豪華作詞作曲家が楽曲提供(笑)
新曲の曲紹介のフレーズ。
何が豪華なんだろう。
聞いてもピントこない。
小室哲哉、つんく♂の作曲、作詞だから、必ずヒットするわけも無い。
せいぜい、つかの間のブーム。
消費者は作詞作曲者がCD買う基準じゃないぞ。
KARAの曲なんか誰が作詞作曲って知って買っていないだろう。
完全な曲の評価と彼女たちのビジュアルだろう!
いまだに、楽曲内容で勝負できない業界。
誰がどう歌ってそれが追う伝わるかが購買の要因だよね。
表現が悪いが、小室哲也の名前出して曲売るより、
どんなに無名であろうが、嵐が歌ったほうがヒットする。
アイドルや歌謡界って醜い売名行為と地位と名誉ほしさに醜い風習を誇示するんだね!
作曲家、作詞家の評価は、歌ってくれた歌手の評価の結果なんだよね。
それは、ファンの評価があってこそ!
まず感謝ができないのが業界人てか?
歌謡曲制作者の差別意識
>伝わる力のある歌の前には、歌手はただのフィルターにすぎない。歌の力は、歌手を超えたところにあるのだ。
歌謡曲に携わる連中の中に、確たる差別意識がある。
酒井氏の発言に読み取ることができる。
歌謡曲に於いて作詞家、作曲家を「先生」と呼ぶ風習がある。
まして、プロデューサーは絶対権力者意識だろう、バブル時代のテレビ局のプロデューサーの傲慢な態度が、その後芸能人から暴露されている。
作曲家や作詞家を「先生」と呼んで、呼ばれて、権力の一端にいると自己満足しているのは、歌謡界だけだろう。
特に、演歌やアイドルの分野ではこの差別意識の頂点に座っていると自己満足している輩が多い。
ニューミュージック、フォーク、ロック等では、作詞、作曲、演奏、歌唱をすべて自分たちで作りあげるため、この封建的ピラミットは形成しにくい。
クラシックでも作曲家を先生とは呼ばない。演奏家、指揮者、作曲家すべて対等な位置にいる。
例え指揮者であれ、オーケストラに嫌われればその評価は落ちる。
すなわち、歌謡界では、曲を作る人、つまり、作曲家、作詞家が偉い地位に最初からすわる。プロデューサーはその上に鎮座する。
歌う歌手は商品(楽曲)普及の媒体(フィルター)とし考えていない。
自分たちが育ってやったんだって傲慢な考えがある証拠だ。
その、のもとしての扱われ方に疑問をもった代表が、キャンディーズであり、南沙織であり、山口百恵であった。
ピンクレディもそう、多くのアイドルが悩んだはず。
彼女たちはプロ根性などと言うもので歌を歌っていたわけではない。それすら考える時間もなく、歌っていたのだ。
キャンディーズのセンター荒そいに、プロ根性などと、彼女たちが思って歌っていたわけではないだろう。
それくらい、忙しさの中で自分たち自身さえ失いかけていたのだ。
アイドルがプロ根性でアイドルをしていたのはどれくらいいるのか?
殆ど、商品として、「歌手はただのフィルターにすぎない」という、差別意識の底辺として扱っていたという意識が、この発言にみえる。
アイドルがいるから、はじめて、作曲家作詞家が食べていけた、アイドルに盾に生活を始めた一番手だろう。
まだ、この業界は自分たちが一番偉いと思っているんだろう。かなしい、遺産だね。
酒井氏のピラミッドは
プロデューサー>作詞、作曲家>編曲、演奏家>エンジニア>歌手
つまり。
制作責任者>楽曲製作者=楽曲・・・・(フィルター)・・・・>歌手
という身分社会が形成されているのだろう!
歌謡曲に携わる連中の中に、確たる差別意識がある。
酒井氏の発言に読み取ることができる。
歌謡曲に於いて作詞家、作曲家を「先生」と呼ぶ風習がある。
まして、プロデューサーは絶対権力者意識だろう、バブル時代のテレビ局のプロデューサーの傲慢な態度が、その後芸能人から暴露されている。
作曲家や作詞家を「先生」と呼んで、呼ばれて、権力の一端にいると自己満足しているのは、歌謡界だけだろう。
特に、演歌やアイドルの分野ではこの差別意識の頂点に座っていると自己満足している輩が多い。
ニューミュージック、フォーク、ロック等では、作詞、作曲、演奏、歌唱をすべて自分たちで作りあげるため、この封建的ピラミットは形成しにくい。
クラシックでも作曲家を先生とは呼ばない。演奏家、指揮者、作曲家すべて対等な位置にいる。
例え指揮者であれ、オーケストラに嫌われればその評価は落ちる。
すなわち、歌謡界では、曲を作る人、つまり、作曲家、作詞家が偉い地位に最初からすわる。プロデューサーはその上に鎮座する。
歌う歌手は商品(楽曲)普及の媒体(フィルター)とし考えていない。
自分たちが育ってやったんだって傲慢な考えがある証拠だ。
その、のもとしての扱われ方に疑問をもった代表が、キャンディーズであり、南沙織であり、山口百恵であった。
ピンクレディもそう、多くのアイドルが悩んだはず。
彼女たちはプロ根性などと言うもので歌を歌っていたわけではない。それすら考える時間もなく、歌っていたのだ。
キャンディーズのセンター荒そいに、プロ根性などと、彼女たちが思って歌っていたわけではないだろう。
それくらい、忙しさの中で自分たち自身さえ失いかけていたのだ。
アイドルがプロ根性でアイドルをしていたのはどれくらいいるのか?
