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月に日に異に

空の下の毎日

ぐわーーーーーーああああ!

目が離せない!!まじで!

 

なんで少し目を離しただけなのに1メートル移動できんの?! ワープ?ワープしたの?!瞬間移動?!!ガーン

 

 

まだ寝返り返りもうまく出来ないのに

ちょっとトイレに行ったり台所に立ったりした隙に、部屋の角っことかテーブルの脚とかに引っかかって身動き取れなくて泣いてんの。

 

 

なんか大人しいなー♪なんて思っててからの

ウワァ──・゚・(。>д<。)・゚・──ン!! は全部

布団と布団のほっっそい隙間に落ちてるとか、ソファの下に挟まろうとしてるとか滝汗

「なんでそんなとこにいんの!!??!!」とって大慌てで救出。

コードブルーかっつの!!あ、すいません、不謹慎ですねm(_ _ )m

 

 

 

 

いやー、コードブルー終わっちゃうねええーん

夕方の再放送でハマったくちなんだけど。

月曜の本放送の最終回見られるかなあ。キジロー寝てくれよー

 

 

子供いて外に出る事あんまり出来なくなって、この時間の再放送ドラマにハマってるの。

今までドラマって全然見なかったんだよね。

長年スタジオとかライブとか、夜ほとんど家にいなかったからさ。

あー・・・あと飲んでたからな・・・・

 

 

コードブルー、再放送で初回シリーズから見たんだけど、子供と親のエピソードがけっこう多くて、毎回終わるとキジローを抱いて大泣きするの(笑)

なんか重ね合わせちゃうんだよね・・・。

 

 

ちなみに大奥の再放送でも毎回、

「千熊ぁーーー!しぇんくまーーーーぁ‼ぐすん」(稲葉正勝の幼名)

「たっ竹千代ーーー!たけちよォーー!えーん」(徳川家光の幼名)

つってキジローをがっしと羽交い絞めして大泣きしてたな・・・。

 

 

家人に

「なんかさー私、子供出来てからめっちゃ涙もろくなったんだよねえうーん」と言ったら

「?・・・・もともとだよ?真顔

 

 

・・・・・・

 

まあ、

「歳せいじゃねーの?」

とか言う人じゃなくて良かったです。

 

キジロー、大きくなりました。

 

妊娠中に縫った大きめの肌着がちょうど着られるサイズになったニコ

 

首もしっかりすわり、寝返りが楽しくて仕方ないといった風情。

人間を判別出来るようになったらしく、私の事も認識してきたみたい。

あ、こいついつもの人だ、っていう感じ。

 

うん、可愛いです。

でもまだ、自分の子供というよりは「誰かに渡された大事な預かりもの」という感覚が強いかな。

「ご安心ください!誠心誠意大切に育てるよう頑張ります!」という気持ちで日々向き合ってる。

 

まあ、子供はどうせ育て上げたら自分の人生は自分で歩くのだから、それまで神様からの預かりものと思えばそうなんだろうけどね。

 

 

 

 

親の我々がバンドマンなので、子供が出来てからとにかく、

もう兎に角!周りから

「この子も音楽やらせるんでしょ?」「将来はミュージシャン?」というような事をよく言われる。

 

そこはなぁ・・・・えー?

 

いや、ほら

ロックって親に反発して聴くもんじゃないですか

バンドなんて「いい加減そんなものやめなさい!」って言われてからが勝負じゃないですかにやり

 

 

なので期待はせず。

ただ家人は「こいつがもし万が一音楽やりたいって思ったら、その時役に立つように」とリズム感だけはつけてあげたいそうで

 

「マイケルジャクソンとジェームスブラウンを日々聞かせるように」

との指令が下る。

 

そうくるか。

 

それが父親の教育方針(?)だと言うならと、

ちゃんと聴いてますよ、流してますよ。youtubeで。

 

まあ、だんだんとこっそり私の好きな系統に傾いていってるのは私の方針という事で。

 

 

 

こないだ育児の冊子に

『3.4ヶ月の遊びは、音楽に合わせながら(ママが歌うともっと良い)手足を持って動かしてあげるのが良い』みたいなこと書いてあったんだけど

それやってる!既にめっちゃやってるわ!ウシシ

ただ、冊子では げんこつ山のたぬきさん だったのが

うちでは21世紀の精神異常者なだけで。

♪キャーツ! フー! アェンクロォー!

