感動日記 四五八三 生きている実感 令和五年十一月二十二日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

枯れ葉が舞い散り道路一面が枯れ葉の絨毯のようである。

そのような光景を眺めていると「おまえは今、生きているという事を実感として思っていますか、という声がどこかから聞こえてきたように思えたのです。

忙しいとは心が亡いという字です。

仕事でもスポーツにしても没頭している時に、俺は今生きているのだろうか、など考える事はありません。

無我夢中という言葉があります。

この時も己の存在など考えることなく己を無にして己の心の赴くままに心をそのやりたいことに集中するような事です。

この無我夢中の時には今、俺は生きているという実感は湧き出てはきません。

という事は人とは殆ど生きている実感など考える事なく生きているという事なのでしょう。

いうならば夢の中での生なのです。故に聖徳太子の「世間虚仮・唯佛是真というのでしょう。しかし生きているからにはやはり生きているという実感をあじわいたいものです。

さてこの生きているという実感とはどのようにして生まれるのでしょうか。

己を振り返ってみる事であり客観的に己を観る事なのでしょう。

これには他力より観る事しか真の実感は生まれないように思えるのです。

俳句や短歌を詠んだ時の優秀作は他力的なものほど人の心をとらえるのではないでしょうか。

人生に欲しい心の洗濯機 飯能市 新井さん 

優しさをもらい心に貯金する 久喜市 岡田さん 

悲しみはそっと隠して輪にとける 川越市 森山さん