感動日記 四二四五 多生の縁 令和六年六月十九日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

「多生」は、「この世に何度も生まれ出ること」という意味の仏教用語で、「袖振り合うも多(他)生の縁」というと「道で人とすれ違うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の世の縁によるもので、ただの偶然ではなく、縁によって定められた必然である」という意味だそうです。

人が分かれる時に手を振ります。

 

その発端は万葉集の袖振る、という事が発端だそうです。

『茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』(茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら ああ あなたそんなに袖を振らないでよ)と歌われています。

 

この歌は「万葉集」の額田王の歌ですが、この袖振りには、当時、袖を振って魂を呼ぶ習慣があったようです。

旅に出て行く人を見送る時、手を振り、袖を振り、体の一部を振ることによって、魂振りの呪力が相手におよび、健康と無事を祈ったのだそうです。

そして、袖振りには恋しい人の魂を呼び寄せる力もあると思われていました。

お払い、払う、等もこれからきたとされています。袖のことを袂(たもと)とも言い、袂にすがる・袂を絞る・袂を分かつ等、袖にまつわる美しい表現がいくつもあるのです。

 

日本舞踊では袖を振るような仕種が多く見られる様ですが、なんとなく艶めかしく感じられます。

引き寄せられる様に感じられるのです。

求愛のポーズで人の心を引きよせる仕種なのでしょう。

 

多生とは、この世に何度も生まれ出ること、と有りますが本来の仏教の教えではないのではないでしょうか。

人生は縁あって一生に一度きりの人生ではないでしょうか。

 

だからこそ袖触れ合う、今の縁を大切に生きましょうという事の様に思えるのです。