歌謡曲制作者の差別意識 | 負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY

歌謡曲制作者の差別意識

>伝わる力のある歌の前には、歌手はただのフィルターにすぎない。歌の力は、歌手を超えたところにあるのだ。

歌謡曲に携わる連中の中に、確たる差別意識がある。
酒井氏の発言に読み取ることができる。

歌謡曲に於いて作詞家、作曲家を「先生」と呼ぶ風習がある。
まして、プロデューサーは絶対権力者意識だろう、バブル時代のテレビ局のプロデューサーの傲慢な態度が、その後芸能人から暴露されている。

作曲家や作詞家を「先生」と呼んで、呼ばれて、権力の一端にいると自己満足しているのは、歌謡界だけだろう。
特に、演歌やアイドルの分野ではこの差別意識の頂点に座っていると自己満足している輩が多い。
ニューミュージック、フォーク、ロック等では、作詞、作曲、演奏、歌唱をすべて自分たちで作りあげるため、この封建的ピラミットは形成しにくい。

クラシックでも作曲家を先生とは呼ばない。演奏家、指揮者、作曲家すべて対等な位置にいる。
例え指揮者であれ、オーケストラに嫌われればその評価は落ちる。

すなわち、歌謡界では、曲を作る人、つまり、作曲家、作詞家が偉い地位に最初からすわる。プロデューサーはその上に鎮座する。
歌う歌手は商品(楽曲)普及の媒体(フィルター)とし考えていない。

自分たちが育ってやったんだって傲慢な考えがある証拠だ。
その、のもとしての扱われ方に疑問をもった代表が、キャンディーズであり、南沙織であり、山口百恵であった。
ピンクレディもそう、多くのアイドルが悩んだはず。

彼女たちはプロ根性などと言うもので歌を歌っていたわけではない。それすら考える時間もなく、歌っていたのだ。

キャンディーズのセンター荒そいに、プロ根性などと、彼女たちが思って歌っていたわけではないだろう。
それくらい、忙しさの中で自分たち自身さえ失いかけていたのだ。

アイドルがプロ根性でアイドルをしていたのはどれくらいいるのか?
殆ど、商品として、「歌手はただのフィルターにすぎない」という、差別意識の底辺として扱っていたという意識が、この発言にみえる。

アイドルがいるから、はじめて、作曲家作詞家が食べていけた、アイドルに盾に生活を始めた一番手だろう。

まだ、この業界は自分たちが一番偉いと思っているんだろう。かなしい、遺産だね。


酒井氏のピラミッドは

プロデューサー>作詞、作曲家>編曲、演奏家>エンジニア>歌手

つまり。

制作責任者>楽曲製作者=楽曲・・・・(フィルター)・・・・>歌手

という身分社会が形成されているのだろう!