感動日記 四二五〇 皮肉について 令和六年六月二十四日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

暫く前の同朋新聞に「皮肉」の記事が載っていました。

もともとは仏教用語で「皮肉骨髄」という言葉からきているそうです。

弟子を評価する祭の点つけのようなものとして「皮」と「肉」は表面を理解している事、「骨」と「髄」は本質を理解している事、と言う様に使われたそうです。

その事から皮・肉は評価が低いという事になり他者を非難するような言葉として使われるようになったと言われています。

昔、駅前の掃除をしていると近所の意地悪な叔母さんが「ご苦労さんです、いい事あるからやってるんでしょ」と言うのです。

お金が落ちているのを拾えるからやっている、という所謂、皮肉なのです。

わたしはお金が落ちていれば一円でも交番の入口に置いてきます。

しかしホッポに入れてしまおう、との醜い心が少しは涌き出てくるのです。

高額になればなおさらです。

昔、以前、勤めていた会社の経理担当の大卒の男性が入社しました。わたしの方から一言、肝心な事を言った事がありました。

「お金は出来るだけ人に見られないように扱いなさい、何故かというと人がお金をみると欲しくなる醜い心を持っている、お金を自分のものにしたいという醜い心を起させない為なんだ」と言うような事を言った事がありました。それ以降、彼の仕種を見ているとお金に対して気を付けているようです。

皮肉とは相手が気にしている事や弱点を褒めたりして遠まわしに非難したり、からかったりする事です。所謂、意地悪なのです。

この皮肉とは褒めて貶(けな)貶(けな)す、極楽の話を織りまぜて地獄に落とし入れる、人間であればこその最も醜い行為ではないでしょうか。

先程の叔母さんの顔を見ていると、やはり意地悪な人相をしているのです。人相を良くするには最低でも3代かかるとも言われています。

親の因果が子に報い、親のした悪業の報いが罪もない子に現れる事のないようにしたいものです。さてさて。