近年、緩和ケア,症状緩和でもガイドラインが充実し、
ある程度は、施設間,医療者間での差は、
昔よりは少なくなっているだろうと少しは信じていて願い続けている気持ち
現在からだと28,29年くらい前になる、
この時の👇私の緩和ケア病棟勤務。
終末期〜臨死期の鎮静であっても、
当然、無駄となる様な投薬、危険な投薬は避けると考えていた私
深い鎮静に入ったと思われる段階で微量減量した、ある患者さん(私
のプライマリ)のある日ある時…
体動が出だしたとご家族から報告を受けた🦁先輩看護師は、
「何で減らしたの!!!?」等、私を強く叱責しました。
例えば、「減量すると鎮静がすぐ浅くなり易い様だから、このままの量で行こう。」でよかったのでは。
ちなみにちなみにちなみに、
この🦁先輩にて、
私の看護学校同期 💜( 初期緩和ケア認定看護師取得〈一時退職費用自腹必須時代〉) も、
深いトラウマを抱え続けていました。
🦁先輩には、ご自身やご家族が患者さんになった際の思いの変化の有無を是非伺いたい、
そう思う当時の先輩の最上位。
又、特に不眠の苦痛を強く訴えていた患者さん
私の夜勤時、ご本人
と奥様
に了承を得て鎮静剤を投与し続け、ようやく入眠、
そのままなくなったことは、今でも複雑な気持ちで、忘れることはありません。
医師からの鎮静の説明もなされており、ご理解も深かったご様子(?)、
奥様も連日ご本人
の不眠の訴えに苦しさがおありで、
この結果に(入眠できた,苦しまずに逝けた)
安堵されたご様子で、
私は責めを受ける気持ちでおりましたが、
感謝のお言葉を頂いたこと、
今でも、その気持ちの複雑さは忘れられません。
当時の私は、いつも先輩方🦁🐯🐺にビクビクしていたし、
抑うつにもなり安定剤を内服していました。
その中で、
「私はコレでいい、私
はコレで行く。」と
自分なりの看護
のスタイル(
)、
大切にし続けること、
患者さんご家族
によって🍀
少し確立できたことは、
頑張ったなとこの今なら思い直せます
私は馴染めない、
当時言語化出来ない違和感の山🏔
こういったガイドラインの出現によっても、
私の長年の最大の人生の苦痛と言えるものはようやく軽減し、
真の学びと展開出来つつあります。
FBで繰り返しの表出になりますが、
一番大きい違和感は、【死の受容】と言うことでした。
これは、移植後5年にならない時期に🔵🔵医師✨と当時を振り返るきっかけをふと頂き、
🔵🔵医師✨より私の様な小者にも変わらず誠実なご対応を頂き🍀
本当に生きていて良かったと、これでいつ死んでもいいと思えた🍀
それだけ大きなことだったと、その時改めて感じ直しました。
日本での緩和ケアの歴史を知る医療者✨✨には、
ご自身をかえりみた際何を思うのか、
多かれ少なかれ、ご自身やご家族もがんになると思いますが、
その時ご自身がやって来たものについてどう思うのか、
学会等で発表して頂きたい気持ちは強いままです。
更に、この時👇のご講義を頂いた🟠🟠先生✨
「こまめさんの気持ちは分からない。
…何故なら私は患者さんじゃないから。
でも、とても辛い思いをして来ただろうと想像は出来るし、一緒に考えることは出来る。」旨、
お応え頂いたこと🍀
その真意は、看護師復職後じわじわと実感できた様に思います。
当時は「私の気持ちは分からないんだ…。」という残念な気持ちが強かった、
それもまた私のがんサバイバーとしての率直な気持ちで、
そういう段階だったのだと思っています。
感謝です