予告編やポスターでは、痛快コメディ系かな?と、テレビでやったら観ようと、『ルックバック』を観る予定だった。

でも『ルックバック』は漫画として読めるし、人の死が入っている内容はあまり観たくないため、急遽『九十歳、何がめでたい』を鑑賞することに。


結果、個人的には正解だった。

多分『ルックバック』は、若い人にぶっ刺さる内容だろう。だけど、『48歳、何がめでたい』と思って誕生日を迎えたばかりの私には、断然コッチだった。


もちろん歳ではなく、好みが関係しているからただの個人的な価値観だけど、作中の『この世の中生きづらいあるある話』にはかなり共感できた。


先日も、銀行で口座開設するのに直接銀行へ行ったら、ネットで予約しないとできなかったり、今は通帳無しでアプリで管理するシステムが主流だったりには、便利であり、面倒なようで複雑な気持ちだった。


スマホがないと何もできないというのは、使い慣れていない人や持っていない人には逆に不便なのだ。


でも、そう思っているのが自分だけではなく、他にもいるだけで、一緒に文句を言えるだけでも元気が出るものなのだ。


作家と編集者という関係だけではなく、『生きづらさを感じている同士』として、思いの丈を言い合えることで、互いに前進していく様にはカタルシスを感じた。


吉川は、ビジネスライクの編集者としてではなく、きっと愛子先生のお困りごと(テレビやFAXを直すこと)を手伝っていたのだろうと思う。愛子先生も、孫の誕生日会に吉川を呼んで、家族のように付き合っていた。


そんなやり取りも、相手が嫌がればパワハラにもなってしまう。きっと若い世代からは疎ましく思われることだろう。


アップデートはもちろん必要。

だけど大切な交流なくして、いい仕事はできないような気もした。


最後の愛子先生のスピーチに、ウルッときてしまった。

それは、最初は「どっこいしょ」と、歳相応にしんどそうに体を動かし、娘の歳もわからなくなっていた愛子先生の大変身。

着物を着て髪もセットして、背筋もしゃんとしてハキハキと軽快に話すように変わっていった、元気の秘訣について。


お年寄りには「ゆっくりして」とは言ってはいけないのだ。

ついていけない『今』に、右往左往しながら、文句を言いながらも頑張って適応させつつ、現役世代に混じって自分も『現役』でいること。


体が元気であれば、自分を奮い立たせることはできる。

私もあと50年?

誰かしらの役に立つ、何かしらができる人間でいたい。




え!?嘘?涙……?すぐ止まるよな、と思っていたので、タオルで拭くこともしなかったら、あれれ……流れる流れる泣くうさぎ


ドラマ版では中学生のお二人が魅力的過ぎて、可愛らしいなぁとニヤニヤしながらもほっこりしながら見ていた。

だけど、二人のやり取りが逆転というか、高木さんが優位に立っていたのが、西片にグッとくることをされたときの(第二ボタン渡された)高木さんの表情にこれまたグッときて、感じ入るものがあった。


映画も同じように、二人のからかい・からかわれるの関係性のままのときは、ニヤニヤが止まらなかったけど、西片の天然がゆえの魅力全開な突拍子のなさは、高木さんが惚れたのもわかる、唯一無二。

プールのシーンや、最後の告白…いや、プロポーズか!


高木さんも最初は人間味ないような、あまり弱みを見せないキャラだったのが、へなちょこパンチでお互いに傷つかないような愛の表現をしていたって、何だか繊細さんだよなぁ。


からかって弄んでいる小悪魔かと思いきや、告白して西片を困らせたくないとか、それならこのままの関係でいるほうがいいとか、普通の乙女じゃん!?


西片はアセクシャルなのか?あまりにも恋愛に疎いけど、やっと自分の気持ちに気づいてぶっ飛んだプロポーズで、あの高木さんを驚かせた逆転劇には、こちらも驚かされた。


中学のときから、いつもからかい返してやろうと策を練るも見破られてしまう、の繰り返しだったけど、何の策略も無しに天然で本気の返しに高木さんと共にこちらもやられてしまう。


ただほっこりする、の上を行く感動を初めて体験した。

今沖縄旅行に来ていて、毎年よく行くお店にはお土産を持ってきていた。……と言っても、旦那さんがそういう贈り物が好きなので彼が買うのだけど。

だいたいのお店は『お返し』のように、一品サービスしてくれる。でも当初はそんなことを期待したつもりのお土産ではなく、純粋に『いつもありがとう』の感謝や、労いを形にしたはずだった。

なので、別に『お返し』していただかなくてもいいし、そもそも『お土産』に『お返し』って必要か?

