感動日記 四五九二 傲慢な人類 令和五年十二月 はじめに | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

世の中は混沌としています。

世界的にはロシアのウクライナ侵略戦争の長期化、テロ組織ハマスによるイスラエルへの攻撃、そして人質拿捕によってのイスラエルのガザへの侵攻による戦争、北朝鮮のミサイルの実験、中国、習近平の独裁政治の先行きの心配、そして人類の傲慢さからの累進的な、地球温暖化での自然災害など全てが人類自らが自らを苦しめている悲劇をつくっているのです。

そしてAIなどの普及による人間の疎外化からの人間の孤独化が人類を不幸へと陥れているようでもあります。

日本においては子供の不登校の急増、変死体も加えての年間十万人もの自殺者、少子高齢化による高額な税負担の必要性、医療費の負担増などが問題であり、経済も三十年間も停滞し給料の伸びもありません。

そして政治では金権政治と世襲政治の弊害からの硬直化とあきらめが蔓延しています。

そのような世界人類にとって何かが足りないのではないだろうか。

日本政治のマンネリ化から民主的な党をつくるとした神谷宗幣さん率いる参政党、そして最近、話題になっている党首、百田尚樹さんと有本香さんが日本保守党を立ち上げました。

所で常々思っているのですが何故、政治家には宗教家がいないのだろうか。

宗教家とは国民の幸せを願う専門家であり、その幸せを実現させるのが政治家の務めのはずです。政治家も大乗仏教の宗教家でなければ国民を幸せに導く事などできません。 

 

その元になる人間にとって最も幸せな宗教とはどの教えであるかを求めようともしない政治家は用なしではないでしょうか。

最近の日本保守党の百田尚樹さんにしても「「宗教」は人の心を癒し、救いを与えるものです。

私自身はどの宗教の信者でもありませんが、母が敬虔なクリスチャンなだけに宗教が人にとっていかに大切なものかは知っているつもりです。」この言葉どまりであり彼はこれといった宗教はもっていないのです。

そして有本香さんは「私は宗教については、伝統宗教であれ新興であれ、何ら否定するものではありません。宗教が政治とリンクするのも古今東西あること。ただし、我々世代にとっては、昔、大事件を起こしたオウム真理教、数々の騒動の原因となった統一教会は特別な意味を持ちます。

若い人は知らないでしょうが。」というコメント位で、やはり定まった宗教は持ってはいないようです。

いわば二人とも無宗教なのです。他国に行ってあなたの宗教は何ですか、と聞かれ、無宗教です、と答えたならば、あなたは人間ではございません、というレッテルをはられてしまいます。

何故、人は宗とする教えを求めようともしないで生きているのだろうか、何故、人間は究極の幸せを求めようとしないのでしょうか。

不思議でなりません。