日本縦断!人の和と輝く人生に乾杯! ~極彩色に囲まれて~ -6ページ目

正しい階段の登り方⑤


なぜ、『階段』はセオリー以外の登り方を人間に推進するのか。


我々の導いた結論から先に述べよう。


それは、ひとりでも多くの人間を洗脳するためである。

セオリー以外の登り方の推進を繰り返すことで、人間の脳波は徐々に乱れ自律神経は摩耗する。
それはつまり、人間の自意識コントロールを不制御状態へ陥らせるための恐るべき企みであり…
そう、彼らは『階段』という種族の繁栄に都合の良い木偶の棒(デクノスティック)を量産しようとしているのだ。

階段は実に狡猾である。

功を焦り一気に征圧するのではなく、一歩ずつ、しかし確実に人類を支配下に治めるために草葉の影で舌舐めずりしているのだ。
この性質にも、階段が我々にとって大きな脅威であることはご想像できるだろう。



では、階段族はいったいどのように人間をコントロールするのか。


これにはいくつかの説があるが、いまCSA(Conference of Stairway's Attack:階段を正しく登る会)で最も支持されているのは【幻視】である。
つまりこうだ。
言うまでもなく階段には段が存在し、各段の間には当然「段差」がある。
一見、何の変哲もない段差は、実は階段にとっては顔面部、つまり顔にあたり、そこには当然「目」も存在する。
我々には識別しづらい、この「目」と、まさに目を合わせてしまった時、人間は目前の階段を現実とは違う構造物と知覚し、自然とあらぬ登り方をしてしまうというものだ。


つまり、階段は我々に登り方を直接推進するのではなく、視覚催眠を通じて関節的に影響を及ぼすのだ。
おそらく、幻視に陥った人間の目の前には我々の記憶にあるいつもの階段は存在しない。
そこには、よもや階段とは呼べないグロテスクな物体、階段が推進したい登り方が自然と行われるような被想起型念動体が横たわっているに違いない。
もし機会があれば、ぜひ一度段差と向き合ってみて欲しい。あなたをジッと覗きこむ気配が感じられるかもしれない。


このように、人類は階段、とりわけ段差に踊らされているのが理解できたと思う。
段差…だんさ…ダンサ…

「踊る人」を表す「ダンサー」という単語が奇しくも段差と極めて近似した音を持つことは、もはや偶然と言うには不自然すぎる符合であろう。


さて、階段の恐るべき能力はおわかりいただけただろうか。
しかし、階段の脅威は決してこれだけではない。
先の回でも述べたように彼らが地球の階段化を推進するため最も力を注いでいる事のひとつに「広報活動」がある。

そう指摘するのは、きっての事情通でフリージャーナリストのンゴロンゴロ長宗我部氏だ。


ーー 階段たちは洗脳の済んだ人間、デクノスティック達を使って高度の高い建築物をつくってきた。古くはピサの斜塔や五重の塔、近年ではブルジュドバイやスカイツリーもそうですね。『つくらされた』ことを知らない人々はまるでそれが人類の偉業かのごとく騒ぎ立て、さらに高い建築物を手にしようと躍起になる。思うツボですよ、奴等の。そう、人は人の上に人ではなく階段をつくってしまったんですよ…。

ーー しかし、人類にもまだチャンスはあります。そう、チヨコレイトの法則です…

(『階段の湖』より/共著:佐藤クダル)




さあ、ここまで知ってしまったあなたに階段たちはもはや容赦をしないだろう。

地に足をつけ、不用意な登階行為を慎むことをお勧めしたい。




次回からはより実践に近い手ほどきを行いたいと思う。







正しい階段の登り方④


誰もいない階段ではセオリー通りの登り方をしない人間が出てくる…

しかしだ。


ひとつ考えてみよう。


この見方は、あくまでも『階段』を受動態として捉えた考え方である。


我々は様々な角度から考察と検証を重ねた結果、ひとつの仮説にたどり着いた。これは逆説的に、『階段』が能動的に登り方を認知しているという発想、方法論理で言えば科学界で言う「逆視観置換法」(業界俗語で言う【逆さ潜望鏡法】)だ。


ここからは真面目に読んで欲しい。

簡単に言うとこういう考え方だ。
《そもそも階段に合わせて人間が登り方を決めるのではなく、人間と状況を見た階段が人間の登り方を決めている》

仮説としてはありではないだろうか。


つまり階段を無機質な構造物と見るのではなく、意思を持った有機生命体と見る発想だ。


普遍的であることを余儀なくされた『階段』はその意思の存在を隠匿するため、人間の複数登階、被視登階の状況においては一般化した「左右交互登階法」を人間に推進する。しかし単発登階、無視認登階においては階段にとって有益な登り方を推進するーーーー


