感動日記 四五七七 極楽湯 令和五年十一月十六日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

暑い夏も終わり、あれって間に冬になってしまったようです。

我が家では妻の節約心から夏からずっとシャワーでした。

わたしは風呂に入った時には歎異抄の冒頭の言葉と蓮如さんの末代無知の章などを声に出し、そしてお念仏を称える事にしています。

それがシャワーでは出来ません。

これからは風呂に入れて称えることが出来るようになる事でしょう。

しかし風呂に入り、お念仏を称えたにしても一向に歓喜が湧き出てくるような気持ちにはならないのです。

そして阿弥陀様が光を浴びせている姿も見たことがありません。

最近は至る所に極楽湯という温泉があります。

お客さんにおいても極楽温泉の極楽風呂に入り、しみじみと極楽を味わっておられる方は余りおられないのではないでしょうか。歎異抄の中で唯円が親鸞聖人に「念仏しても一向に躍り上がるような喜びが湧き上がってくるわけでもありません。

又、急いで浄土へ生まれいう気持ちにもなれないのですが、それはいったいどうしてなのでしょうか。」それに対して親鸞聖人が「念仏しても喜びが湧き上がってこないことこそ、あなたの往生が定まっている証拠なのです。

何故なら念仏を称えても喜びの心や浄土へ急いで参りたいと願う気持ちが湧いてこないのは、あなたが強い煩悩の持ち主だからであり、そのような煩悩の人を救おうとしている方こそが阿弥陀仏なのですから。

煩悩が深ければ深いほど、阿弥陀仏の慈悲が確実に注がれている、喜んで浄土に生まれたいと思えなければ思えない程、往生が定まっている!」この事実に戦慄した人間だけが他力の信心を仰ぐことができるのです、と教えられておられます。