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世の中には驚くような食べ物がありますよね。


最初にこれを食べようと思った人、すごいな、的な(笑)

例えば私の大好きなナマコ(酢)!

ナマコですよ、あれを海で見つけて食べようとはすごい

チャレンジ精神ですよね・・さすがの私も手は出さない(爆)

他にもキノコ類とかいろいろあるけど、どうしてそれが

食べられるとわかったのか?

不思議です・・心の底から不思議です。


・・って思ってたらアシュタールからメッセージが来ましたので

お伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します

あなたには危機察知能力があります。

自己免疫力、自己回復力、そして、危機察知能力があるのです。

生命力です。

これがあることで生命を維持することができるのです。

これはすべての生物に備わっているものです。


自然に暮らす動物たちは自分が食べられるものと食べられない

ものを知っています。

昔からの経験として受け継がれているものもありますが、

ほとんどは本能的に感じるのです。


人間は特に好奇心が旺盛ですので、たくさんのチャレンジを

したいと思います。

その時にフルに危機察知能力を活用していろいろな経験をして

来ました。


最近はこの危機察知能力を使うことが難しくなってきています。

それは自然と隔離されてきたという事もありますが、

それよりも大きな理由として頭を使い過ぎるからです。

身体で感じる事よりも頭で考える方を重視するようになって

危機察知能力を使うことが減ってしまったのです。


あなたも、何か変な気がする、行ってはいけない気がする、

食べてはいけない気がすると思った経験があると思います。

傷んでいるわけではないけど、何か食べたくない、イヤな

感じがするという経験があると思います。

そういう感覚が危機察知能力なのです。


でも、あなた達はそのような感覚を感じても、気のせいだと

思って気に留めないということを繰り返して来ました。

そのために危機察知能力が発揮できなくなってしまったのです。


いまのウイルス騒動もそうですね。

肌感覚で何もないのに、支配者たちに煽られるまま危ないもの

怖ろしいものと思い込んでしまいました。

肌感覚で危機を感じないのに従ってしまうというのは

危機察知能力を使うことを忘れてしまったからです。

本当に危ないもの、危険なものであれば誰に言われなくても

逃げるのです。

身体が勝手に動いてそこから逃げようとするのです。


危機察知能力は身体が教えてくれます。

これは自分にとって危ないと頭が思う前に身体が動きます。

だから、危機から脱することができるのです。

考えていては逃げ遅れたりしてしまいます。


危機察知能力を思い出してください。

そのためには素直に生きてくださいとお伝えしたいと思います。


素直に生きるとは感性で生きるということです。

イヤだと思うことはしない。

やりたいと思うからする。

だって好きなんだもん。

だってしたいんだもん。

理由はいりません。

頭で考えだれかが納得できるように言葉にする必要はないのです。

ただ、だって好きなんだもん、だってイヤなんだもん、

だけでいいのです。


みんながそんなことをしたら社会は行き詰ります、

そんなわがままばかり言い出したら社会は回らなくなりますと

思うかもしれませんが反対です。

その方が社会は気持ちよく回るのです。

そして、危ない方向へは行かないのです。


誰かのミスリードに乗って一方方向へ進むことはなくなります。

それぞれの感性で生きていれば、みんながバラバラの事を

しているように見えるけど、それがうまく全体としてマッチして

調和な社会になるのです。

一方的な方向だけに進んでしまうと調和はなくなります。

バランスが崩れてしまうのです。


話がそれましたので元に戻しますね。

危機察知能力を全開にしてください。

これは常に緊張していてくださいと言っているのではありません。

反対に緊張しているとそれを感じなくなります。

常に危機感を持っているとしんどくて仕方がなくなります。

危機察知能力は危機感ではありません。


フッと湧いてくる感覚なのです。

これは何か違う・・と感じる感覚なのです。

それを感じるためにはリラックスすることが肝心です。

リラックスしているからこそ感じられる感覚なのです。


自分を大切にするためにはこの感覚がとても大切になります。

イヤだと感じるというのは自分にとっては危機なのです。

何か違うという違和感もこの危機察知能力なのです。

これがなければ自分を感じることは出来ません。

自分を感じることができなければ、自分で判断することが

できなくなります。

人に聞かなければわからないという状態になるのです。

そして、その人の言うことを信じて動くということになります。

自分がやりたいことも、したくないこともわからなくなり

ますので、自分を大切にすることなどできないのです。

わかりますね?


自分を大切に出来なければ、人も大切にすることができません。

だから、自分を大切にすることができる(素直に生きることが

出来る)人が集まれば気持ちの良い社会を創造することが

出来るのです。

自分を大切に出来る人は人を傷つけようとは思いません。

人も大切に出来るからです。


大丈夫です!