 

 

 

でも一応、ダンスミュージック系も聴かせつつ。

プログレばっかりだといずれ家人に

「あれ?JB聴かせてたはずなのに、リズム感てか拍の取り方おかしいぞ?キジロー何聴いてた!母さんに何聴かされた⁉」ってバレるからさ。

 

 

 

 

これね。

 

ああ~キジロー、ミッチーみたいになんねえかなー

って毎日願掛けながら。

 

 

ダンディになるかもしれんけど(笑)

 

 

 

結局やっぱり色々と期待はしてしまうのでしたイヒ

 

うちの祖父93歳。

 

耳が遠いせいかちょっとボケが入ってきてるせいか、そもそも母が訛ってるからか

母が何回か赤子の名前を教えても

 

 

「キジロー」と呼ぶ

 

 

全然違うんだけど(笑)

 

 

「ほれ、おっかさん(母)がよお、訛ってっからよ、そう聞こえだっけべよ。

キジロ・・・・なんて字書くんだが・・・喜ぶに・・寿に郎が?」

 

 

いや、だから違うって(笑)

 

 

周りで面白がって、叔母たちが

「もう芸名ついたな!kijiroって名前で芸能界に売り出すべ!!」

とか言い始めてみんなでキジロー呼びしてたら

 

「あんただち、そんなことやってると赤ちゃん覚えっからな!やめろ!」

と大伯母に叱られる始末^^:

 

 

 

でも祖父はわざとなのか(自分で言って自分で気に入っちゃったんでは)、やっぱりボケてるのか

「おうおうおう、キジロ、キジローよう」

と毎日声をかける。

 

 

 

そんな二週間でした。

東京に戻る日の前日、祖父は

「明日もう帰るのかあ・・・はええなあ・・」とかしきりに言いつつ夕飯をとっていて、だんだんと

「ばさまがいない寂しさをこいつは埋めてくれた」とか

「これがいたから朝起きるのが楽しみで楽しみで」

「うちの家の天使だな・・・」

 

 

 

・・・って、ちょー帰りづれええええ!!!(笑)

 

 

 

そんな

toshi&kijiro です。 今後もよろぴこ☆

祖母の危篤を知らされた時、出先でした。
家人と赤子と出掛けてたんだけど、叔母から
「気持ちを落ち着けて聞いて。今からすぐの新幹線に乗って下さい」と電話が。


一旦うちに戻ってからと思ったけど、もう居ても立ってもいられない私を見て家人が
「財布も携帯もマザーズバッグもある。このまま行こう」と言って連れていってくれました。
ちょっとそこまでのつもりの着の身着のまま、新幹線に乗る(¨;)


生後2ヶ月の赤子を連れてのお出掛け、私けっこう心配で慎重にしてて
まずは近所からちょーっとづつ範囲を広めて、この日初めて電車で二駅の旅~♪なんて家人とゆっくり出掛けてたんだけど、いきなりの新幹線(笑)
都内に行くのはまだまだ怖いわぁとか言ってたのに、都内を軽く越えて4時間強(笑)


でも赤子、大物です。
ずーーーっと大人しく寝てました(^^;
新幹線って、多目的室という小さい部屋があって、車掌さんに断ればそこで授乳も出来るしオムツ交換もゆっくり出来ました。すごいぞ!じぇいあーる!


病院に駆け付けてからも、家族親戚のいる待合室で皆につつかれ(笑)ながらキョロキョロ愛想良くしてて。
全然泣かなかったから祖母の病室にも入れて、
最期の、本当に最期の息を引き取る場に私は立ち会えました。




家人が決断して動揺する私を引っ張ってくれたから

赤子が大人しく頑張ってここに来てくれたから

私、大切な人が亡くなる瞬間に立ち会えたんだね。
二人で私を連れて来てくれたんだねぇ…


お通夜は家で、葬儀はお寺であげたんだけど
その間も沢山の親戚のおばちゃんや会社の女の人に泣きもせず抱っこされて愛想振り撒いて(^.^)

おばさんの一人が
「この子がいなかったら年寄ばっかりの悲しくて暗い葬式だっけね、みんな救われたね」とポツリと言ってくれた。


いきなりの遠出と環境の変化に随分体力も消耗しただろうに。ごめんね、本当にごめん。
でも産まれてすぐなのに立派に大役を果たしたね。
ありがとね、ホント頑張ったね…(*^-^*)




