感動日記 四二四九 布施 令和六年六月二十三日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

万物はそれ自体では存在しません。

全てのものは繋がって存在します。

他の力によって成り立っています。

他あっての自分なのです。お陰さま、という言葉もあります。

布施という言葉があります。

僧侶が葬式などで戴く、所謂、お布施と一般的には考えられています。

しかし、この布施という言葉の中に、人が他の命を奪ってまで生きなければならないのかの答えが有る様に思えるのです。

布施には七つの布施があるそうです。

 

一、眼施 慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。 

二、和顔施 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。 

三、愛語施 ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。 

四、身施 自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。 

五、心施 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。 

六、壮座施 わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。 

七、房舎施 雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。

以上が無財の七施ですが、すべてが仏の立場に立っての慈悲の実践です。

人間には難しい事でしょうが一歩でも二歩でも近づけるように努める事こそが答えになるのではないでしょうか。

人間の優しさこそが己を救ってくれるのではないでしょうか。

そして自ずと悪人正機の考え方に繋がって行くのではないでしょうか。

これは浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「悪人こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味です。

阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。

すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。

よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意味です。