ジャズピアニストの佐山雅弘が死去、生前最後のメッセージ公開 | 株式会社グリット デザイン・リフォーム・広報部 リノベーションLABO

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2007年1月にスタートしたブログですが、株式会社リノベーションLABOのブログとして運営してまいりましたが、皆様御想像通リ妙齢となり、もともと商売には向いてないこともあり、株式会社グリットのデザイン・リフォーム・広報部を務める事となりました。

 

 

出会いのアルバム、たぶんマニアックで知らないでしょ。

 

小学生の頃、幼馴染の好きな女の子がピアノを習っていたのがきっかけでピアノを弾き始める。中学1年生の頃にピアノを習うのを一時辞めるが、中学2年生の時叔父に誘われて行ったオスカー・ピーターソンのライブに感銘を受け、ジャズに目覚める。国立音楽大学作曲科に入学するもピアニストとしてプロの仕事が増え、中退。RCサクセションゴンタ2号は学友だった。影響された音楽家はチック・コリアハービー・ハンコック。好きなものはワインと麻雀、ポールウィンナーソーセージ。

1976年、RCサクセションのライブやレコーディングをサポート。当時は「セクシー佐山」というステージ・ネームだった。

以後、東京交響楽団木野雅之ヴァイオリン)、松田昌ピアニカ)、瀬木貴将サンポーニャケーナ)、平野レミシャンソン歌手)、伊太地山伝兵衛などジャズの枠を超えたアーティストとも共演し、ジャンルを問わず幅広く活動。プリズムの元メンバー。デューク・エイセスの音楽監督、編曲、楽曲提供者としても活動。

1995年、PONTA BOXとしてモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。

2000年、村上“ポンタ”秀一村田陽一と共に自社レーベル『3 VIEWS』設立。

2001年、和田誠監督の映画『真夜中まで』に出演。ミューザ川崎ホールアドバイザー、名古屋音楽大学客員教授、母校国立音楽大学のジャズ科非常勤講師などを務める。

2007年、(財)ローランド芸術文化振興財団(現・かけはし芸術文化振興財団) マスタークラスの指導講師に就任。

2014年、胃癌を切除する手術を受ける。療養しながら音楽活動を続けた。2017年5月に腸閉塞が確認され手術。

2017年 、佐山を中心として、『佐山雅弘new Trio B'Ridge(ブリッジ)』結成。メンバーは、佐山雅弘(ピアノ)、織原良次(フレットレスベース)、福森康(ドラムス)

2018年8月14日、定期健診を受けた際、血液検査の数値が思わしくなくそのまま療養入院。同年11月14日、死去。64歳没。

 

 

何かをなんて語れないよ。

出来る事は、誰も通んないかもしれない小さな橋を架ける位。

 

ご冥福をお祈りいたします。

リアルなJAZZミュージシャンの生き方だったり、ジャンルを超えても自分を見失う事なく演奏し続けて姿勢に頭に下がります。

 

無粋なんで、生前最後のメッセージは転用・掲載はいたしません。

探し物がある方は、どうぞ検索してください。そこで何かを見っければラッキー。

 

宝くじも買わないと当たらない。でも買ってもほとんど当たらないけどね(笑)。

では、買うときにはせめて欲ではなく福祉への寄付と割り切ったら、当たんなくてもチョッピリ心が豊かになるかも…🎹。

 

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