感動日記 四一八五 アメリカの銃社会 令和六年四月二十日 | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

 

日本では田舎の農家に行くと玄関に鍵がかけられていません。

新潟の故郷に帰って親戚の家に行った時など留守であったとしても上がりこんで仏壇でお参りをさせて戴く事があります。

何故でしょうか。

泥棒がいない事を前提にしているからなのでしょう。

日本人の美徳がその様な気持にさせているのでしょう。

聖徳太子の「和を以て貴しとなす」のような教えが花開いているからなのでしょう。

米国で銃乱射が「日常茶飯事」になりつつあります。

昨年は61件の乱射事件が発生し、103人が犠牲になっています。

恐怖の繰り返しで感覚が麻痺する。

わずか十一日前にはニューヨーク州バッファローで銃乱射事件があり、人種的な動機に駆られた男がスーパーマーケットで10人を殺害。その翌日には頭に血の上った男がカリフォルニア州ラグナウッズの長老派教会で銃を乱射し、一人を殺害、五人を負傷させました。

正にアメリカ社会は銃による異常事態なのです。

テキサスは、アメリカの中でもとりわけ銃規制の緩いところだそうです。

銃砲店においては、店員が五歳の娘に、銃の撃ち方を教えているのだそうです。

アメリカではアメリカ合衆国憲法修正条項第二条の「武器を所持して携帯する権利」によって銃の所持が認められているとの事です。

またアメリカでは銃のディーラーも数多く点在し、「1994年だけでも248,000件もの銃のディーラー」があるのだという。しかも、街の闇のディーラーでは手続き不要で、現金さえあれば購入可能なのです。

このようにアメリカでは法律で銃の所持が認められ、銃を容易に入手できる環境があり、銃がアメリカ社会に溶け込んでいるのです。

次に、アメリカ人が銃を所持する理由はというと自分の身は自分で守るという「自己防衛という伝統的な考え」が生まれ、銃を護身用に持つ人が多いのです。

このような自分の身を守るのは自分であるという、自己防衛の考えを持つアメリカ人の国民性、銃所持を支持する団体の存在と影響が、銃を持つ理由の背景にあるのです。

日本人には考えられない個人主義からの国民性なのでしょう。