安心してあなた自身に素直になって生きてください。

あなた達が心配するようなことにはなりません。


あなた自身が持っている生命力(自己免疫力、自己回復力

危機察知能力)を信じ、感性に素直に生きてください。

これからは感性、感覚、感情がとても大切になります。

感じるということを大切にしてくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

土曜日に母と映画に行く予定を立てたのですが、都内は感染拡大しているので、高齢の母を人が多い所へ連れて行くのも、もちろん自分が感染するリスクもあるしで、ウキウキした気持ちが鬱々に…ショボーン


そんな事を考えていたら、コロナの感染はするかしないかわからないけど、母と会ってランチしたり、映画を観るのは確実に楽しい事で決定しているので、『確実な方を取ろう❗』と。


感染予防はしないといけない事だけど、感染に怯えて何もしない、出来ないと諦めるのは安全かもしれないけど、何か違和感がある。


私は『確実な方を取りたい』照れ

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イヤな事を忘れようとしてもなかなか忘れることが

できないことが多くて困ってます。

アシュタールが教えてくれたように他に楽しいことを考えようと

思うんですけど、どうしてもそれが頭から離れないんです。

どうしたらいいですか?


・・というご質問がありました。


同じように思っていらっしゃる方も多いかと思います^^


では、アシュタール、よろしくお願いしま~す^^


「こんにちは こうしてお話できることに感謝します

覚悟が足りないのです。

覚悟してください。

覚悟してそれを忘れますと宣言してください。


重いエネルギーの方が引っ張る力が強いといつもお伝え

しています。

重いエネルギーにつかまってしまうとそこから抜けるには

大きなパワーがいるのです。

それは事実です。


そして、もう一つの大きな原因は、実はあなたがそれに

興味があるということです。

あなた達は面白い趣味を持っていますね。

実はあなた達は怖いもの、重いエネルギーが好きなのです。


お化け屋敷が好きなのと同じです。

イヤだ、イヤだ、怖い、怖いと言いながら喜んでお化け屋敷に

入っていきます。

面白いですね。


本当に怖くてイヤな人は入らないと思います。

入るというのはそこに興味があるからです。

イヤだ、怖いという感情がある意味好きなのです。

ですから、引っ張られるのです。


前にかさぶたを例にお話したことがあります。

かさぶたはケガをしたときに身体が治すために作るものです。

そうですね。

血を固めて傷口を保護し、傷に合わせて少しずつ小さくなりながら

傷が治るまで保護します。

傷を治すには身体にまかせておけばいいのです。


それなのにあなた達はかさぶたが気になって仕方がありません。

気になって気になってはがそうとするのです。

不思議ですね。


自分ではがしてまた血を出して痛いと文句を言う。

放っておけばいいのに、ついついかさぶたに目がいってしまい

はがしたくて仕方がない衝動に襲われるのです。

それと同じだと思ってください。

イヤなものを見た、イヤな事を聞いた、イヤな体験をした・・

人には忘却能力があります。

そのままイヤだから忘れるって思っていれば忘れられるのです。

でも、イヤだと思いながら何度も追体験をするのです。

かさぶたをはがすのと同じ心理ですね。


だから、覚悟してくださいとお伝えしているのです。

かさぶたをはがしたいと思う誘惑を断ち切るためには覚悟が

必要なのです。

重いエネルギーはあなた達にとって魅力的な部分があるのです。

イヤだと言いながら反対に魅力も感じるという面白い性質が

あるということを理解してください。

だから、その誘惑をしっかりと断ち切らなければどんなに違う

ことをしようと思ってもなかなかそれに集中できないということに

なってしまうのです。


もし、別のところにフォーカスを持っていくという方法で

どうしても断ち切ることができないと思うならば、

もう一つ方法があります。

それはそのイヤなことにどっぷりとはまるということです。

もういいと本気で思えるようになるまでそれを感じきるという

方法です。


かさぶたが気になって仕方がない、はがしたくて仕方がないなら

はがしてください・・ということです。

かさぶたができたらはがす、血を出して痛い思いをする、

2度目、3度目は治りかけていた分もっと痛みを感じますので

何度も何度も繰り返しかさぶたをはがして、何度も何度も痛い

思いをすれば、さすがにイヤになると思います。

もう痛い思いはしたくないと思えるようになるまでかさぶたを

はがし続けるのもいいかと思います。


中途半端にはがすと欲求不満は残りますので徹底的に血が

吹き出るくらい、前の傷よりも大きく傷つけるくらいはがして

(もうはがすというより傷つけるですね)みてください。

そうすれば納得できます。

もういいと思えることができます。

これも重いエネルギー(イヤだと思う、怖いと思う、不安に思う)

から抜ける方法なのです。


誘惑を断ち切る覚悟をするのもいいですし、もういいと本気で

思えるくらいとことんかさぶたをはがすのもいいと思います。

後者の方法は私はあまりお勧めしませんが、

どちらの方法を選んでもそれはあなたの自由です。


もうひとつ方法がありました。

ずっとそこにいるという選択も出来ます。

そこから抜けようと思わず、ずっとそこを楽しむということも

できますね。


どれを選ぶかはあなた次第だということです。

あなたに合った方法でやってみてくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

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「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。



