今思うと
「あり得ないでしょ!」と
言いたくなる決め方をした
大学の受験先
でもそこでミラクルが起こった!
…ということもなく、
浪人することになった私です
ごくごく普通の人だけど
他の誰でもない
唯一無二の存在
「わたし」の物語
ちなみに前回は【高校編】③
前回の記事👆にも書いたように
全くもって自分の意見がない状態で
大学を受験し、失敗。
結果、予備校に入りました。
予備校時代は
勉強に身を入れるようになりましたが
英語以外の教科がさっぱりだったのは
相変わらずで(;'∀')
国公立の有名な外国語大学を
志望はしていたものの
全然そのレベルに達していませんでした。
(私立大学は「お金がかかる」
というイメージがあり
ともかく国公立を目指していました)
今はどうか知りませんが
昭和の当時は模試の成績が
校内に張り出されるのが「普通」
英語だけは成績一覧上位に位置する私
気分はサーカスの綱渡り。
英語という命綱つけて
必死にバランスを取りながら進む
受験に向けての一年でした。
さて、
一年間頑張ってみたものの
外大は無理そう。
でも万が一以下の希望を託し
関西の外国語大学を受験しました。
で、最初に
リスニングテストがあったんですけど
始まった瞬間に
「え?何言ってるか全然聞き取れない」
となっちゃって(´;ω;`)ウゥゥ
まるで登山をするのに
ビーチサンダルを履いてきちゃって
もう場違いもいいところって気分で。
「自分が難しいと思うときは
他の受験生もそう思ってる」ということを
先生たちから聞いていたけれど
その後の筆記試験でも
自分の実力のなさをまざまざと
見せつけられたことには違いなく…
結果、またもや「不合格」
一浪して予備校に行くのさえ
「お金がない」が口癖の親に
負担をかけていると思って
申し訳なかったのに
もう一年の浪人は「ナシ」
ま、仕方ない
とにかく前へ進もう!
合格していた地元の大学に行きました。
のちの話ですが
現役ではどう転んでも
絶対に合格できなかった大学の
大学院へ行くことになるのですから
人生って何がどう転ぶか
最後までわからないものです。
そして、「お金がない」と言いつつ
予備校に通わせてくれた両親。
今では2人には感謝しかありません。
(父が存命の間に伝えたかった)
次回は
➡第17回【大学時代】①
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