Little Friends -606ページ目

「北斗星」の旅路~海峡の街へ①

(続き)北海道側の吉岡海底駅を通過、北海道は目の前だ。

ずっと続いていた「シャーッ」という音が、いきなり聞こえくなる。

40分かかって青函トンネルを抜け、北海道に上陸したのだ。しかし、朝ぼらけの中に見えるのは、広大な北の大地ではなく、緑の映える山々だけ。

本当に北海道らしい風景とは、荒涼たる原野でも、丹頂の憩う湿原でも、美瑛の丘の風景であっても、それが果てしなく広がる圧倒的なボリューム感ではないだろうか?

今は開発が進み、道東や道北の相当不便な場所に行かないと、言葉をのむようなボリュームのある北海道的な風景にはお目にかかれないと思う。

木古内から江差線に入り、再び単線の細道をゆく。

途中、新矢不来信号場という行き違いのための場所を通るが、このあたりは箱館戦争の際、新政府軍の上陸拠点だったところで、それを迎え撃つべく五稜郭から出撃してきたのが、元新撰組副長土方歳三。

京の都では、浪士たちに剣で恐れられた土方だが、この地ではフランス式歩兵部隊を率いて戦った。苦戦を強いられた五稜郭軍の中で、土方の部隊だけは連戦連勝だった。

この男、ただの剣術使いではないと思う。天性の戦上手なのだろう。(続く)

「北斗星」の旅路~海底特急⑤

(続き)デビューした頃の「北斗星」では、早朝にも関わらず、青函トンネル突入の瞬間を一目見ようと、起き出す客が多かった。

昼間の列車なら、車内放送で案内を流すことができるが、「北斗星」が青函トンネルを通過する早朝深夜では、それもできない。

そこで、「北斗星」ではロビーに車掌が出向き、物好きな乗客に直接青函トンネルのガイドをしていた。僕が青函トンネルに詳しいのも、何度も聞いた車掌の話の受け売りだ。

しかも、列車が遅れていなければ、海底駅を徐行して乗客に見せるサービスまでやっていたから、物好きな乗客たちは大喜びだった。

おかげで、そのあと「青函トンネル通過証明書」つきのオレンジカードの売れること(笑)。

JR北海道の商魂のたくましさだが、車掌が一生懸命説明してくれた青函トンネル通過の思い出を、その時の乗客は忘れないだろうと思う。

現在では、僕の知る限り、そのようなサービスはやっていないはずだ。

青函トンネル開業から20年が経過し、北海道ブームも去った今では、青函トンネルに関心を持つ人も少ないのだろう。

でも、このトンネルを作った人たちの苦労と功績は、決して忘れてはいけないのは確かだ。(続く)

「北斗星」の旅路~海底特急④

(続き)青函トンネル最深部は、海面から240㍍も下だ。そう、「北斗星」の上にあるのは、多くの艦船が行き交う津軽海峡なのだ。

よくぞこんなトンネルを掘ったものだと感心する反面、やはり少々不気味だ。そんな中を40分も走るのだ。

最深部を過ぎると、今度は地上への長い上り勾配に挑む。

軽い衝撃が伝わってきた。先頭の機関車が、歯を食いしばりながら踏ん張っているのだろう。

地上だけでなく、青函トンネル内でも頻繁に貨物列車とすれ違う。

津軽海峡線の利用客は、開業時にくらべたら激減したが、物流に関しては、今なお本州と北海道を結ぶ大動脈なのだ。

普通、複線区間での列車のすれ違いは、お互いに無言のまま「ドン!」という風圧をぶつけあうだけだが、青函トンネルの中では、

「ピョッ」

「ピョッ」

と、お互いに短く警笛を鳴らしあってすれ違う。

世界最長の海底トンネルだし、安全上そのような規則になっているのかもしれないし、「北斗星」や貨物列車など、機関車の引張る列車だけのような気もするのだが、僕には

「気をつけて行けよ!」

「おう、そっちもな!」

と列車同士が声をかけあっているように聞こえてならない。(続く)