第25代武烈(ぶれつ)天皇の皇后春日娘子(かすがのいらつめ)は父が未詳の史上ただ一人の皇后である。天皇皇后は残虐刑の観覧を好んだ。殷の紂王(ちゅうおう)妲己(だっき)を髣髴とさせる。
 武烈天皇には嫡子ができず、近江国を治めていた第15代応神天皇の来孫である継体(けいたい)天皇が推戴され受諾する。第26代継体天皇の妃の長子が第27代安閑(あんかん)天皇、第二子が第28代宣化天皇、皇后の嫡男、要するに正室の長男が第29代欽明天皇である。

570に纏(まつ)わること-582』(2023年08月14日)
「弥生艶葉樹(個人を特定する情報)の前世は欽明天皇(第29代天皇)である」
×「弥生艶葉樹(個人を特定する情報)の前世は欽明天皇(第29代天皇)ではない」>
<欽明天皇
・無意識レベルのカルマ
 509年09月18日(0歳)ー9(神的レベル)
 543年9月15日(34歳)ー5
 552年9月15日(43歳)ー8(人間レベル)
 561年9月15日(52歳)ー5
 570年9月15日(61歳)ー2
・向上心ー6(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.2
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満61歳)ー77歳 →IQ126(高い)
・五行類型論の体型:5▽ー8▽型>
<因みに、欽明天皇の皇后である石姫皇女(いしひめのひめみこ)5△ー8△型は、私の双子の魂サチヨさんの前世である>

 宣化(せんか)天皇の皇女、石姫皇女を見てみる。
 因みに、それまでは大王(おおきみ)が使われていたが、天皇を使い始めるのは推古朝からであり、王(みこ)から皇子・皇女になるのは天武朝からである。

石姫皇女
・無意識レベルのカルマ
 537年12月10日(0歳)ー9(神的レベル)
 543年09月15日(5歳)ー5
 552年9月15日(14歳)ー8(人間レベル)
 561年9月15日(23歳)ー5
 570年9月15日(32歳)ー2
 619年9月11日(81歳)ー2
・独り善がりー4(動物レベル)
・向上心ー7(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.2(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満81歳)ー75歳 →IQ93(平均)
・容貌ー4(人間レベル)

人への好意が持てない人-384』(2020年9月3日)
<双子の魂
 共通点ー才能・カルマ・徳目・意識の進化段階(60.0まで)
 相違点ー愛・野心・品格・性格・超能力>

 カルマが同調するとき、欽明(きんめい)天皇と石姫皇女との年齢差は29歳となる。
 2人の間に第30代敏達(びだつ)天皇が生まれる。
 582段で、
「石姫皇女の名に、古事記の石長比売(いわながひめ)のように不老長生を読み取れないこともなく、田中英道教授の言うように石棺を伝えたユダヤ人の血筋を見ることもできる」
 と述べたが、石姫皇女の生没年をブッディで検知すると81歳の長寿だったことが分かる。またブッディで確認したところ、石姫皇女が生まれた時代の日本人の平均寿命が36.5歳なのを考えると、全く驚異的であり、名にし負う不老長寿と言える。
 次に、欽明天皇の妃には蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)や蘇我小姉君(そがのおあねのきみ)などがいる。2人は姉妹で、蘇我馬子と姉弟である。
 堅塩媛は、第31代用明(ようめい)天皇や、後に敏達天皇となる皇子に嫁した豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)後の第33代推古(すいこ)天皇やを生む。
 小姉君は、第32代崇峻(すしゅん)天皇、これは先述した馬子によって暗殺されている、や用明天皇との間に聖徳太子を生んだ穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)やをなす。
 ブッディで確認したところ、欽明天皇の子女総数は37名である。

蘇我堅塩媛
・無意識レベルのカルマ
 538年04月26日(0歳)ー9(神的レベル)
 608年9月06日(70歳)ー8(人間レベル)
 609年5月30日(71歳)ー8
・独り善がりー5(動物レベル)
・向上心ー4(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.1(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満71歳)ー72歳 →IQ101(平均)
・容貌
 550年04月26日(0歳)ー3(人間レベル)
 609年5月30日(59歳)ー4

推古天皇
・無意識レベルのカルマ
 554年5月21日(0歳)ー9(神的レベル)
 616年9月1日(62歳)ー-3
 627年9月1日(73歳)ー2(人間レベル)
・独り善がりー4(動物レベル)
・向上心ー5(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.6(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満73歳)ー66歳 →IQ90(平均)
・容貌ー4(人間レベル)

 推古天皇は異母兄の敏達天皇に嫁し、推古天皇の兄の用明天皇は異母妹の穴穂部間人皇女と婚し、二等親の近親婚が見られる。古代より皇室と外戚関係を結び、政治力を高めようとする豪族は多く、このときは蘇我氏である。

蘇我小姉君
・無意識レベルのカルマ
 540年01月29日(0歳)ー9(神的レベル)
 609年7月07日(69歳)ー9(人間レベル)
 613年1月13日(72歳)ー9
・独り善がりー3(動物レベル)
・向上心ー6(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.1(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満72歳)ー67歳 →IQ93(平均)
・容貌
 540年01月29日(0歳)ー3(人間レベル)
 613年1月13日(72歳)ー4

穴穂部間人皇女
・無意識レベルのカルマ
 560年6月14日(0歳)ー9(神的レベル)
 585年8月1日(25歳)ー7
 594年8月1日(34歳)ー6
 603年8月1日(43歳)ー5
 612年8月1日(52歳)ー4
 621年8月1日(61歳)ー3
 622年2月8日(61歳)ー4
・独り善がりー3(動物レベル)
・向上心ー9(人間レベル)
・意識の進化段階ー1.5(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満61歳)ー64歳 →IQ105(平均)
・容貌
 560年6月14日(0歳)ー6(人間レベル)
 585年8月1日(25歳)ー5

 『教授の話-632』(2024年05月16日)の聖徳太子と同じく、穴穂部間人皇女も蘇我馬子に暗殺されている。

蘇我馬子
・無意識レベルのカルマ
 622年2月7日ー5(神的レベル)
 622年2月8日ー3

 中宮寺の菩薩半跏像のモデルが穴穂部間人皇女だと言うことは、竹下雅敏氏の講義で聴いていたが、「古典的微笑(アルカイックスマイル)」が印象的な像の容貌は人間レベル5と美しい。
 穴穂部間人皇女が聖徳太子を生んだ574年2月7日は、皇女13歳の砌(みぎり)、その容貌は人間レベル6の比類なき美人だった。知る限り「天下一の美人」お市の方だけだったが、これで2人になる。また『追求・小野小町-666』(2024年12月04日)の女性はカルマを無くして、容貌と意識の進化段階を上げているから、もう1人増える。その後、皇女はカルマを積んだために人間レベル5に落ちるものの、突出した美人に変わりはない。
 穴穂部間人皇女とお市の方から分かることは、容貌が人間レベル6の女性は、自身だけに限らず生んだ子、聖徳太子と浅井三姉妹も歴史に名を残している。666段の女性も例に洩れないだろうと思われる。