きっと、これからずっと祖母の法要の度に
この子が親戚中の話題になるんだろうな(^^)

「おっきくなったなぁ~」とか
「あの時、オバチャン抱っこしたのよ~」とか
「オバチャンも抱っこしたわ~」とか
「あんたおっぱい吸おうとしたのよ~」
「オムツ替えたのよ~」
「ウンチ出なくて心配したのよ~」

……13回忌(ちょうど思春期)とかで言われて物凄い嫌がるパターンだな、こりゃ(笑)

祖母が亡くなりました。86歳でした。

 

 

6月9日の午後に弟から「ばあちゃんが救急車で運ばれた」との電話があり、翌日には、もう意識が無くなりました。

慌てて東京から(出先だったけどもうそのまま)新幹線に乗り込み、家人と赤子を連れて実家へ駆けつけるも目を覚ますことは無く、その一時間後、

家族全員に居る中、息を引き取りました。

脳梗塞でした。

 

 

 

 

 

ホントに急でね。

その日も3時のお茶飲んで、好きな韓流ドラマ見てたら急に倒れて吐いて。

母を呼ぶも、病院に連れていう行こうとすると「やめろ!!医者には行かない!!」つって大暴れしたらしい(・ω・; 差し歯が取れるほど^^:

 

 

病室でいったん落ち着いた後、朦朧とする中で母に

「私の部屋の髪留めと化粧道具とあれとこれと持ってこい」

「それと私が入院することは誰にも!誰にも!言うな!」

 

それなのに、母が家にそれを取りに行こうと部屋を出ようとしたら

「・・・・・ここ私の部屋に戻ってきたんだかな・・・・」

とポツリ。

 

それが最期の言葉になったそうです。

この後に母が戻った時には、呼吸器をつける姿になってそこから意識は戻りませんでした。

 

 

お葬式の弔問のお客様も口々に

「むかーしから医者嫌いだったよなあ。入院もしたくない、痩せたり寝付いたりして変わった姿を絶対に誰にも見られたくない!そんなになるこらいなら死ぬ!ってずーーっと言ってたっけねえ」と言っていた。

 

 

昔から幾つになってもいつもどこでもピシーっと綺麗にしてて、見た目にも話題や言葉にも気を遣って、口癖は

「人にめくさくないようにしろ」(方言で人様にみっともないとこを見せるな)

 

 

 

血栓が小脳に飛んで呼吸器をつけるも、本当はこのまま2、3週間もすれば回復するかもしれないと言われていたのに。

 

 

こうと決めたら絶対にこう!

嫌だと言ったら何が何でもイヤ!!

ゆるぎない意志を持って86年生きてきた、鉄の女、ジュンコさん。

 

死ぬ時も、死に方も自分で決めたのね・・・・・・

 

 

 

 

私は小さいころ、ほとんど祖母に育てられました。

家が商売をやっていて、母(実の娘になります。長女)が仕事をしていたので祖母が赤ちゃんの私の世話をずっとしてくれたんだ。

小学校になるまでホントに母代わりだったんだよね。

 

子供が生まれてからも、電話で必ず

「完璧にやろうとすんなよ!まきは生真面目だからな、だいたいでいいんだ、気楽にいけ!」

赤ちゃんの事より私の事をまず気遣ってくれて。

 

赤ちゃんを見せられないままになっちゃったのが凄く辛いけど、祖母にとっては、「私」が待望の子供を無事に産んだってところでもう心残りは無いって思ってたのかもしれないなあと

思うようにしました。

 

 

ありがとう。

私の「母」の一人、

ジュンコさん。

 

 

・・・・なんか色々書きたいことあった気がするけどなあ。

実家にいた2週間のこと、つらつらと、ぽちぽちと書いていきます。

寝てます。ふぅ……





やっとこさ、ちょっと生活に慣れてきました。

赤子のいる生活。少し余裕出てきたかな😃




……なんつって余裕こいてキーボード打ってる間に泣きはじめました(笑)

いちじちゅうだ、てのやゆゆのほしさはむうううう









あ、失礼しました。



もうね、ダッコダッコがひどい‼

とにかく抱っこしてないと泣く。寝ない。

布団とかに降ろすと泣く、ていうか降ろそうとするだけで察知して泣く。

地味に手がかかります(--;)



