負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY -149ページ目

二科展


201509090211000.jpg 昨日東京から帰ってきた。残念ながら諸事情により、演奏会が中止になり、暇ができた。

いいや、たとへ暇でなくても行ってみたかった「二科展」


国立新美術館、って乃木坂駅に直通なんだね。


何人か芸能人が入選しているけど、うまいのか下手なのか?


一度実物を見てみたいと思っていた。ちょうど、上京時に二科展開催中とのこと。


ざっとした感想は、「この程度か・・・・」


つまり、これで食べていけるほどの作品は見られない。

って言う、技術力。


二科展に入選っていうのは、なんとなく経歴として認められるのだろうけど、

何度入選しても評価は上がらないんだろうね。入選どまり。

逆に何十回入選したとして、それは、亜ある程度の回数から、評価が下がる気もする。


つまり技術の向上がないのかなって・・・


画家の世界のことは良く分からないけど、何々会会員とかあるけど、

結果、一般に評価されなきゃ、価値もないし値もつかないんだろうねって思う。


画家って、ミュージシャンと同じでピンキリなんだろうし、

また、油絵とか日本画とか極めると。世の中に評価され残るってほんの一握りなんだろうね。



二科展ってそういう卵のような人なのかなあ・・・

あれで、「画家です」と名乗れるほどの権威とも思えない。



世界は違うがやっぱり厳しい世界なんだろうって思う。



工藤静香の油絵や乃木坂46の若月佑美のデザインも

今もそのレベルと、今はそのレベル。




なかなか、制作者の顔を知らないから、どんな状況で制作したかもわからない。

迂闊な批判もできないけど、本気で生業と考えている人たちにとっては

厳しい世界だと察する。


頑張ってほしいね。自分の鏡にも見える。


小室哲哉、佐野氏問題受け「産みの苦しみ感じた」え”っ!?

 小室は先月19日にツイッターでエンブレムの話題に触れ、「音楽とは全く異なるけれど、僕も、僕にも音楽家たちは何の、どこにインスパイアされたと明確に言及する事は多い。芸術は感化の積み重ね。突然、無からやって来る事はあり得ない」(日刊スポーツ)


「インスパイア」などという言葉は、盗用の逃げ口上にすぎない


確かに芸術は感化の積み重ね、突然やって来ることはない。しかし、


私は、感化され、分析し自分の中で把握し、自分のものとしたうえで、それをあえて避ける。

自分のものとした技術に新たな何かを加えなければオリジナリティはない。


突然やってこないからといって、感化されたものをコピペで成り立つのが、コンピューター上で作られる音楽。

小室哲哉のやっている音楽の音源は自から作った音源ではない。

コンピュータ上で組まれた音であり、サンプリングされた音源であり、機械が発する音である。


人の手で鳴らされた音はほとんどない。唯一、ボーカルくらい。


自らが奏でた音であれば、人が奏でた音であれば、決して同じ音にはならない。

作曲者も演奏者も音楽かならば、極力、無から生み出そうという努力を怠るべきではない。

それが、創作である。そういう苦しみは当然のこと。


佐野氏がつまらないデザイナーになり下がったのは、パソコン上でかたずけようとしたこと。

まず、人の力で元を作るべきだった。


自らが足を延ばし、自らの手で写真に収め、それを自らの手でデザインに起こせばよかったはず。


デザイナーが自らの手で筆を持って紙に描くこと、

作曲家が自らの手で五線にオタマジャクシを書くこと、

これって、盗作を回避する一歩じゃないの?


なんとなくコピペ文明の中でデザインや音楽を生み出すことの

「生みの苦しみ」って、私には「帝王切開」で生んだ人の言葉のようで、


どこか、同一に言われたくない。


楽譜が書けない作曲家、楽器が演奏できないバンド。

それでも音楽が成り立つから、マヒした意見がまかり通る。


だって、盗用でもエンブレムは採用されたんだから(笑)


五輪エンブレム使用中止

妥当な判断であるが、少し遅れたことは、残念だ。

すでに発注されたものが4600万円あるそうだ、無駄になった。


もう国民に評価されなくなったエンブレムを使う方が無駄だと思う。

経済効果の足を引っ張るだけ。



一方で、日本国民は知的財産にたいし厳しい評価を下す国民だという表れでもある。


ここで安易に、疑われるようなものを認めていれば、中国北京オリンピックの盗作問題をどうのこうの言えた柄ではなくなる。


遅かれ、メンツを保ったといえるのではないだろうか?




いっぽう、もう一つ国内でもめているのが、「安保関連法案」


学生組織のSEALDsの国会議事堂前のデモ



学生が安保でさわぐって、「60年安保」を思い出すが、

私自身その後の時代。

中核がとかいろいろ、大学に行くと、そんな横断幕や壁の落書きの名残を見ていた世代。


どうも、彼らの主張を支持できない。

決して、悪い運動でもないのだろうが、

北野武氏の指摘ではあるが、

民主主義を言うならまず、「投票に行け」

反対する候補の入れればよかったんだ。


SEALDsの世代の投票率が一番低いという皮肉。

まず同世代に、自分たちは何をすべきか訴えるべき。


権利の行使の仕方が矛盾する。