侠客・元女博徒を惚れさせた堅気!東映京都「男の勝負・関東嵐」村田英雄/桜町弘子/北島三郎 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんにちは。

 

 

休み二日目、快晴です。何度か書いていますが「雪寄せの無い楽な冬季」は年齢と共に衰える体力を思えば楽!しかし、降雪が無いと困る方々(スキー場・除排雪業務に携わる会社等々)にとっては死活問題ですし、積雪寒冷地は残雪がダムの貯水量に大きく影響する事も考えなくてはなりません。

 

 

そして、勤務に向かう途中の車内でラジオを聴いていると「年末年始に孫達が雪遊びを楽しみにしているのだが今年はがっかりするだろう」「生まれて初めてのスキーを体験する筈が中止になった」等々の声も…「飯の種」「貯水量確保」以外の視点でもこの暖冬を喜んでは受け入れられない方々が案外多い事に気付かされました。

 

 

 

さて、令和2年2月から、日本映画専門chでは東映chとの共同企画で「村田英雄劇場」が開始となります。2月は東映作品・日活作品其々一作品ずつの放映が予定されていますが、恐らくこの二社の出演作品が中心となるでしょう。

 

 

ですから本日は、この企画で放映されるか現時点では不明かつ確実視は出来ませんが(可能性は高いと思います)此方の作品を…

 

 

 

「男の勝負・関東嵐」(「男の勝負シリーズ」第三弾)昭和42年9月18日公開・高田宏治脚本・山下耕作監督・東映京都制作。

 

 

未VHS/DVD化作品で有料動画配信も行われてはいませんが、東映chでの放映実績はここ数年間でも複数回在りました。

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

大正末期の静岡・三島が舞台。

 

 

東海道線の車中で「一旗揚げたい!」と九州から裸一貫・無一文で東京に向かっていた村田英雄が車掌の小島慶四郎に無賃乗車を咎められている所を、三島の老舗一家の親分の菅井一郎が「飾り気の無い所に惚れた」と乗車賃を渡します。

 

 

しかし村田の御大は「人の施しは受けとうなか!」と突き返しましたが、それに対し菅井さんが放った言葉は「人の親切を綺麗に受けられないと、何処に行っても立派な人間にはなれない!」村田の御大は考えを改め謝罪と感謝の言葉を発し、同時に「借金を抱えたままで東京には行きたくはない。働き口を世話して欲しい」と懇願し、菅井さんが率いる材木卸業の一員として携わる事となるのです。

 

 

此処の職工の中には一人、問題児が…それは「菅井さんの一家の元・右腕であったが、田崎潤率いる菅井さんの敵対組織の客分であった遠藤辰雄(後の遠藤太津朗)に殺傷された」待田京介の実子で菅井さんの養子・近藤正臣。

 

 

「頭は子供のままで身体だけ大人」であった為「作業場では安全最優先を完全無視」「京さんが近藤さんの将来を考えて貯めていた預貯金を酒と女に浪費」更に「京さんの仇討ちを全くしようとはしない菅井さんの行動・思考」も未だに理解出来ぬ状態(手打ちの際には仲裁人の顔を立てるのが侠客の掟である事を、京さんの逝去時に幼少であった近藤さんは理解が出来ず、その思考のまま大人になった為)。菅井さんは村田の御大に近藤さんの成長を託し「ワシはボン(=近藤さん)と友達になりますけん!」と快諾します。

 

 

初めは何もかもが上手くは行かぬ状態でしたが「親子の杯を受けてはいなくても、田崎さんの目の前でエンコ(=左手の小指)を自ら詰める程、侠客道の申し子とも言える度胸と生き様を見せる村田の御大」に心底惚れ込み、或る時には人生最大の危機を回避させる切っ掛けを与えてくれた恩義も重なって近藤さんは回心し、心機一転「侠客道の修行」の為に恋仲であった橘ますみを三島に残し、先述した「京さんの殺傷事件」の際に仲裁人の代理を務めた池部良に連れられて東京に向かいます。同時に村田の御大は一家に生涯を捧げる事を決心し、正式に菅井さんの杯を受けるのです。

 

 

そして「村田の御大の行動の一部始終」を目の当たりにしていた「元・女博徒で背中に我慢(=刺青)を背負う男嫌いで通っていた居酒屋の女将」桜町弘子を惚れさせ、同棲を始めたその日に関東大震災が発生!近藤さん・池部さんの無事は確認が出来ましたが、この未曾有の事態は「建築資材・線路の枕木等々の需要逼迫による木材の急激な高騰」に繋がり、再び「菅井さんVS田崎さん」の衝突へと突入して行くのです。

 

 