でも、なんというか母親の実感ていうのはあまり無いんだよなぁ。

ただただ、目の前の生物を殺さないように生きているだけの一日という感じ。それが毎日続いてる。





ここに来て、自分の感情が分からなくています。
なのでこうして書きとめておく事にしたのだけど



やっと出来た大事な赤子に対して、私ね、

特別な存在だとあんまり思わないの。

弟と義妹に「いとおしいでしょう✨」と言われた時に、『…ん、、ちょっと違うかな』と思ったんだ。


何をもってしても守りたいとか、いおとしくて堪らないというあたたかな感情より、責任感で世話してる。

会社を立ち上げてすぐの代表の気分(いや立ち上げたことないけど)。
心許ない売上で毎日これからどうなるのか不安な中夢中で働いてる。
ベンチャー企業のCEOだぜ(笑)



気持ちを入れ込み過ぎないようにしてるのかもしれない。他人が見たらそんな可愛くないし、可愛いと誉められても恐縮してしまう。

そして自分のことも「母親である私はこの子にとって特別な存在」と思わないの。
周りに「お母さんの事みてるねー」「お母さんがいいんだねー」って言われても「いや、そんなんじゃないんで✋私、乳出るだけなんで」というリアクションになってしまう(^^;





歪んでいるんだ。




この子が特別な存在で、私達は結び付いてて、という感覚が怖いんだ。
愛が、いずれ支配欲に変わったり見返りを求めて苦しくなったりするのが自分で物凄く怖いんだと思う。



そんな話を1ヶ月の新生児訪問に来てくれた保健師さんに話したら、「気持ちにストッパーをかけてるんですね…なんか分かりますよ、それ」

一緒に来てた年配の助産師さんからは「うーん、きっと情が濃いのねぇ(^^)」

初めて会った他人に情が濃いって言われる機会ってあんまり無いと思うんだけど(笑)

理解してもらえたことに少し安心しました。

 

この保健師さんには、私が依存症だってことも伝えて(スリップ無しで偉いって褒められたー^^)、それも安心に繋がりました。

 

ずーっと、ヒトに言えない事が色々と多い生活だったから。

このブログで、その言えない事を綴ってるだけだったけど。

x、pd@lああslp

 

 

あーーー!もーーー!

肘と膝に赤子をのっけてのキーボードはなんて打ちにくい。

 

抱えた手のひらがあつい


あの頃
何度も何度も 切なくて苦しくて
もがいた夜明けが


今こんなにも 光

希望に満ちて




長く長く伸びている
前にだけ続いている道に一人 立ったのは

もういつ以来だろう





深呼吸


鼓動のリフ


爪先に力を込めて





走れ 私


宝石を 抱いて

さて、と・・・・・・

 

 

産まれる気無いのかね、お前。ん?

 

予定日の3月30日から4月に入ってしまったけど、全く兆しがありません。

臨月からウォーキングとか(1時間!)スクワットとか雑巾がけとか体は動かしてるんだけどなあ。

このまま来週もまだだと、計画分娩に切り替えで入院になるそう。

 

 

 

 

↑これ、11月末。

 

 

↑これ、1月末。

 

 

↑これ、昨日。

 

 

だんだんラムちゃんの足元が狭くなってる。

ピンクのマタニティズボンはバンドのドラムさんからお下がり貰いました♪

ラムちゃんとこのズボンでほぼ毎日過ごしてたな(^_^;)

 

 

いやー、長いような短いような10ヶ月。

そんな風に思って、こないだふと

 

『(*。◇。)ハッ!産まれてしまったら、もうこの子と離れ離れになるんだ!

もうこれで一生別々の人間なんだ‼』

と思ってしまって、急に寂しくて寂しくてたまらなくて

「離れ離れ‼‼Σ(゚Д゚;≡;゚д゚ 離れ離れいやーあだあー!!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」と家人に泣きついて

「もうこのままずーっとお腹ににいればいいのに‼そうだ!産まれないでここにいればいい!その方がいい!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」

と喚いたのが

 

 

この子に聞こえてしまったのかもしれない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

更に、

「この子が産まれたらきっと私はこの子につきっきりで一番大切で大事大事にして、きっと家人の事をないがしろいやむしろウザい!役立たず!ぐらいの気持ちで嫌いになってじゃけんにするんだよ!可哀想( p_q)!こんなにずっと私達仲良しだったのに、この子が産まれるばっかりに家人可哀想!。:゚(。ノω\。)゚・。 ウワァーン」となってた私を

