吾郎から、「英検って、受かったら何かもらえるの?」って聞かれて。
「うん。賞状みたいなの、もらったよ。」って、2級の合格証を見せようと、引き出しを開けてごそごそやってたら。
古い日記が、何冊も出てきました。
結婚時代の日記。
内容は、主に吾郎の成長日記。
・・・のハズだったんだけど。
一郎さんの言動や、一郎さんに対する私の疑念など。
どちらかというと、あまりHAPPYな内容ではありません。
前ブログ『妻が夫を捨てるとき 』の中でも、確かこれらの日記が登場したんじゃないかな。
調停がうまくいかず、もしも裁判になったら、この日記は証拠として提出しようと思ってました。
それくらい、内容は、ドロドロしたものでした。
吾郎から、見せて欲しいって言われて。
かなり迷ったけど、見せてあげた。
と言っても、かなりの量があるし。
子供には見せられない内容も多いので。
ほんの、一部だけね。
<<2003年の日記。(吾郎1歳半~2歳)>> 一部を抜粋します~
●1月2日
今日で吾郎は1歳半。
バイバ~イと言いながら、手を振るようになった。
なかなか寝付けなくて。
森のくまさんを何度も歌ってあげた。
22時頃、やっと眠った。
お風呂で数を数えることを覚えた。
●1月12日
最近、吾郎が夜遅くまでなかなか寝てくれない。
パパは先にグーグー寝てる。
私がイライラすると、冷たい目で見る。
感じ悪い。
母親の苦労も分かってほしい。
この頃、吾郎の寝かしつけにかなり苦労している内容の日記が多く。
なかなか寝てくれないことが、相当なストレスになっていた模様。
寒い時期だし、外で思い切り身体を動かすことができず、吾郎も早い時間にぐっすり眠れなかったんでしょうね。
このくらいのこと、今となってはどうってことないけど。
初めての子育てをしていた私としては、かなり参っていたみたい。
けっこう、「キーーーッ!」ってなってたっぽい(笑)
●2月13日
今朝、お風呂からあがってきて、いきなり、「辞表出すから」と言い、そのまま支度をして会社に行ってしまったパパ。
はっ?なに?なんだか知らないけど、怒ったような感じで出て行った。
夜も、何の連絡もなしに帰ったのは午前1時過ぎ。
飲んできたらしいけど、すごく不機嫌で、誰と飲んだか聞いても、「誰でもいいやんか!」だって。
ムカつくわ~。
なんでケンカごしなんよ。
心配するようなことは何もないって言ってたけど。
この先不安よ。
●2月14日
今朝も怒ったようにして出て行った。
私に何か怒ってるのかな。
夜は午前0時少し前に帰ってきた。
就職情報誌を黙々と読んで、あまり話そうともしない。
バレンタインのチョコをあげたけど、どうでも良い・・・といった風。
こういう態度を取られても、怒る気にもなれず。
なんか、もう、どうでもいいや。
●2月17日
今日は会社休みのはずなのに、13時から会議があると言って10時頃家を出た。
戻ってきたのは、19時。
タバコの臭いをプンプンさせて帰ってきた。
夕方TELしたけど出なかったし。
もしかしてパチンコ?
だいたい本当に会議だったのかも分からないし。
お金は全然持ってなかったのに、帰ってきたら7千円に増えてた。
定期券を買うはずだったのに買ってなかったから、会社に行ってないんじゃないかと思う。
とにかくこの頃いつもと違う。
疑い始めたら、すべて怪しく見える。
私はどうすれば・・・
●2月18日
今日もまた飲んできた。Nさんと。
終電よりは早かったけど。
また1人、辞める人がいるらしい。
自分も早く辞めないと・・・って、焦っているんだろう。
辞めれば?って言ってやった。
私は何も考えられなくなってきた。
だから、どうでもいいや。
もし仕事辞めて、生活できなくなったら・・・
離婚も、選択肢のひとつか・・・
彼を信じられなくなった時、愛せなくなった時、別れよう。
●2月20日
今日、サラ金(090金融)みたいなところからパパ宛てに封書が届いてた。
もしかして、また・・・
一気に胃が痛くなった。
問いただすべきか・・・
聞いても、本当のこと言うはずないし。
今日も飲んで帰ってきた。
Sさんと。
午前0時過ぎに戻ってきたけど、あまり話さなかった。
飲んでウサ晴らしするのは勝手だけど。
家族を犠牲にするのはやめてほしい。
この頃の一郎は、毎日帰りが遅く、ほとんど飲んできてた。
仲良しの同僚が、会社を辞めることになって。
辞める理由が、会社への不満とか不審とか、そういうのだったんだと思う。
一郎も一緒になって憤慨し、自分も辞めたい気持ちになっていたんでしょう。
でも、家族がいるので簡単には辞められないし・・・
というところで、私に対して、「お前たちがいるから、辞めたくても辞められないんだ!」という不満をぶつけていた時期です。
子供が1歳半~2歳って、すごく手がかかるし、大変な時期。
なのに、子供とお風呂に入ったり、夕食を一緒に食べるでもなく。
毎日飲み歩いてた。
休みの日も、「仕事」とウソをついたり「床屋へ行く」とウソをついたり。
なんとか理由をつけて、出掛けてた。
行先はたぶん、パチンコ。
毎日飲んで、休みの日にパチンコして・・・
そのお金はどこから?
小遣いの範囲を超えてるのは、簡単に想像できます。
借金しかないですよね。
あの人との結婚生活は、こういうのの繰り返しでした。
日記読んでたら、「床屋へ行く」っていう記述が多くて。
何回床屋行くんだ?って、吾郎と笑っちゃいました。
しかも、いつも嘘で、髪の毛短くなってなくて。
床屋代でパチンコして帰ってきてたんやね。
しょうもない。
1月~2月を読んだだけでも、これだからね(苦笑)
この先、ドロドロが加速していきます。
もう、吾郎にはとても見せられない。
そう思って、「はいはい、もう終わり~」と言って、日記を閉じました。
吾郎は、もっと読みたいって言いましたが。
私が耐えられなかった。
ごめんね。
なんか、こんなん見せて。
教育上、あんまりよくない気がする。
って言うと、
いや、いいよ。
お母さん、かわいそうやね。
ぼくも。
普通さ、お父さんが休みの日って、動物園に行ったり、家族ででかけたりするもんやないん?
なによ、床屋ばっかり行って。
ぷっ。ホントや。
また今度ゆっくり見せてよ。
ぼく、見たいよ、もっと。
う~ん。
そうやねぇ~。
この日記は2003年のものなんだけど、2003年というと1度目の借金が発覚した2年後です。
離婚するしないって話になって、子供も小さいし、もう一度やり直そうってなった後ですよ。
この後もずーっと、2008年まで借金に悩まされ続けるわけなんですが。
当時の日記を読んで思ったんだけど、読めば「ああ、こんなんだったんだな。」って思い出すこともあるけど、ほとんどのことは忘れてしまってる。
いや、忘れてはないけど、思い出すことがないんですね。
それだけ、私の心の傷も、すっかり癒えてしまったってことでしょうね。
今が幸せだから、こんな日記読んでも、笑っていられるけど。
今が幸せじゃなかったら、「こんな人でもいいところあったし、別れなきゃよかった。」とか思うのかな。
ふん。。。
想像もできんけど(笑)