参政党は民主主義の原点に立ち返った政党であると信じていました。
しかし多くのリーダー達が去っていくのです。
残ったのは神谷代表と民主主義の原点に立ち上がったと信じていた多くの党員達です。
此処にきて武田先生も代表に騙されたといって参政党を脱退しました。
本来ならば参加、参集すべき党是のはずが逆に去っていく党になってしまっていたのです。
代表の神谷氏の演説を聞いていても今までとは違った語り口になっていました。
民主主義は多くの意見を纏めての意見なのですが最後は誰かが決断しなければ何もできません。
その決断を私がやるのです、皆の意見を聞いていては何もできない、というような話をしているのです。というように代表自身の決断を優先しての参政党であり民主主義のふりをしているまやかしの政党と言われても反論できません。
情けないというか騙されていたというか卑怯だとさえ思ってしまいました。
党員の意見を徹底して戦わせ集約してその代表として、いうならば皆の代理人のはずなのですが、自分自らの意見を優先しての行動になってしまっているのです。
そもそも多くのリーダー達が去っていくこと自体がそもそも既に本来の参政党ではなくなってしまっているのです。
明治・大正期の僧侶で 曹洞宗管長、総持寺貫主を務められた新井 石禅老師がおられます。
その老師が縁あって春日部小渕の曹洞宗の寺である不二山浄春院に着任された事から春日部図書館に老師の十一巻の及ぶ全集がおいてあり四巻位まで読ませて戴きましたが、難しく頭がパニックになってしまいそうでした。
その書籍の最初には、どんなに偉い人であったにしても高慢になったら終わりであると徹底して述べておられました。
神谷氏も自己中心で高慢な心を如何にすべきであるか、自らの心の中を覗いてみる事の訓練が足りなかったのでしょう。
例えばイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんのトイレ掃除を実践し、社内外で掃除を通して奉仕活動しているのは有名な話です。又、カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の宗次徳二さんも、1年365日、朝4時起きで近隣清掃することを習慣にしているそうです。そのような修行をされてこられなかったのではないだろうか。