家人が涙に濡れる私の目をまっすぐ見つめて、鼻水を拭いて優しく

「まきちゃん・・・・・・・・・・言ってることめちゃくちゃだよ(^∇^)ニッコリ」

と肩を抱いてくれたのも全部

 

 

 

この子に伝わってるのかもしれない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

お腹に居るとき親の言ってることは全部聞こえてるらしいから、まじでこれ聞いてたんじゃないかな(。>0<。)

 

そういう意味では、もう言い合いの大喧嘩もしてた時期もあるし、不安ばっかメソメソ言ってたし、どうでもいいTV番組見てやる気なくダラダラしてたり、ポテチとかジャンクなのすっごい食べちゃったり、もう胎教ってなんだっけ・・・・

マタニティ雑誌見て、こんなちゃんとしたマタニティライフを送ってこなかった自分の子など立派な人間にならないのではないかと、もう最初から育児に失敗した挫折感と罪悪感でいっぱいであります。

全て私の責任です。

可哀想に・・我が子・・。゚(T^T)゚。

 

 

 

とりあえず、体だけは元気です。

ウォーキングとスクワットとマンションの階段上り下りとマタニティライフの後悔で毎日暮れてゆきます。

雨の日の記憶は、一番確かな記憶はこれだけ。

 

 

 

 

10年くらい前だな。

前住んでたアパートに父が来た時の思い出。

家人と、結婚はまだしてなかったけど一緒に暮らし始めてて、様子を父が田舎から見に来たんだった。

 

 

 

前の晩、東京に来た日はうちの最寄り駅で、父と家人と、中華料理屋でしこたま呑んだ。

料理が美味しくて、ビールが不思議な味がした(以後、『あん時のビール、焼酎で薄めてあったろ笑』と父がおかしそうによく話題に出す)。

その後3人でカラオケに行ってから、父は近くのホテルに泊まった。

 

 

 

翌日は家人が何か用事があったんだったかで出かけてた。

朝、ホテルからそのままうちに来た父は、アパートにあがり見渡して

「ほおー ま、いいとこじゃねえか」

 

 

 

 

いいとこなんかじゃないんだ。

木造2階。 A3用紙サイズの玄関。 外と全く同じ室温の台所。 脱衣所の無い、カチカチ栓を回すガス風呂。

畳の6畳間二部屋。 サッシも壁も薄々。

それでも窓を開けると目の前は広めの駐車場で。日当たりだけは良かった。

 

 

 

その日は今日みたいな雨が朝から降っていて、

窓際に私が独り暮らしの時から愛用している座椅子を持ってきて父を座らせ、私はニトリの座布団で二人インスタントコーヒーを飲んだ。

 

 

「ここんちは客用のコップもねえのか」

「いやまあ。とりあえず。」

「・・・・・へっ」

 

 

会話はそれくらいしか覚えてない。

暗くも明るくもない曇天の、

強くも弱くもない雨音を聞きながら父は、うつらうつらし始める。

ごく小さい鼾をかいてすぐ途切れる。

たまに目を覚まして窓の外を見ながらコーヒーに口をつけ、またうつらうつらとする。

 

 

 

どれくらいの時間そうしてたか、

ふと「昼飯くうかー」と父が、はっきり目を覚ましたらしく、

「雨やまねえなぁ」と言いながら、また駅に二人で向かう。

今度は別の、ちょっと良い綺麗な中華料理屋でお昼。

単品で麻婆豆腐やエビチリなんか頼んでゆっくりつまみながら、ビールを二人でぐいぐい飲んだ。

「お前と一緒だと中華ばっかだな笑」

いたずらの共犯者みたいな顔でニヤニヤしながら呟く。

 

 

 

「んだらな」と、会計を全部してくれて昼から赤い顔で東京駅行きに乗った父を見送り、

私は駅を出てビニール傘を広げる。結局、雨はその日はやまなかった。

 

 

 

 

 

 

今日みたいな雨の日は、何年経っても、この日の記憶ばかりなのです。

あのアパートの、窓越しの雨、父の鼾。

 

ホッとまどろむような、きゅうとせつないような、忘れられない雨の日なのです。

 

 

 

 

 

 

 

今日は初めて、確定申告に行ってきました!