正しい、正しくない、で判断しないでください。

正しいという基準はあなたの外の環境によって

変わってきます。


正しい、間違っている、正義、悪、それは外の

基準なのです。

外の基準は外の状況で変わるのです。


いまは正しいとされていることも、後には間違っていた

ということはいくらでもお聞きになったことが

あると思います。


常識と同じです。

常識も民族や地域や個人によって違ってきます。

絶対に正しいことなどないのです。


正しいとか正しくないとかで判断するのではなく

あなたの感覚で判断してください。

その感覚はあなたの中から来ます。

その感覚は変わらないのです。

その感覚を基準として判断してください。


どうやって?

簡単です。

とてもシンプルです。


好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか、

身体が緩むか固くなるか、なのです。

それがあなたの基準なのです。

その感覚で判断していくと、あなたが本当に(ハートから)

望むことが分かってきます。

そして、あなたが望む方向にスムーズに現実は動いて

行くのです。


ハートの声を無視して外側の条件だけで判断しようと

するからムリが出てくるのです。

気が付かなくても(気が付かないふりをしていても)

あなたは自分がしたくないことはわかっているのです。

でもそれが正しいことだからと思いムリにしようとすると

こころも身体も固くなります。

こころと身体が固くなると感情も出なくなってしまうのです。


そうなると何も動かなくなります。

イヤイヤしていることがスムーズにいくわけがないのです。

それはわかりますね。

本当にこころからやりたくないと思っていることを

ムリにしようとしたとき、頭が痛くなったり、気持ちが悪く

なったりしますね。


このくらい自分がイヤだと思っていると自覚できること

ならばいいのですが、よくわからない(自覚できない)と

言うこともたくさんあると思います。


無意識にイヤなことを受け入れているということも

あると思います。

そういう時はどうすればいいのですか?というご質問には

”いまを感じてください”とお答えしたいと思います。


これをしておけば後が楽になるとか、これはみんながしている

ことだから正しいんだとか、というような思考が出てきたら

身体を感じてください。

身体を感じると”いま”が分かります。


身体がどのような感じになっているか、気持ちがいいか、

すっきりするか、あたたかい感じがするのか、柔らかい

感じがするのか、冷たくなった感じがするのか、固くなった

ように感じるのか、なんだかどこかがモヤモヤするとか

とにかく感じてください。


その時にその感覚を言葉にしないでくださいね。

言葉にしてしまうと感覚が消えてしまいます。

感じるだけでいいのです。

そして、その感じを判断しないでください。

身体が固くなっている・・これはよくない・・などという

判断はいりません。

ただ固くなってるな・・と感じるだけでいいのです。


この感覚を受け取ることに慣れてくると、だんだんハートの

望みが分かってくるようになります。

外の条件、情報で判断することなく、あなたの中の感覚

だけで判断することが出来るようになってきます。


何度もお伝えしますが、ハートの声を聴き、その声で

判断することが出来るようになれば現実もスムーズに

動いていきます。

ハートの声が聞こえると感情が動き、ハートのチャクラを

刺激することが出来るからです。

ハートのチャクラ(詳しくはハイヤーハートというチャクラで

胸腺のあたりにあるチャクラ)が動くことで現実化する

からです。


現実化には感情が必要なのです。

感情のエネルギーが現実化のエネルギーになるからです。

感情のエネルギーはこころと身体が柔らかくないとなかなか

動きにくいのです。


感情のエネルギーを大切にしてください。

そのためには外の情報、環境で判断するのではなく

あなたの中から出てくる感覚で判断するようにしてください。


正しい現実を求めないでください、

正しい現実などないのです。

あなたにとって気持ちがいい現実化どうか、

それだけで判断してください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

先日、叔母が亡くなって葬儀に行って来ました。
涙は一滴も出なかったです。

父が亡くなった半年後の同じ日にちだったから、何だか不思議な感じでした。

それに父の時の葬儀と流れが一緒だったから、一回もう体験していて、棺の中にいる人が違うだけ、みたいなデジャブというか……

叔母さんには、私が子供の頃いじめられていたから、結局一度もお見舞いに行かなかったんだけど、そんな私にとっては苦手な存在だった叔母さんにも、一回り年下の旦那様がいて。

叔母さんが33才の時に、彼は21才で、彼の方から叔母さんに近付いたらしく、お互いに喫煙者だから同じ職場の喫煙所で話すようになったらしいけど。

その当時彼は借金があって、叔母さんは倹約家で、質素な生活をしながら貯金が趣味みたいな人だったから、最初にそれを母から聞いた時は、私も母も若い男性がお金目当てに近付いたとしか思えなかったのです。

