萩市民館の思い出 | 6rosui8のブログ

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都城は解体されるが、萩の方は健在で本当によかった。1968竣工で、都城の2年後。菊竹40歳時の作品。大胆さは都城に劣らず。白い天蓋は鉄板(都城の天蓋は黒い鉄板)で、都城の無残な姿と比べて、内外とも綺麗に維持されているのは驚き。国宝級のモダニズム建築。萩市に感謝。

https://twitter.com/hachim088/status/1155470233278136320

 

わたしは萩市民会館にも思い出がある。隣の萩市庁舎がまだ建っていない頃、この建築を見る機会があった。市民会館という雰囲気ではなく、上品で威厳のある白い巨大な潜水艦のような建築が田んぼを背景にして建っていた。いや。浮かんでいたように見えた。

 

建物の中に入ってまず気がつくのは、普通の天井がなく、天井裏が丸見えになっていることだ。蜘蛛の足のような形状の、折れそうに細い鉄骨構造で屋根の天蓋を支えている。打放しの壁面と蜘蛛の足の天井ウラで構成された空間は、オーディトリウムの内部まで続く。

 

蜘蛛の足の鉄骨に照明が灯されたときの感動は忘れることができない。散りばめられた豆電球が無数の星のように広がり、宇宙を漂う潜水艦の中にいるような驚きである。誰もが、この建築でなければ味わえない新鮮な空間体験がある。建築の可能性とは何かを強く感じさせた。(照明デザインは石井幹子氏)

 

何かで読んだが、菊竹事務所でこの建物の設計期日が迫り、多くの職員が残業を重ねて設計図面が完成しようとしている時、菊竹が突然、小屋組鉄骨の根本的な変更を指令したという。それは鉄骨とそれに関わる全ての図面の修正、書き直しを意味し、さらに皆んなが徹夜を重ねなければできないことだった。

 

疲労の極限に達して倒れそうだったが、皆でその大変更を何とかまとめ上げたそうだ。そうした苦労と菊竹の狂気が生んだ蜘蛛の足の鉄骨だったのかもしれない。それから50余年が経つが、綺麗な当時の姿のままで存在するのは奇跡に近いことだと思う。新鮮な発見や感動を呼び覚ます建築であり、それは今の建築にはないものである。

 

 

●菊竹清訓 作品と方法 美術出版社1973より

 

●八馬智さんTWより

 

●左が萩市庁舎、右が萩市民館