平日だけど期日近いからかな、すっごい人人・・・・確定申告はお早めに!まじこれ。

申告時期が早いと住んでる自治体での相談も出来たみたいだったし。来年からそうしよ。

 

その準備で去年の医療控除の領収書とか見てたら。

ちょうど去年の今頃、最初の体外受精を受けてたんだあ。

大量の領収書とスケジュール表。

 

 

 

 

 

子供ね、

最初はどうしても欲しい!という感じでは無かったんだけど、

結婚して3年出来なかった。

というか結婚した辺りから人生の試練が次々に起こるという子供どころの騒ぎじゃなかったのもある。

うー・・・・色々あったなあ・・・30代(-""-;)

 

 

 

それでも、いわゆる不妊治療という道に踏み込んだのが3年?4年前。

 

一応、まず大きめの産婦人科病院に相談したら

「・・・ちょっと出来にくいかもしれないね」と言われるも、しばらくタイミングで治療をしてみて、

そのうち「不妊専門のとこ紹介するね」って言葉で『あれ?なんだか大変な事になり始めてる?』みたいな小さな焦燥(・・;)

 

 

その個人クリニックでは「あーこれは手ごわいね」とバッサリ(笑)。

会社の人が二人目不妊でここで授かったというし、バリバリのやる気先生だったし期待してしばらく通ってたけど、だんだん悪くなるっていう現象がσ(^_^;)

 

 

『ちょっと一回、不妊とかじゃなく普通に婦人科で診て貰おう』と思って、近くの普通の婦人科に行ったら難病が見つかるという結果。(まあ、この頃に断酒と、その過程による拒食症でボロボロだったから、推して知るべしって結果ですわね)

 

 

一年、その病気の治療にかかって、通院最後の日に「これからまた不妊治療するつもりです」とおじいちゃん先生に言ったら「うーん、チャレンジしてみることは大事だね。」

・・・なんかそれダメ元ってこと?(笑)

そうだよね、その時私、39歳。

 

 

そんなで、去年やっと、有名な不妊治療専門のSクリニックに通うのでした。

初診でもう「通院歴も年齢も考えるともう体外受精で始めた方がいい」とキッパリ言われて、いきなり一般道路から標識ろくに見ず高速道路に乗せられた感じ?(^_^;) 

子供は勿論欲しい。でも、変に冷静に『ああ、もう後戻りできない』と思ったのも正直な気持ちでした。

 

それからは怒涛の採卵&移植を繰り返す日々。

 

父親の梗塞も繰り返して入退院やリハビリ施設探しとか、バンドのセルフPV撮影とか、会社辞める辞めないとかやってたのも、この時期ですか。

 

火が付く時って突然。そして、必ずかぶる(笑)

 

 

この時の記憶ってすごい昔のような気がしてよく覚えていない。

当時の手帳読み返しても書きなぐりの文字ばっかりだし、読むと毎日理由なく泣いてるし、自分キャパ狭いからもう限界だーってな感じで、

父の施設さがしもいったん弟に託して、会社も辞めると決めて、治療ももう休んで・・・・・・

 

 

そしたら、自然と思いがけなく、コイツがお腹にやってきたんです(´ω`)ゞ

(闖入者と書いたけど、正しくは招かざる客じゃないから、なんと言うべきなのかな?)

 

 

 

 

そんな怒涛の日々を過ごした事なんか無かったように、今は毎日まったり本読んだり、眠くなったら昼寝して、家人の事は好き好き期に戻り(笑)。

気が付くとグリグリに動くお腹を撫でまわしてる日々です。

結構すごい力で、内壁に対して両足をグバーっと踏んばってくるんだよー、お前はけっこう仮面か!

おっぴろげジャンプ‼

 

ちょうど明日で正産期に入るのでね、ホントにもういつ出てきてもおかしくないとこまできました。

発覚した当初は無事でいられるはずが無いって思い込んでグズグズ不安がったり、そのくせきっちりライブやってたり(イヤ、ちゃんと先生に許可得たから(;´Д`)ノ!)、そんなめちゃくちゃなおっかさんを尻目によくここまでマイペースでいたもんだね。

ハッ!Σ(゚д゚;)マイペース・・・・・・父親似か・・・

 

 

もう少し、もう少しだから頑張っておくれね。ちゃんと無事にこの世に

・・・って、イテテテテ!ちょイタイ‼(≧д≦)