で、後にその借金は叔母さんが肩代わりしてあげたって聞いたから、彼は相当なダメ男で、叔母さんは変なヒモ男に引っ掛かって騙されたんだなぁ、バカだなぁって。

でもそれからずーっと同棲状態で、死ぬまで別れずにいたんです。

男からしたら、自分が若い時は、年上の女性は経済力あって良かったかもだけど、年取ってきたらオバサンより若い女性の方がいいって、いつかは逃げてく、叔母さんは捨てられるんじゃないかって私も母も思ってたのに、最後までずーっと一緒にいたんです。

彼より叔母さんの方が経済力あるからか、籍はずっと入れてなかったんだけど、叔母さんが数年前に交通事故に遭った時に、彼がいろいろ面倒見てくれたからって、その時に叔母さんから籍入れようって言ったらしいです。

ずっと私も母もその彼の事は、良いイメージ無くて、借金があったから叔母さんに近付いたって最初の印象からもうダメ男だと思ってたままで、そのまま時が止まってて。

叔母さんが亡くなったら、叔母さんの買ったマンションにそのまま住む訳だし、 残した財産や保険金は全部彼の物だし、正直どう思ってるんだろう?と聞いてみたかったんです。

でも棺に最後、叔母さんの好きだったお菓子や家でよく来ていたリラックス着とか、タバコ二箱、それからライターは入れる事出来ないから、その代わりマッチを入れてあげてたのを見てたら、意外と悪い人ではないのかな?と。

それで焼かれている間、待ち合い室で聞いてみました。
「叔母のどこが良かったんですか?」って。
そしたら、
「小柄で可愛らしかった。」と言うから、いやそれだけではないはずと思って、もっと突っ込んで聞くと、
「声が可愛かった」と。
確かに、甲高くて可愛い声をしているけど、
「正直、お金目当てだったんじゃないですか?」と聞くと、白状して、
「お互いに持ってない同士よりは良かった。」
「やっぱりね!!!叔母さん、変わってるし、気難しいから、お金持ってるからだろうと思った!」と言うと、でも彼にとってはそんな面はなかったらしく、じゃあどうして今まで別れずにいたのか?本当はどんな所が良かったのか?私にはわからない叔母さんの良さを知りたくて問い詰めたら、
「フィーリングが合った。」
そう言われたら、もうそれ以上何も聞けなくなりました。

叔母さんからしたら、ずっと籍も入れられずに、叔母さんの方が養ってるようなもので、しかも最初は借金あった人だったし、それでも死ぬまでずっと別れずにいたのは、お互いに好きだったんだなぁって思ってら、叔母さんの人生は最後まで幸せだったのかも?と不思議と温かい気持ちになった葬儀だったのです。

経済力ある男性で、ちゃんと結婚してくれて、養ってくれて……が幸せかどうかは人によって違いますしね。

叔母さんが倹約家で貯金をしっかりしていた、というのも、叔母さんの良い所でもあった訳で、だから叔母さんのそういう面があったから、彼は叔母さんを選んで、付き合うきっかけになったのなら、それも含めて叔母さんの魅力になってたんだなぁ。
お金目当てとか、そういう見方をしないで、ね。

しかも、彼は母に、叔母さんの財産は全部一人占めせず、母にも分けると言ってたらしく、私は何も彼の事も叔母さんの事も知らなかったんだと思いました。

何だかこの事全てを、全部の登場人物を知っている父に教えたくなって、思わず、
「美代ちゃん(叔母)の旦那さんは、美代ちゃんの可愛い声が好きだったんだって!」
とまずここから父に話し始めようと、無意識に思っていたのだけど
あ、もうお父さんはいなかったんだ……
って、叔母さんの方が先に亡くなったような錯覚してしまっていました。

私は父とも叔母さんとも、しょっちゅう会ってた訳じゃないのに、ふと考えると二人はもういないんだなぁって。

会ってなかったとしても、生きているのと、死んでもういないのとでは、当たり前だけど全然違うんですよね。

そう思うと『人』は物体ではなく『エネルギー』なんだって、何となく思いました。

父にこれを話そう!って思った時、父なら笑って「そうなんだ(  ^∀^)」と聞いてくれる、そんな想像がついて、ほんの数秒間だけど父を感じる(妄想上だけど)事ができて、その数秒後に
「……あ、いなかったんだ」と気付いて、
「そうなんだ(  ^∀^)」
と笑って聞いてくれた父を一瞬感じた事は、有り得ない事、“無い事”だと知った時、その温かい感じ=“エネルギー”は取り消されたような気持ちに。

意味伝わりましたか?
自分でも言葉にするの難しいけど、この気持ちはどうしても言葉にしてみたくて。

だから、私にとって叔母さんはいてもいなくても、どちらにしろ会う事はないし、別に私の人生に関係ないと思っていたのだけど、母は仲良かったから毎日のように電話していて、母との会話やメールの中に「美代ちゃん」という言葉はよく聞いていて、私とは直接会わなくても存在を確認していました。

しかしもう「美代ちゃん」がどうのこうのという話を聞く事はなくなります。

今までは「美代ちゃん」と聞くだけで、子供の頃いじめられた事が同時に思い出されたり、その頃一緒に住んでいたので、母と話したくても、叔母さんが母とよく話していたから、私から母を奪ったような存在で、そんなイメージを纏いながらの「美代ちゃん」でした。

でも、多分この先、母から「美代ちゃん」という言葉を聞いたら、「死ぬまで12才年下の男性に愛されていた美代ちゃん」に新しく更新されたから、嫌なエネルギーはなくなった。

だから、人は全て“エネルギー”なんだなぁって、話でした。

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さっぱり意味が分からないんですけど・・

緊急事態宣言を延期するとか????