殆ど、商品として、「歌手はただのフィルターにすぎない」という、差別意識の底辺として扱っていたという意識が、この発言にみえる。
アイドルがいるから、はじめて、作曲家作詞家が食べていけた、アイドルに盾に生活を始めた一番手だろう。
まだ、この業界は自分たちが一番偉いと思っているんだろう。かなしい、遺産だね。
酒井氏のピラミッドは
プロデューサー>作詞、作曲家>編曲、演奏家>エンジニア>歌手
つまり。
制作責任者>楽曲製作者=楽曲・・・・(フィルター)・・・・>歌手
という身分社会が形成されているのだろう!
「時代のサカイ目」
某掲示板に掲載の講演報告。
少し、奇麗事で反論したくなった。
> 伝わる力のある歌の前には、歌手はただのフィルターにすぎない。歌の力は、歌手を超えたところにあるのだ。
さて?被災地の長渕剛、アミューズ、サントリーなどの復興支援などの歌を例にしている。
たとえば、私が長渕剛「とんぼ」をいくらうまく現地で歌ってもさして役立たない。
「とんぼ」を歌うからといって、無名の私が歌っては、その歌のレベルに関せず邪魔になるだけだろう。
逆に長渕剛が他の歌手の持ち歌を歌ってもそれはそれで歓迎される。AKB48の歌を振り付けで歌おうと関係ないだろう。
つまり、その歌手の魅力が優先するわけだ。
歌の力は歌手を超えてそう安々とは伝わらない。
歌は歌手の伝達手段なのだ。だから、持ち歌っていうんだよね。
南沙織の「17才」を超えることはそう安いことではない。
もちろん、長渕剛の「とんぼ」を超えて歌うこともたやすいことではない。
もし、それを簡単に超えるというなら、歌手の満目が無い。
特に世俗的音楽、いわゆる大衆音楽は、その歌った歌手の印象で世に伝わっているんだよね。
だから、被災地でその思い出の歌手が来てくれたことでその曲や時代が心によみがえり支えとなる。
歌だけが一人歩きで人の心に伝わっているんじゃないよ!
歌手のエピソード記憶とともにあってより大きく伝わるんだよ。
歌手がただのフィルターってしか見れないのは、歌手を歌で儲ける媒体としか意識していなかったってことじゃないか?
何様って思う!
それが、大衆へ歌を伝えた歌手の誇りなんだよ。
少し、奇麗事で反論したくなった。
> 伝わる力のある歌の前には、歌手はただのフィルターにすぎない。歌の力は、歌手を超えたところにあるのだ。
さて?被災地の長渕剛、アミューズ、サントリーなどの復興支援などの歌を例にしている。
たとえば、私が長渕剛「とんぼ」をいくらうまく現地で歌ってもさして役立たない。
「とんぼ」を歌うからといって、無名の私が歌っては、その歌のレベルに関せず邪魔になるだけだろう。
逆に長渕剛が他の歌手の持ち歌を歌ってもそれはそれで歓迎される。AKB48の歌を振り付けで歌おうと関係ないだろう。
つまり、その歌手の魅力が優先するわけだ。
歌の力は歌手を超えてそう安々とは伝わらない。
歌は歌手の伝達手段なのだ。だから、持ち歌っていうんだよね。
南沙織の「17才」を超えることはそう安いことではない。
もちろん、長渕剛の「とんぼ」を超えて歌うこともたやすいことではない。
もし、それを簡単に超えるというなら、歌手の満目が無い。
特に世俗的音楽、いわゆる大衆音楽は、その歌った歌手の印象で世に伝わっているんだよね。
だから、被災地でその思い出の歌手が来てくれたことでその曲や時代が心によみがえり支えとなる。
歌だけが一人歩きで人の心に伝わっているんじゃないよ!
歌手のエピソード記憶とともにあってより大きく伝わるんだよ。
歌手がただのフィルターってしか見れないのは、歌手を歌で儲ける媒体としか意識していなかったってことじゃないか?
何様って思う!
それが、大衆へ歌を伝えた歌手の誇りなんだよ。