コロナ禍に、ずっとお店を閉めていた沖縄そば屋さんが復活したときは、そのお祝いも込めてお土産を渡したことがあった。
すると、「沖縄にいる間にまた顔出してください!」と強く言われたので、行ってみると、私たちと同じように誰かからいただいたような贈り物を『お返し』としてもらった。

もちろん本当にそうかはわからないけど、生菓子でしかも賞味期限がかなりせまっているものだった。それをわざわざ買って旅行者に『お返し』してくれるとは、何となく思えなくて……。

もちろん期限切れても美味しくいただいたので文句はない。だけど、私たちも彼女に同じような和菓子をあげたので、賞味期限のある甘いモノをそうたくさん食べきれないというのが本音だろう。

次の年、またお土産をあげると、また同じように「こっちにいる間にまた寄ってください!」と言われて、またも『お返し』なのかと思った。
そのときは、レトルトのアグー豚のシチューやジューシー、ぜんざいを2パックずついただいた。
「帰ったら沖縄を懐かしんで食べてください」と。

前回がいただき物っぽかったので、旦那さんは、「家にあるレトルトを持って来たんじゃないか?」と言っていた。
でも私は、沖縄人が沖縄料理のレトルトを常に常備しているかな?と思うと、わざわざ買ってくださったのかと感じた。
レトルトは嬉しかったけど、帰りの荷物が重くなって微妙ではあった。

今回は、ドリンクのメニューから「好きなの飲んでください!」と言われたけど、私はもともとソフトドリンクは飲まないし、旦那さんも一件目で飲んできたのでお断りをした。
すると、いつも我々が頼むタコライスをサービスにくれて「これくらいなら食べれるでしょう?」って。

2人とも沖縄そばを頼んだ後で、もうこれ以上入らない、お腹いっぱい状態だったので持ち帰って、次の昼に食べることに。

帰り際、とうとう女将さんから「もうお土産は大丈夫ですから」と、笑顔で本音を言われた。
旦那さんは、贈り物が好きなので残念そうだったけど、貰うほうの負担が大きいのなら本来のお土産の意図の逆効果だ。ならいっそ、ないほうが女将さんのためなのだろう。





四年前の家の玄関はこんな感じで、






赤のゼラニウムだけだったのに……






今はピンクしか咲いていないのはナゼ?






もう枯れてしまっていたので、
写真撮っておいて良かった🌸

先月鑑賞したのに、感想を書けないでいたのはあまりにも完璧だったから。

『悪は存在しない』のように、モヤモヤが残ったり「あそこどう思った?」と語り合いたくなる作品ではなく、ただただ素晴らしかった。


これほど嗚咽レベルに泣いてしまった映画は、今までにはない。

言葉にしてしまえば、とっくのとうにわかり切っているはずの正論なのに、映像で見せられると、これほど心に直接染み込むのか……と。


ただ息をしているだけの植物人間状態の老人や、ただ母に迷惑をかけているだけの知的障害の姉にも、優しい目を向けられそうな鑑賞後感だった。


実際は、鑑賞してからだいぶ経ってしまうとそんな気持ちも薄れていくので、まるで薬のようにたまに見返したい作品だ。

濱口監督の映画は、会話劇でテンポよく楽しめるエンタメ的な側面と、作家性の強いアート系映画的な面の両方ある。

私はいわゆる“観客に答えを委ねる”系のよくわからないアート映画は苦手。だから、こんなにモヤモヤさせられるなら観ないほうが良かったと思うくらい、消化不良を味わうのが嫌いだ。

だけど、『悪は存在しない』はせっかく半分以上楽しめていたのに、自分の理解力の乏しさから、あのラストで勝手に台無しにしてしまうのも悔しいというか……。

最後モヤモヤしたものの、私の理解できる範囲内まではかなり興味深かった。
介護福祉士から、芸能事務所に転職した女性に共感した。
彼女の先輩が、まったく畑違いのジャンルに何で転職したのか?と訊いたら、「反動で」と。
何となくだけど、気持ちわかる!