もうね、どうでもいいよ・・ってみんな思ってるよね。

だって、みんなシレっとお外に出かけてるもんね^0^


では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します

もっとやってもらってください。

もっとたくさん矛盾したことをやってもらってください。


それはあなた達にとって大きなパワーとなります。

そのパワーを使ってエネルギーの方向転換をしてください。


怒りや呆れなどのエネルギーは大きなパワーを持っています。

そのパワーを彼らにではなく、彼らとまるで反対の方向

(彼らから離れる方向)に行くように使うのです。


惰性で飛んでいるロケットの方向を変えるために燃料を噴射

しますね。

そういう感じで違う方向へ進路を変えるためにそのパワーを

使ってください。


彼らにそのパワーを使ってしまうと反対に彼らに力を与えて

しまう事になります。

エネルギーが向かうところに(エネルギーを注ぐところに)

あなたの現実が出来るのですから。


彼らはそれをしています。

あなた達を怒らせ自分たちにその怒りのエネルギーを向かわせる

ようにしているのです。

そして、求心力を得ようとしています。


しかし彼らはわかっていません。

あなた達の本質を理解できていないのです。

あなた達を軽く見ているのです。


あなた達を簡単にミスリード出来ると思っているのです。

でもそれは表面上の事です。

あなた達は最初はミスリードされました。

でも、あまりにひどい矛盾の数々に次第に反発し始めています。

こころが離れてきているのです。


それは彼らにとって怖い事なのです。

こころが離れるとあなた達はそっと離れていきます。

表立って言葉にしないけど、もういいかなと思います。

そうなると離れるのです。

分かりますね。


いう事を聞かなくなるという事です。

そっと知らん顔をするのです。

それをされるとどんなに大きな声で命令をしても

あなた達が動きませんので何も出来ないのです。


あなた達が社会を動かしているのですから、

社会を実際に動かしていない人がどんなに声高にこうやって

社会をまわしなさいと言ったとしても社会は動きません。


イヤですという言葉を使わなくても実際に動かなければ

何も出来ないのです。

イヤですと面と向かって言われれば何かしら言い返したり

脅したり、なだめすかしていう事をきかせることもできますが、

面と向かって何も言い返すことなくただ従わない人には

何も出来ないのです。

ただ指をくわえてみているしかなくなるのです。


どんなに法律を作ろうともそれは有名無実になります。

名前はあるけど実際は何もないのと同じになります。


ここがチャンスです。

おかしいと感じている人が増えています。

それはあなたも肌で感じると思います。


だからもっとやってもらってください。

どんどん矛盾したことをやってもらってください。

そして、それを冷静に見てください。


彼らは表面上は手を変え品を変えいろいろな事をしますが

基本はいつも同じ手口です。

それが分かれば何か新しい騒動を起こされても、またやってますねと

冷静に見ることが出来ます。


同じ手口です。

それを何度もお伝えしたいと思います。


もっとやれって思って見ていてください。

小さな事に揺らされることなく、また同じ手口ですねと

遠い目で見てください。

近視眼的に見てしまうと揺らされることになります。

広い目、遠くを見る目で見てください。

そうすればまた同じ手口で何かを起こそうとしているのが

分かります。


ある意味、面白がって見てください。

深刻にならないで、手品のタネを見破るような楽しい遊びとして

見てください。

面白がって見ていれば手品のタネはすぐに分かります。

手品のタネは思っているより単純で簡単な事なのです。

なんだこんな程度の事だったのかと思えます。

こんな程度の事に怯えていたんですねと笑う事が出来ます。


楽しかったですと彼らに言い、でももう見飽きましたので

あなた達から離れますね、さようならという事が出来ます。


そうなると彼らはあなた達に手出しが出来なくなります。

影響することが出来なくなります。

それがそっと離れるという事であり、波動領域を変えて

彼らの前から消えるという事なのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

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━━━━━━━━━━━━━━



 動きたくても動けない時は

 まずはここから



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さて。


「やる気がでない」

「動かなきゃと思うけど
 何をすればいいかわからない」

「行き詰まっている」

「もう、どうすればいいかわからない」

こんなこと、長年生きていれば
誰でも多かれ少なかれありますよね。


こんなことが長く続くと
どんどん気が滅入ってしまい
最悪、鬱になったりします(>_<)



では、こんな時
どうすればいいのでしょうか?


