感動日記 四〇七二 感動と佛の世界 令和五年一二月三〇日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

感動とは心に感じるものがあり心がうごめく、というような事ではないでしょうか。

父から聞いた話ですが祖父が「人間は弱い人間でないと駄目だ」と言っていたそうです。

 

多分その真意は、自らの弱さから人に対しての哀れみ優しさが生まれ、更に普通では考えられない佛の世界との縁が出来る、との思いからではないだろうか。

自らが弱い人間であるとの自覚はどうして生まれるのでしょうか。

自らの甘え、自己中心的な考え、思い道理にならない苛立ち、兄妹や同級生との比較、いじめ、等が原因ではないでしょうか。しかし自らがその弱さを自覚経験しなければ人生で最も大切な究極的な幸せの源である佛の世界のある事に気付かないで一生が終わってしまうのです。

感動とは不思議に気付く事ではないでしょうか。

登山の最中に見た事もない大パノラマを見た時に、この世には有りえないような摩訶不思議な絶景に驚き、心が奪われるのです。思議する事が出来ない輝きが光となって心の底に留まるのです。

それを不可思議光と言うのでしょう。

 

映画を見たり、物語を読んだりして涙の出る人と出ない、いわば感動しない人がいます。

やはり涙を流す人の方がわたしは好きになります。

涙を流す様な人は弱い人とも言えます。

逆に涙を流さない強い人は佛の世界に縁のない人ではないでしょうか。

 

自らが力強い為に佛さまの救いがいらないのです。