尚、この流れと同時進行で「エンタツさんとその兄貴分の池部さん・ムショ兄弟の北島三郎との関係」が描かれていますが「エンタツさんと徐々に距離を取り始める池部さん、エンタツさんの思考・行動等々に不信感を持ち始めるサブちゃん…このお二方の心情変化」「素直…ではなく、善悪の判断が付かぬ上に自分本位なのか?元の親分よりも田崎さんを親分と慕うエンタツさんの極悪非道振りと見事な二枚舌」が見所となります。

 

 

 

 

 

 

助演として鶴田浩二・高倉健等々が主演を務めた東映仁侠映画作品群に最初期から出演をしていた村田の御大を主演に迎えたシリーズ作品ですが「貫禄十分の身形・浪曲で鍛えた図太い地声」が仁侠作品群の雰囲気に嵌まりに嵌まっており、サブちゃんが主演を務めた東映京都制作「兄弟仁義シリーズ」が「若気の至りとその後の成長過程・すばしっこい小気味良さが身上」だとすれば「男の勝負シリーズ」は「侠客道の正道を貫き、貫禄で見せる重厚感が身上」…「鶴田浩二主演作品と高倉健主演作品の雰囲気の違いを、歌手であるサブちゃんと村田の御大に置き換え、新たな魅力と個性で描いた仁侠映画群」と言えば雰囲気を掴んで貰い易いかと思います。

 

 

鶴田のおやっさんには及ばないものの「当作公開時点での村田の御大の我慢芝居は、健さんよりも雰囲気や味が出ていたのでは?」と思わせる程ですし、公演等々に於いてファンと接する事が日常茶飯事である為か、村田の御大を含めて「歌手の芝居は観客目線(又は視聴者目線)の掴み方が本職の俳優以上と思わせる事」が多々(これは演歌歌手・アイドル歌手・フォーク歌手等々種別を問いません)かつ、村田の御大・サブちゃん共にその例に漏れず。

 

 

後に「二枚目俳優の代表格」(しかし素顔は三枚目でその落差がまたいい!)となる近藤さんはこの頃、東映京都撮影所の制作作品に多数出演をされているのですが、その殆どは「世間知らずの小生意気で、何事に対しても突っ張って生きているものの、心の奥底には寂しさを抱え、愛情に飢えている本当は素直な小心者」当作品の役柄も同様の雰囲気かつ「芝居経験が浅い中でも「この類の役柄を与えるならばこの役者がいい!」と云う信頼を既に得ていたのか?」と感じさせますし「新たな魅力の発見に新鮮さを覚える方々も多いのでは?」と思います。

 

 

そして村田の御大に惹かれる程に自らに対し素直になって行く弘子さんの心情変化」「東映ファンやボンクラ野郎が好む恋愛過程の描き方=男が女を惚れさせる姿そのもの」ですし「善玉=菅井さん・悪玉=田崎さんと云う適任そのものの親分役」「近藤さんの反面教師としての役割を十二分に果たしたかの様に感じさせる、灰汁の醸し出し方が絶妙であったエンタツさんの極悪非道芝居」は、鑑賞される方々によっては本篇の推移以上に食い入る可能性も在るかと…

 

 

 

この作品は、生前に鶴田のおやっさんがお話をされていた「仁侠道(=侠客道)とは人間が守るべき正常の精神そのもの。人が人に対して思い遣る心を持つ。人との義理・契約を守る。先輩に対して礼を尽くす。正邪を賢く見極める。人が人を裏切らない」を端的ながらも深く描いていますし、先述した「老若男女を問わず、全日本人が生まれながらに持ち合わせている侠客道を解り易く教えている側面」を感じさせる、万人向けの東映仁侠映画。

 

 

鶴田のおやっさんが主張した通りの生き方を俺は出来てはいませんし、今ではこの考え方を常に念頭に置いてはいるものの到底足元にも及んではいません。しかも、最期に「侠客道を或る程度身に着けた人生だった」と自ら言えるか、周囲に言って貰えるかも未知数…「侠客道を完遂している人間」は現在も今後も極僅かでしょうし、過去を振り返っても「侠客道を完遂した人間」は数える程かと思います。

 

 

しかし、何時も当方の記事で書いている通り「侠客道の一欠けらでもいいから日常生活に生かしていれば、重箱の隅を穿る事が当たり前となってしまった現代が少しは好転する」と確信をしています。同時に「堅気の衆が侠客から学ぶべき事は本当は膨大に存在する事」を、特に若年層には知って貰いたいですし、東映仁侠映画作品群を始めとする、各社が競う様に制作した「昭和期のアウトロー作品群」を日常的に鑑賞する方が一人でも多く生まれる事を日々願っています。