今日は、こんな時のおすすめを
いくつか紹介します。



(1)スパルタ系(?)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
まず1つは

「いいから、とりあえず動け!」
というやつ。


人は、最初の動き出し
最初の一歩がどうしても重くなります。


でも、一旦動き出してしまえば
気持ちが乗ってくる(ことがあります)。


これは、心理学的で
”作業興奮”と呼ばれているもの。


これを活用するために、
タイマーをセットして
5分間だけでいいからやってみる。


「5分だけやったら、やめていい」
と決めてやると、気楽に始められます。


私もよくやります。



(2)状態、エネルギー、波動を整える
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(1)のスパルタ系は
単純な作業系にはとても効果的。


ただ

「何をすればいいのかわからない」

という時などは、使いづらい。


こういうときは、まずは
自分の状態、エネルギー、波動を
整えることから始めてください。


エネルギーが低下している状態では

「じゃあ、何から始めよう?」

と考えても、

”良い”アイデアは出てきません。


”悪い”思考はたくさん出てきます^^;

これでは、不安や怖れがどんどん募るだけ...


「下手の考え休むに似たり」の言葉通り。


ここで出てたことを実行に移しても
なかなかうまく行きにくいんです。



そこで、まずはエネルギーを整えます。


これには、たくさんの方法があります。


たとえば、、、

・運動をする
 → エネルギーが動く、心拍数が上がる

・狭い、暗い部屋から出て
 明るい、自然のある公園などに
 出かける(散歩する)
 → 環境によって気分が変わる

・純粋に楽しんでいる子どもを眺める
 ペットと遊ぶ
 → 純粋なエネルギー、喜びに触れる

・信頼できる人、好きな人と話す
 → 自分の中で停滞、凝り固まった
 エネルギーを解放する。

・気分が上がる音楽を聴く

・上を見上げる、視線を上げる


などなど。


他にも

フォーカスを変える、言葉を変える
感謝を探す、掃除をする・・・

など、無数にあります。


大切なのは、あなたにとって
ぴったりな、得意な方法を
いくつか持っておくこと。


あなたの道具箱にも
いくつかのお気に入りを
常備しておきましょう。



こうやって
状態、エネルギー、波動が上がってくると

頭の中のモヤモヤが晴れてきて
”良い”アイデアが湧いてきます。


インスピレーションも
キャッチできるようになる。


━━━━━━━━━━━━━━

アイデア、インスピレーションの
活かし方

━━━━━━━━━━━━━━


ここで、もう一つ大切なこと。



湧いてきたアイデア
キャッチしたインスピレーションは
その場で、すぐに行動に移してください。


”秒で”動いてください。


もちろん、その場で
すべてを完了させることはできない
ことも多いでしょうから

最初の一歩、ベイビーステップでOK。


「よし、あとでやろう!」
というのは、ご法度です。



どうしてかと言えば、、、

まず1つには、「忘れ」てしまって
結局、実行されないことが多い

ということ。


そして、もう一つは
アイデアとかインスピレーションって
”鮮度”が大切なんです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


数日後、数カ月後、数年後
幸いメモを発見しても、

もうやる気が起きなくなってるか
タイミングを逃している

なんてことになる可能性が大。


こうやって、せっかくの
アイデアとかインスピレーションが
実行に移されることなく、死んでいきます。


これは本当にもったいない!


アイデアやインスピレーションを
湧いてきたそばから
全部、即実践していったら
(いい意味で)大変なことになりますよ。


そのときにやってきた波にピッタリの
アイデア、インスピレーションがくるので
”秒で”波に乗ることが大切。


その場で乗らなければ
その波はすぐに消えていきます。


こうやって、せっかくの
アイデア、インスピレーションも

一瞬にして賞味期限が切れて
生ゴミになってしまうので
注意してくださいね。



ということで、今日は


「やる気がでない」

「動かなきゃと思うけど
 何をすればいいかわからない」

「行き詰まっている」

「もう、どうすればいいかわからない」

ときに、是非やってみてほしいこと
を紹介しました。


初めて、花をつけました🌹
どんな花が咲くのかな?