という考え方だ。


この考え方はまんざら的外れではない。『階段』が食物連鎖でいう頂点に君臨し、万物の行動を左右していると仮定すると多くの事象が丸く解決できるケースが多くあるのだ。

この考えを元にいくつかの仮説が成立する。


《仮説① 『階段』はより高みを目指すために人類を使い、階段を構築させた。全ての古代文明に階段が存在するのがその証拠》


《仮説② 『階段』は自身の労力と老朽化を軽減するために人間にエスカレーターを開発させた》


《仮説③ 『階段』は虎視眈々と地球の階段化を企んでいる。階段のない建築物が存在しないのが動かぬ証拠》


仮説③に関してはカイダニストでフリーターの段田 昇氏(だんだのぼる)はこう語る。


「階段の目的は丸い地球の鋭角化です。鋭角化とはつまり…階段を地球に構築するということは地球を徐々にカスタマイズしていると言うことです。元素レベルの外殻から見た…(中略)…かみ砕いて言うと、星自体を『階段族』のための巨大な宇宙船に作り変えようとしてるのです…。人間がそれを防ぐ方法だだ一つ、階段の意思と利権を無視し、正しい階段の登り方を実践し、その意思に逆らうことなんです…」


階段の正しい登り方…


これは軽いテーマではなく、人類の存亡を賭けた戦いであることはお分かり頂けたかと思う。


階段は今、内部からのエイリアンとして内需を拡大しているということと、だからこそ我々が正しい階段の登り方を実践しなければいけないということが。


次号では「なぜ階段がセオリー通りではない登り方を人間に推進するのか」について語りたい。



正しい階段の登り方③


階段の登り方について、「人は誰もいない階段では決して他人に見せられないような姿で階段を登る」と言う一つの仮説を問題提起させて頂いた。


本コラムでは正しい階段の登り方は何か、について論じたいと思うが何をもって正しいと定義するためには多面的な考察が必須である。


皆がそうしているから自分がそうするのも正しい、といった何ら根拠のない視野の狭い思考では、本当の真実は証明できいない。


身近な一例として卵焼きの食し方を挙げよう。

日本人が卵焼きを食す際は周知の通り100%の確率でワサビをかける。

ワサビ以外の調味料をかける日本人は皆無といっても過言ではない。


では正しい卵焼きの食し方はワサビかけなのか?

ご存知の通り否である。


海外ではタバスコをかける国もあれば、ワインやビールといったアルコールをかける国もある。

そして、何よりもグローバルスタンダードな食し方はレモネード和えであろう。


つまり、自分の周りの身内や友人、強いては狭義の意味での世間共通の考えや御作法を一元的に捉えて正しい、と断定するのは科学界では無能の証明にほかならない。


ある一つの議題に対する断片的な主張は得てして誤りであり、そのような主張を行ないがちな一般大衆と総称される人々は無能なブタであるという前提に立つのが、我々科学者の最初の一歩である。


そのため、科学を科学するためには定性的ではなく定量的、全体統計的な事実に基づいたデータが最重要なのである。


本チャプターでは、人は誰もいない階段では決して他人に見せられないような姿で階段を登るという仮説を立証するため、一つの実験を行なった事例を紹介したい。


サンプルデータは米国の有名な科学番組である「マッド☆サイエンティスト」に基づく。


番組の中で、今回のテーマである「階段の上り方」について実験を行なった。

その実験は、2階建ての部屋に被験者1万人が集められ、階段をどう登るのかをモニタリングするものだった。


結果、皆で登るときは片足ごと交互に段を踏む者が全員だったが、一人づつ外部と遮断した状態で登る際は、一段飛ばしで登る者や片足スキップで登る者、ムーンウォークで登る者、果ては手すりの上でヘッドバンキンを行いながら登る者と多種多様であった。



「今回の実験を通じて階段の上り方について、誰もいない階段ではセオリー通りの登り方をしない人間がいることを奇跡的に映像に収めることができた。これは人類史上初の快挙であり、正しい階段の登り方を定義するための小さな一歩を踏み出したのではないだろうか。」


実験を監修したテキサスクローバーホールド大学のケヴン・カスナー教授はそう述懐した。



では何故、誰もいない階段ではセオリー通りの登り方をしない人間がいるのだろうか?



次回はその真相心理にもう一歩踏み込んだデータについて紹介したい。