「時代のサカイ目」 | 負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY

「時代のサカイ目」

某掲示板に掲載の講演報告。
少し、奇麗事で反論したくなった。

> 伝わる力のある歌の前には、歌手はただのフィルターにすぎない。歌の力は、歌手を超えたところにあるのだ。

さて?被災地の長渕剛、アミューズ、サントリーなどの復興支援などの歌を例にしている。

たとえば、私が長渕剛「とんぼ」をいくらうまく現地で歌ってもさして役立たない。
「とんぼ」を歌うからといって、無名の私が歌っては、その歌のレベルに関せず邪魔になるだけだろう。

逆に長渕剛が他の歌手の持ち歌を歌ってもそれはそれで歓迎される。AKB48の歌を振り付けで歌おうと関係ないだろう。

つまり、その歌手の魅力が優先するわけだ。
歌の力は歌手を超えてそう安々とは伝わらない。
歌は歌手の伝達手段なのだ。だから、持ち歌っていうんだよね。

南沙織の「17才」を超えることはそう安いことではない。
もちろん、長渕剛の「とんぼ」を超えて歌うこともたやすいことではない。

もし、それを簡単に超えるというなら、歌手の満目が無い。

特に世俗的音楽、いわゆる大衆音楽は、その歌った歌手の印象で世に伝わっているんだよね。
だから、被災地でその思い出の歌手が来てくれたことでその曲や時代が心によみがえり支えとなる。

歌だけが一人歩きで人の心に伝わっているんじゃないよ!
歌手のエピソード記憶とともにあってより大きく伝わるんだよ。

歌手がただのフィルターってしか見れないのは、歌手を歌で儲ける媒体としか意識していなかったってことじゃないか?

何様って思う!


それが、大衆へ歌を伝えた歌手の誇りなんだよ。