感動日記 四一六九 合掌とは 令和六年四月四日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

  

祈る、という言葉が有ります。

示す偏に、神に幸せを求める、という字だそうです。

祈りは自分の願いを叶えて欲しい、という欲望からのものもようです。

願いがかなえば 感謝の心が起こりますが、かなわなかったら 不平不満の心が起こります。

拝むという字は両手を並べ合わせて前につきだすという字で合掌するという事です。

そして念じるという念という字は今の心と書きます。

心の中に思いを含める、という字だそうです。

昔、わたしが生意気な学生の頃に親戚の浄土真宗の僧侶と激論を交わした事が有りました。

わたしは、信心は、形から入らなければ分からないというものでした。

一方、僧侶は信心とは心の問題である、という様な話でした。

二人共に譲ることのない激論となったのでした。

最後は心の問題であり、如何に信心が得られるかと言う事なのでしょうが、例えば寺に行って数珠を手にすることなく、合掌する事なく念仏を称えたとすれば、心からの信心が生まれにくいのではないでしょうか。

やはり形と相まって信心の心が生まれるのではないでしょうか。

   

合掌とは念には念を入れなさいという佛さまの方からの念押しのあらわれのように思えるのです。

又、合和せる、和となって世を平和ならしめる、という姿とも言えます。