トゲトゲのアロエが、パッと華やかになりましたねおねがい
毎年必ず咲く訳じゃないみたいなので、今年は良いことあるかな?
何しろ、花言葉は『健康』ですからキラキラ
前回の内容の続きです。

私は、ニーバーの祈りを知る前に、宇多田ヒカルの『Wait  & See~リスク~』という歌の歌詞から先に知りました。

“♪変えられないものを受け入れる力
そして受け入れられないものを
変える力をちょうだいよ

 Oh baby, wait  and see~… ♪”

この曲、当時大好きだったので久し振りに歌ってみました。
アレ!?
私、歌えるほど、いつの間にか元気になってる?という驚きと、この曲の歌詞の中に

“♪待つのは得意じゃないけど
決めつけるのは早すぎるんだ
占いなんて信じたりしないで♪”

という言葉があって、ふと最初に相談したメール鑑定の方の内容を思い出しました。

『父の魂は、自分で人生の去り際を決められるようなところがあり、本人の頭ではその意識はなくても、魂がこのタイミングを決めていた。
そして、父の魂は元々あらゆることに執着がない魂で、こういう人は成仏が早い。
認知症が進んできて、自分が楽しめた感覚を感じられなくなってしまってきたから、父の中ではまだ頭がクリアなうちに幕引きしたい、という思いがあった。
それに、これがもう少し遅くなってしまってからの別れだったら、母は体力的にも精神的にも、喪失に耐えられなかった。だから今のタイミングじゃないとダメだったところがあった。』

これは当たっていなかったのだろうか?
電話鑑定の方を通して、父と話した時は、確かに父を感じた気がしたけど、それももちろん“本当”かどうかは確かめようがない。
『死人に口無し』状態なので、もう今となっては、私がピンとくる、府に落ちることが正解になってしまっていて、真実かどうかは別の話になってしまっている。

でも、父が亡くなってすぐにメール鑑定の方に相談して、その内容を読んだ時は、もちろん真実かは確かめようがないけど、少しだけ気持ちが楽になったのは確かだった

 母はとても自分を責めていた状態だったので、私はその鑑定の内容を母にも見せて、安心させていたけど、もしも、亡くなってすぐのタイミングで、電話鑑定の方に父と繋がってもらって、父の本心は母に対して憤りを感じているということを知っていたとしたら、「父はもっと生きたかったのに、可哀想だった」と、もっと更に嘆き悲しんだかもしれない。
母にも、そのことを知らせることはできなかったったと思う。

今、冷静になって思うのは、父の頭の意識と、魂の計画が別々だとしたら、どちらとも正しいとも言える。

もし違っていたとしても、そのメッセージを受け取れたタイミングは、亡くなった直後のショックな状態と、四十九日経った時では、 私のエネルギーは違っていたはずだから、その時の私が、 無理のない歩幅で一段、階段を上れるよう、 手を差し伸ばしてもらえた“天の計らい”だったのかもしれません

亡くなった直後は、死は悪いことではない、という情報を目にすることもあり、そのメール鑑定の方の言葉からも、『死んだ後は解放されて、とても自由になって、自分の思い通りの世界を楽しむことができる。父には悲しさや執着は一切ない。これがあると成仏はできない。』と、これを信じるとしたら、残された側は前を向くしかなくて…。

だけど本人にとっては成仏した方が良いに決まっていても、さっさと気持ちを切り替えて、違う世界へと先立たれていたとしたら、私だけ置いてきぼりのような寂しい気持ちが、日が経つごとに強くなりました。

そして私は、父の本心を知りたくなって、そこで父の母に対する憤りがあったことを知って、逆に安心したのです!

私は私だけが、父という人間をよく知っていて、血が繋がっているから、その“憤り”即ち“母への愛”だと理解できたから。

そして、勝手な解釈だけど、私がそれを知るまでは、どうしたって悲しみや寂しさが付きまとっていたけど、父が私に、その最後の気持ち、綺麗事だけじゃなくて、本当はもっと母といたかったのに、母に従ったばかりにこんな事になってしまった、という複雑な心情を、娘の私には言いたかったから、 ただそれを伝えるまでは、 “悲しさと寂しさ”という感情を通して、何か私にメッセージを送っていたのかもしれません。

父の気持ちを知った後は、あの時ほどの“悲しさと寂しさ”ではなくなったので、自分の本当の気持ちを、相手が理解してもらえれば、癒されたり、スッキリするというのは、亡くなった魂でも同じで、 それで生き返ることはなくても、ただ言いたかった、とか共感してもらえたら楽になって、次に気持ちが向くことができた。そこで、成仏できたのではないか?と思ったりしました。

これも確かめようがないので、天国で再会したら、答え合わせしょうと思います。
なので、もう電話鑑定の方に頼もうという、強い気持ちもなくなりました。

私は良くも悪くも天の邪鬼だから、成仏してると聞いて安心することも、怒ってるからって、気の毒だと思う訳ではなかったけど、(もちろん確かめようがないことをアレコレ言えませんが)一つだけ確かなことに気付きました。

今後、同じように大切な方を亡くして、悲しみのど真ん中にいらっしゃる方に、何て声をかけたらいいかわからないし、霊能者や占いに頼った方が良いとか、文章を書いてみたら良いとも言えないし、「私も一緒に泣きます」だなんて言いません。

