在りし日の「都城市民会館」 | 6rosui8のブログ

6rosui8のブログ

建築関係、絵画美術、古代史、科学医療、政治経済

都城市民会館(1966)は菊竹38歳の時の作品。30歳でスカイハウスを発表し、31歳で島根県立博物館、35歳の時出雲大社庁の舎、京都国際会館国際コンペ優秀案、36歳で東光園と、次々と話題作を発表していた「菊竹の黄金の60年代」の作品である。

 

個人的には特に気になった作品の一つで、70年代の終わりころ一人で現地を訪れたことがある。会館の職員に言うと親切に内部を案内してくれた。真っ暗なオーディトリウムに全照明が灯されてホール全体が浮かび上がったときは感動した。

 

でも、案内してくれた人は建物の評判は悪いと言う。雨の音や外部の音が入ってしまい、ホールの役目を果たせないなどと話していた。確かにこの構造ではそうなるのだろう。でもそれは初めから分かっていたはず。どのような判断があったのだろうか。

 

ローコストやメタボリズム的思考が関係しているのだろうか。しかし何が、この建築でメタボリズム(新陳代謝)なのかを考える以上に、この建築には魅力があった。どうしてこういうことが可能だったのか、考えるだけでも楽しい建築であった。

 

この建築には秘められた大きな初期不良があった。それは、扇のように放射状に天蓋を支える鉄骨に施された耐火被覆だった。それは無理なラスモルタルで仕上げられていたために、完成後、大音響とともに剥離、落下事故を起こしてしまったのだ。

 

設計ミスを追及された菊竹氏はそれを認め、高額な賠償金を支払ったと言う。その後、役所との交渉の故か耐火被覆は不要になり、全てきれいに撤去され、扇状をなすラチス鉄骨は明るい色に塗装された。耐火被覆剥落以前は、黒色塗装されていて凄みがあった。

 

下の写真は菊竹の作品集(美術出版社1973)からのもので、天蓋を支える鉄骨耐火被覆が黒色に仕上げられていた当初のものである。

 

 

 

●解体直前の旧都城市民会館2019

https://www.sankei.com/region/photos/190625/rgn1906250009-p1.html