「バランスが重要」的なセリフがどこかで出てきていたから、急激なダイエットはリバウンドしてしまう、みたいに限界を越えると正常な判断ができなくなる、のような。

あと、個人的に良かったのは、あまりにも棒読みの演技の方をずっと観ていたので、説明会の後半に年配女性(「都会の人間は田舎にストレスを捨てに来る」みたいなセリフを言った人)のお芝居がうまくて、もちろん述べていた内容も納得いくものでもあったことも含めて、住民と一緒に拍手したくなったところ。

他の方のコメントでも書かれていた通り、コンサルが悪なのでは?とは思った。
でも、『怪物』と同じで、誰が悪?と探すこと自体が悪なのかな?とも。

そのコンサルだって、生きていくには致し方ないことなのかもだし、描き切れていない面で何かしらあるのだろう。

田舎の人=素朴で善人
都会の人=金儲け
自然や動物=人を癒す
……とは限らない。

元を辿れば、根っからの『悪』はいないのだろう。

それにしても、あのラスト。
フィクションなら、もうちょっと救いようのある内容にして欲しかった。
でもそれも、「どうして?何で?」と思わせるのが目的なのかな?

ここまで不穏なら、良いラストを期待できないと察してはいたものの、それさえ裏切って欲しかった。
なんて、所詮他人が創作した“作り物”に振り回されて、勝手に突き放されるのは何だかバカバカしい。

ラストは考察したい人用に作られた“サービス”であったとして、わざわざモヤモヤしに行く必要はないのかも。

大部分楽しめた会話劇は秀逸だったので、そこが“私用”だったとして、楽しみを見つけることこそ“わざわざ”すべきなのだ。
あまりに評判がいいのと、珍しく旦那さんが観るというので一緒に映画館に。


特撮モノは迫力と臨場感だけで、後に残る余韻なんてないのだろうとまったく期待していなかった。

それがそれが……
素晴らしい作品でした!と、私ごときが言うまでもなく、観た人のクチコミで口を揃えて絶賛中なのだけど。
あえて自分の感想を書かないと、どこかの誰かの感想に被せて自分もそう思ったことにしよう、と自分の手柄にしてしまいそうで。

神木くんの“目”の演技がすごくて、ただただ見入ってしまった。そして三回泣いた。
これで泣かない人っているのだろうか?と思っていたら、旦那さんは一言「クダラナイ」。

彼はゴジラが主役ではないことや、特攻隊なのに坊主じゃないことにも引っかかり、演技もわざとらしい、と挙げたら切りがないくらいのダメ出しだった。

確かにそういったツッコミを入れているコメントもあったし、わからなくもない。でも私はあの手の人間ドラマは好きだし、特撮の迫力モノだと思っていた分、期待していなかったギャップにやられたのもある。

どうせ神木くんと浜辺美波が夫婦かカップルでしょう?美男美女でお似合い!と思っていたのが、違っていたのも良かった。

私はゴジラが主役だったらここまで評価が高くなかっただろうし、何となく見当をつけていた内容と、いろいろ裏切られた(いい意味で)ことが感動を呼ぶのだと思った。

本来はゴジラが主役であるべき、特攻隊は坊主であるべき、等々が真実であろうと、そんなツッコミをする一定数は置いておいていい。私のような無知で普段特撮モノを見ないタイプにはピンポイントで刺さったのだから。

どんな形でも感動した人のほうがお得な気がする。


『君たちはどう生きるか』でも、私はまったく意味がわからず、頭が「?」マークのまま映画館を出て、考察動画を視聴してやっと理解が追い付いたけど、一緒に観に行った母はおもしろかったと言っていた。

