喫茶店で遅いモーニングを頼むと、コーヒーとホットサンドが出てきた。
私は考え事をしており、無意識にホットサンドの固い部分、パンの耳をコーヒーにつけて口に放り込んだ。
すると懐かしい味が口の中に広がった。と、同時にかなり昔、30年前くらいの記憶が蘇っていった。私を主に育ててくれた婆ちゃんがカフェオレにパンをつけて食べるというのを良くやっており、その時に覚えた味だった。
カフェオレにパンをつけて食べる。婆ちゃんは歯がなくても食べられるからと言っていただろうか。それともこれが美味しいと言っていただろうか。記憶は定かではないけれども、あの時代に覚えた味が口の中に広がったのだった。
最近、この時代の事を良く思い出す。かなり遠い昔のようで、まだ最近のような気もするけれど、もう30年、いや保育園時代だとすれば40年以上も前なのだ。あの時代に戻りたいなどこれっぽっちも思わない。私にとっては青春時代ではあるけれど、将来に希望など見出せない暗い時代だからだ。誰もが抱くであろう将来に対する不安。私もそうだった。そして早く大人になりたい。自由になりたいと思っていた。大人になって果たして、その頃抱いていた大人は自由だと思っていた姿と今では大きな開きがあるとは思うけれど、ある意味自由になれた。もちろん責任は大きくなったけれども。
将来、安心して暮らせることなどあるのだろうか?そう思っていた自分自身にこう言ってやりたいと、パンの耳をコーヒーにつけて食べながら妄想していた。
「大丈夫、幸せになれるから。大丈夫、見える世界も見えない世界も、それらの束縛から解放されて自由になれるから」
こう過去の自分に伝えようとするのは、喫茶店でコーヒーにパンの耳を入れた時だけでは無かった。最近、本当にこの時代の事を思い出すのだ。その度に、大丈夫、幸せになるよ、孤独じゃ無いよと、心の中で過去の自分に伝える。
過去は変えられない。未来は変えられる。これもまた見えない世界の真実だろう。でも、それでも、過去の自分を励ましたくなるほど、あの時代の自分は疲弊していたし、絶望していたと思う。
このブログの読者さんであれば、ハサミの話はもう十分に理解されているかもしれない。
朝、出かける時に、いつもは全く気にならない「ハサミ」が気になる。
そして、ハサミを持っていく自分と持っていかない自分と2通りの未来ができるのかもしれない。ハサミを持っていかなかった自分は、昼くらいになりハサミを使う場面に遭遇し、「あ〜、だからハサミが気になったのか!?ハサミを持ってくれば良かった!」と朝の自分に念を飛ばす。すると、いつもは気にならないハサミを朝の自分は気にする事になる。
ハサミを持って行くと選択した自分は、昼くらいになりハサミを使う場面に遭遇し、「やっぱり!ハサミを持ってきて良かった!」と朝の自分に念を飛ばし、いつもは気にならないハサミが目につく事になる。
いずれにしても、時差がある。未来の自分が過去の自分に何かしらの念を飛ばし、それを受け取れる感覚や感性。それを霊媒体質(=霊感=霊能力)の方は無意識にやっている。
私はコーヒーにホットサンドの固い耳を付け込み、そして口に入れ込む。あの時代の私自身が、今の私の思いを受け取ってくれたからこそ、あの苦しい時代も乗り切れたのかもしれない。
そう、淡い期待をしながら私はパンの味が染み込んだコーヒーを飲み干した。
さあ、今日も暑い1日が始まる。
ところで円安どこまで進むのか・・・(汗
※最近まで知りませんでしたが、カフェオレは、普通のコーヒーに牛乳を入れたもの。カフェラテは、エスプレッソに牛乳を入れたものだそうです。知らなかった!チコちゃんに怒られる!?
シックスセンス管理人