50歳をこえるころは
まだ40代を充分にひきずりながら
まだまだ元気だったなあと思い返しています
50代の体力って
右肩下がりではなく
広い階段状みたい
あるきっかけでどんと
落ちて
上がらないまま水平に経過して
また別のきっかけでどんと落ちる
若い頃はこれがちゃんとモリモリ
Uの字に回復してたんだけどな
ワタシ肩を痛くしてから
2月3月4月まではなんとか頑張って
生活
仕事
痛み止めを飲みつつ
耐えていたのですが
ちょっと限界になってしまいました
くる日もくる日も
間断ない不快と痛み
睡眠不足
痛みの恐怖
肩の痛みがでる前も
「ああもう若い身体ではないんだなあ」
そう感じることはありましたが
少し目をつぶっていたところもありました
毎日することいっぱいで
それをはっきり感じている時間はなくて
バタバタと日々のことをこなしながらも
でもどこか無意識には
とれない得体の知れない憂鬱さが
底のほうに
あったようにおもいます
50代は人生でいちぱん
幸福度が低い
と
どこかで見かけたのですが
ワタシだけじゃなく
そうなのかな
この先どうしたって
今まで充分にスクラムを組んで
守っていてくれた
成長ホルモンも
エストロゲンも
なんやかやの生命力も
少なくなるわけで
老い
なんだなあと
感じております
いきなりのリアル感を伴い
やってきた老いの体感は
自分のちっぽけな自負を
カンタンに破壊して
落胆
不安と緊張
失望
そんな感情がギリギリまで
張り詰めて
どうかなりそうでした
「でした」
の過去形で言えるほど
昔の話でもないですが
そこからは
通り抜けようとしている気はします
そして少し見える世界が変わりました
いままではどこか
今より過去の自分に意識があって
そこになるべくいられるのが良いと
思っていたような…
たとえば
実年齢より若い体力とか気持ちとか
見た目とかであれたらいいなって
頑張るのは悪い事じゃない
でも確実に時は過ぎていて…
今40歳の人よりも
今70歳後半の人のほうが
自分と年齢がちかい事実
向かっていくのは後者だし
ならば見るのは❓
その年齢の人たちに向かう自分を
よくよく考えるというのも
ひとつのものの見方かもしれないと
思うようになりました
「老後」なんて一口に言うけれど
簡単じゃない
思春期に心がついていかないように
自分が抗いようのない何かに
晒されていくことは
やはり心中穏やかにはいられない
ものです
*****
さて今回
いろんな不安や恐怖感が強くて
ああもう限界おかしくなるー
と
なったということは
感情老化の程度はまだ若いのか
ということなのかなとふと思いました
思い返してみてください
若い頃の感情エネルギーって
そりゃあもう激しくなかったですか?
何かを欲するエネルギーも
欲しい!欲しい‼️
悔しいとかのエネルギー
悔しい!悔しい‼️
楽しいとかのエネルギー
一晩中咽び泣いて泣き疲れて眠るとか
友達と思いっきりはしゃぐとか
たぶん感情にも生命のポテンシャルがあって
辛いことをより辛く感じてしまったりするのも
感情のセンサーはまだまだ敏感だと
そういうことなのかもなと…
そっと触れても
小さな刺激にも
大きくはじける鳳仙花のように
*****
これももう少し歳を重ねて
鈍やかになってくれると
いろんな感情の輪郭が曖昧になり
辛さもあまり感じなくなれるというのなら
それは
神様が用意してくれた
ひとつの優しさなのかもしれません
目を逸らし続けるわけにもいかない
ワタシはやっぱりそれでも
こわいです
今日も日常をすごせることに
感謝がやみません
今できることは
大切に
大切に
ひとつひとつ慈しんで過ごすこと
ぴお