単純に絵的に楽しめたのと、声優が有名芸能人ばかりだったからだとか。


母にとっては物語の意味やメッセージより、目に映る印象やミーハー心が満たされることのほうが「おもしろい」のだ。


そう思うと、まず観てもらえる要素(考察しがいがあるとか、キャラクターが魅力的とか、声優が有名芸能人)が多ければ、どれかの網にかかる確率が上がる。 


『ゴジラマイナスワン』は、日本アカデミー賞を受賞している時点で、だいぶ観たい度が上がるし、魅力的な俳優人だし、とにかく評価が高かったことが一番背中を押した。


賛否両論の『否』の側は、視覚的には楽しんだのではないか?と推測する。

ドラマ以外でも、戦闘機好きにはきっとたまらないだろう。


老若男女いろんな人がそれぞれの角度で楽しめる、こんなにサービス精神のある映画をつくってくれてありがとう!と言いたい。




映画を通して女性のPMSを知ってもらう機会になっただけでも、この映画の価値はある。

しかも、これは映画という作りモノの世界だからみんな優しいんだと、『良かったねー、めでたし・めでたし』にしてはいけない。


私もPMSの鬱があり、更年期の症状もあるため、自分の体なのにコントロールできないというのがよくわかる。

ピルを飲んでいた時期もあれば、精神を安定させる薬も試したことがあるから余計に共感しかなかった。


ピルは確かにてきめんによく効いたけど、歳をとってからはリスクがあるから飲めなくなった。安定剤は主人公同様、眠気とダルさが尋常ではないので二度と飲まないことに。


だから、一見『普通』に見えても、内側では『普通』に過ごせないときが私にはある。


しかし今職場では、この作品のような年下の男性の同僚に訳を話して、無理ができないことをわかってもらえている。

夫にも、ホルモンの関係で不安定なときがあるから、家事ができないときもあると伝えたら早速洗い物を手伝ってもらえた。


『優しい世界』はこの『映画内世界』だけではない。

だからなんだなぁ、私はこの映画にさほど感動がなかった。


でも、この作品の存在価値や理由はある。

だって主人公はかつての『私』であり、病気ではなくても大切な人を突然失った悲しみから抜けられない人だって、『普通』に見せても『普通』じゃない人がいるってことを、考えさせてくれたから。


苦しみのまっただ中のときは、自分だけなんじゃないかとか、誰もわかってもらえないのでは……と思うけど、みんな何かしら抱えて『普通』をやっている。


そんな想像力をもらえた。

だから薬に頼れなくなったら、人に頼ることや、自分も(余裕あるときは)手を差しのべたい。

リアル『夜明けのすべて』❗



ただただ、「かわいい」「カッコいい」という、頬が自然に緩む映画って、ずっと観ていられる!

今までは、何かしら考えさせられるようなメッセージ性のある題材が好きだった。
でもそれに基づいているからといって、目を背けたくなるような描写(虐待やいじめなど)があるシーンをみるのに耐えられなくなってしまった。

というのも、最近特に眼精疲労が強くなってしまい、大好きな映画を月1で観るだけでも、その夜は頭痛が酷くなって、吐き気や目眩まですることも。
なので配信で観たほうがまだ楽だと感じる。

それでもやっぱり配信まで待ちきれなくて、映画館で観たい場合は、その後の体調不良を覚悟の上なので、観る映画は後悔ないよう、厳選する。

それでも観てみると、前評判ではわからないもので、残念ながらまったく刺さらず、ガッカリという場合も。
その後の体調不良は、ただただ辛く、映画の選択を間違えた……違うのにすれば良かった……と後悔もしながら「次こそは!」と、どんどん慎重に選択するようになる。

同じ体調不良でも、観て良かった!素晴らしい映画だった!という感動を味わえていたら、プラスマイナスでプラスのほうが多いのだ。

これが体調不良がまったくない若い頃なら、ちょっと興味があるくらいですぐ観に行って、幅広くいろいろなジャンルも観るかも。
でも時間的にも金銭的にも肉体的にも、精神的にも余裕がないと、観て損しない映画にしたいと思ってしまう。

これは文章でも同じで、私も読者の方に「読んで良かった!」と思ってもらいたい。読む労力も使うので無駄な時間を過ごさせたくないと思った。

『カラオケ行こ!』は、内容がわかった上でも、いや、だからこそもう一度観たい、あの気持ちを味わいたいと思える作品だった。
観ている時間が愛おしい。
私を“こんな気持ち”にさせてくれて、ありがとう!という映画だった。