、問題なく子孫を残せる可能性が高い。
ちゃぷちゃぷと流れの中にビールや焼酎とともに、きゅうりやトマトが冷されている。農学部や他の学部の名前が書かれたそれは、天然の冷蔵庫だ。
用水路から少し離れたしげみの中に、繁殖用の小屋はあった。
網を張られたそれは、鳥小屋のようで暗闇に寂しげに佇んでいた。
蛍が留まるための植物を用意しなくてはいけない。間に合わせに薮から切ってきた草を倒れないように固定しようとしたら、小屋の中に缶がありそこに挿した。
「ほら。出るといいよ」
蓋を開けたケースから、瞬くような明かりが飛び立つ。
蛍は雄も雌も発光器官を持つ。お互いに光り合い、呼びあうかのように、つがいになる。
『声もせで 思いもゆる蛍こそ 鳴く虫よりも哀れなりけり』
教授は何か感じていたんだろうか。顔に出すことはなくても僕の心に人が住んでいることを。
告白したこともある。されたことなら何倍も。付き合っている女性がいなかったら、その告白を受けて付き合うこともあった。
ただ長く続くことはなかった。
隠している訳ではない、専攻について問い詰められたり、研究についてあからさまな嫌悪で返されるたび、どこか感情が擦り減っていった。
そんなこと、始めからわかっていたんじゃないの?
わかっていないのに俺と付き合うつもりだったの?
自分を理解してもらえないことは関係を歪め、お互いの距離を置くことになり自然に離れていく。
「俺にどうしろって言うんだか」
どちらかが無理したら、その関係を維持するのは難しい。
もしこの気持ちのまま彼女に告白したなら、どうなるだろう。ぼんやり蛍を眺めるとほんの僅かな恋の季節のために炎を燃やしていた。
晦日参り
3月も今日で終りなので、晦日参りにいきましょうかと神社に行ってきました。
行った先は産土神社というこの地域担当の神様の所です。
神社に行くまでの街路樹はハクモクレンで、もう日なたはほころびはじめていました。
わたしの住む市は道によって街路樹が違い、他にはポプラ、松、ハナミズキなどがあります。松は昔の街道沿い。コスモスが植えられている道もあります。
桜は川辺に植えられていてまだ咲いていないものの、蕾がふくらんできました。
写真、見えづらいですが鳥が写っています。ちゃぷちゃぷ楽しそうです。
どうやら、昨日から桜祭を開催しているらしくライトアップ用の機材もありましたが、肝心の桜がまだです。今年は寒く遅れていますね。
晦日参りなので、お願いごとはせず、神様に今月の感謝をして帰ってきました。
散歩がてら行ってみるのもいいですよ。