ただ信じられることは、きっと、多分?いや、必ず“天の計らい”はあると思います。

今いる場所から、少しでも気が楽になる階段を、一段上れるようになる“何か”が。

父が亡くなってすぐ、宇多田ヒカルの歌は歌えないかったから(笑)、階段は一つ飛ばしじゃなくて、一段一段、自分の歩幅でゆっくりと…。

父の夢を見た後、本当はいないことを実感したら、余計悲しくなる
父と交信できるようになっても、それがもし本当にできていたとしても、父がいないことには変わりはない。
どうしたって、生き返ることはない。

これ以上、悲しみたくなくて、辛さを乗り越えたくて、父と交信したかったのか?
…違う気がする。
いや、多分最初はそうだった。
会えなくたって、父と会話できれば悲しく、寂しくならないはず!?なのに、実際は違った。
ソレとコレとは別なのだ。

魂になってしまった父は、母に対して憤りのような気持ちを持っていたのと同じように、私は父にもっと生きていて欲しかったから、もっと会いたかったからこそ、だから悲しい。
父も、もっと生きたかったから、もっと母と過ごしたかったからこそ、だから母に憤りを感じる。
全て“愛情”があるから。

だからこの“悲しみ”は仕方無い、と悲しみ続けるのも、何だか違う気がする。

私は先日、朝起きた時、急に目眩と吐き気に襲われて、半日動けなかった。
低血圧だから、年に2~3回ある一過性のものとして、あまり気にしていなかったけど、こんな風に体調の変化や、急な不幸の連絡は、避けられないものなんだ。

だけど、自分の頭の中の発想は、いつだって自由なんだから、自分で自分を苦しめる必要はない、とその時寝ながら思った。

“死に様”(残された側からしたら、別れ方)は、誰にも決められないけど、これからの“生き様”はまだ自由に決められる!

ずっーと悲しんでいた方がいい時を経て、父との思い出で、あったかい気持ちになることや、「今までありがとう」の気持ちでいることで、生きていた時よりもずっと強く、父の存在を大きく感じることもできる。
代わりになる人なんて、いないのだから。

三浦春馬さんのドラマ『僕のいた時間』の最終回のセリフで、
「生きているだけの状態で、僕が僕であり続けるにはどうしたらいいのだろう。
そうなった時に僕を支えてくれるのは、それまで生きた時間。
“僕のいた時間”なんじゃないかって。」
という言葉、三浦さんが亡くなった時も、この言葉を思い出しました。
 

最初は、もう三浦さんをテレビで見ることができないんだ、と悲しくなったり「何で?どうして!?」と、三浦さんをチャネリングしている動画を探して、見ることで、心境とか動機を知って、自分なりに納得したかったのもあり(今考えると、父の死後も、同じようなことしていましたね)、改めて三浦さんの素晴らしさを、残して下さった作品の数々の中で知って、作品の中では生き続けるんだなぁと思いました。

そう、だから面識はないけど、勝手に“三浦さんのいた時間”を支えにするように、“父のいた時間”を支えにしょう、と思いました

実は又数日後に父の夢を見たのだけど、それは、父は意識が無く、車椅子状態。
正に、三浦春馬さんの“僕のいた時間”のドラマのワンシーンのような。

夢の中では、母が一緒にいて、父の排泄介助をやっていた。でも、悲観するような雰囲気は全くなく、母はいつも通り父に話しかけて、変わった様子はなく、排泄介助も嫌な顔一つ見せず、当たり前のことのようにやっていた。

いつも通り、呑気で陽気な母のまま、父が受け答えできなくても、一方的に話しかけている姿は、父が生きていた時も、無口な父が、新聞を読んでる時や、野球を夢中で見ていて、母の話を聞いていなくても、お構い無しに話しかける母そのものだった。

意識が無くて、受け答えができなくても、耳だけは聞こえていることもある。
父が死にかけていた時も、母がいつも通り、明るく励ましてくれていた、と電話鑑定の人を通して知ったから、母のおしゃべりは、どんな状態の父にでも届いているはずなのだ。

もし、…もしも、父が即死ではなく、植物人間状態で生き残っていたら、きっとこんな感じになっていたのかもしれない。
私は、職場でそういう方々を見ていたから、お金も手もかかるから、と将来を悲観していたけど、実際父がそうなったら、本当に嫌な気持ちだけになるかどうかは、なってみないとわからない。

特に母は、良くも悪くも私の想像を越える人だから、母の価値観は計り知れない。
その夢を見た後、涙は出なかった。
 
こういう夢を見た、と母に電話したら、
「そうなんだ。お姉ちゃんもお父さんの夢見たって言ってたから、私だけまだ出てこないよ。
この間なんか、お話ししたいから、夢に出てきてよってお願いして寝たら、福山雅治が出てきちゃった(笑)」
「…それはそれで良かったね(笑)」
私は呆れながらも、母が母らしく戻ったことにホッとした。
大丈夫。母は強し!


【ニーバーの祈り】より
“神よ、変えることのできないものを、受け入れる心の平穏を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと、変えるべきものを区別する賢さを与えてください。”


自分に言い聞かせる為に、書きました。