感動日記 四一九六 真実の教え 令和六年五月一日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

人類は果たして幸せを求めて生きているのであろうか。

自己中心で欲望だらけの独裁者が一国のリーダーの国家もあります。

どうも人間は幸せなど望んでいないようにさえ思えてしまいます。

世界人類は戦争の繰り返しです。

そして人類自らを滅亡させてしまうほどの核爆弾が世界を覆っているのです。

さて人間とは己とは何者なんでしょうか。

この問いを発しなければ人間にはなれないのではないだろうか。

正に己とは何者かを教えてくれるのが仏教です。

アメリカのあるホテルでは宗教の持っていない人は人間ではないので宿泊が出来ないホテルがあるそうです。

だとするならば日本人の殆どの人がこのホテルには泊まれない事になります。

己について見極められたのが浄土教の法然上人であり更に人間の心の暗部まで見極められたのが親鸞聖人です。

歎異抄において弟子の唯円が親鸞にいくつかの質問するのに対して聖人が答えていますが人間の真実の結実の言葉が網羅されています。

この歎異抄について世界の大哲学者である西田幾多郎が「他の全ての書物が燃え尽くしても、私は歎異抄さえ残れば我慢できる」と語っています。

又、ドイツの哲学者であるハイデガーは(自己の日記より)今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異鈔を読んだ。「弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄後序)とは、何と透徹した態度だろう。

もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。

日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。

だが遅かった。自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が三十名近くも留学して弟子になった。ほかのことではない。

思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。

日本の人達は何をしているのだろう。日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。

商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。

そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。

そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。二十一世紀文明の基礎が置かれる。(中外日報 昭和38年8月6日)

さて日本宗教界においてはは、神道と仏教が多数派を占めています。

現在の日本においては、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」(日本国憲法第20条)と定められ、国教は定められていません。

また、特定の宗教を信仰していないとして自身を無宗教と認識する者が殆どです。

所で貴方は本心からその宗教を信じて暮らし生きているのですか、と問うたならば殆どの人が真からは信じてはいません。しかも迷信に振り回されて暮らしているのです。

大安吉日、仏滅などの六曜を気にして日々を過ごしているような人がいます。

又、厄年と称して加持祈祷などを施してみたり、おみくじを引いたり、お札を神としてあがめたり正に人の世は世間虚仮の繰り返しを人類は行って過ごしているのです。

しかしいずれにしても人類は真実の教えを求めて生きているのです。

さてさて人類にとって大問題である真実の教えとはどのような教えなのでしょうか。生きものにおいて、幸せとは何かを問うている生きものは人類だけです。

さてその人類が目指すべき幸せとは人類自らの自覚がなければ何の意味もない人生になってしまいます。

やはり人間は生きる意味があってこそ生きているのです。

人生は苦の娑婆と申します。

何故、苦の娑婆になってしまうのでしょうか。

その答えの教えを求めるのが

宗とする教え、いわゆる宗教なのです。

宗教統一を達成する事は人生の目的でもあります。

幸せとは何かを見極める為なのです。

 

キリスト教は何故、日本に広まらなかったのでしょうか。

精神的に成長していた日本民族には受け入れられなかったのです。

いわば未成熟な教えだったからなのです。

人間は神が創造した、という所から日本民族には受け入れられないのです。

仏教の教えとは「おまえは何者か」という問いかけの中に人生の全てが網羅されているのです。

さて人類にとってどの教えが真実の教えであるかを見極めなければ生きている意味のない人生になってしまいます。

パクパクと息をしているだけの金魚では自らが可哀想ではないでしょうか。

日本の代表的な禅僧に一休禅師がおられます。

一休はもともと禅僧でしたが、1461年(寛正二年)、一休68歳の時、師匠の肖像画を本山へ返却し、浄土真宗に改宗しています。

寛正二年六月十六日、大燈国師の頂相(肖像画)を本寺へ かへして念仏宗となる。(一休「自戒集」)

そして「禅宗をやめて、浄土真宗になりました。

今まで長年、禅宗であったのは間違いでした」という意味の漢詩まで作っています。

離却禅門最上乗 (禅門の最上乗を離却し)

更衣浄土一宗僧 (衣をあらたむ、浄土の一宗僧)

妄成如意霊山衆 (みだりに如意・霊山の衆となる。)

嘆息多年晦大燈 (嘆息す、多年、大燈をくらませしことを。)

そして20才年下の蓮如上人がつとめられる浄土真宗、親鸞聖人200回忌・報恩講に参詣し、蓮如上人にお願いして親鸞聖人の画像をもらい受けました。

それに次のような讃をしています。

 

「襟まきの あたたかそうな黒坊主 こやつの法は天下一品」(一休)

一休は却って禅浄の区別を超えた釈尊本来の仏教に還った、ということではなかったかと考えます。

そういう禅浄平等の立場を詠った一休の歌があります。

 

世をのがれ修行の道は別でなし智者愚者ともに座禅念仏

 

*加藤周一は「浄土宗への彼(一休)の関心は、自力の限界に他力の意味を感じとったからでなければならない」とし、「改宗」の意味するところは、「禅宗の枠を超えて仏教の本質に近いはずであり、おそらく仏教の枠さえも超えて、一般に宗教的なるものの核心に近いはずである」と述べています。

こうした考え方は私の考え方に比較的近いと思います。