感動日記 四五七五 宗教統一 令和五年十一月十四日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

人類は何故戦争が好きなのでしょうか。

それも人類を幸せに導こうとする者同士の宗教が戦争を行っているのです。

人間の幸せは宗教においてしか究極の幸せはありえないのだろうとは思われます。

幸せは人によってさまざまだという人がいます。

今の人類の、日本の世相もそのように思っている人が多いようです。

しかし突き詰めていくと必ず一人ひとりの幸せは各々が宗とする教えを定めているかという個人の宗教統一にかかってくるのです。

人間とはいわば迷い人です。

どんなに裕福で幸せそうな家であったとしても闇のない家庭はめったにはありません。

宗教統一という観点から吾が日本において今までにそのような討論がされた事が二度ほどありました。

一つ目は法然上人の大原問答です。

この一度だけかと思っていたのですが織田信長の時代に安土宗論というのがあったのです。

それを調べてみました。

安土宗論とは、安土城下の浄厳院で行われた浄土宗と法華宗(日蓮宗)の宗派間の論争の事で安土問答とも称されます。

信長の命により、浄土宗の僧貞安・霊誉らと、日蓮僧日珖・日諦・日雄らの間で行われました。

  

しかし、これは当時、京都を中心に勢力を伸ばし他宗と衝突を繰り返していた日蓮宗を抑制するために、織田信長が仕掛けたとされ、信長は浄土宗側に加担したともいわれています。

なお日蓮宗は敗れて処罰者を出し、以後他宗への法論を行わないことを誓わされたという事です。

日蓮宗側が負けた原因は「妙」という言葉の理解のようです。

南無妙法蓮華経また仏を念ずる者を「人中の分陀利華・白蓮華」とあり、それを中国の善導が観経疏で「人中の妙好人」と注した言葉があります。

ある方が「妙」について次のように説明しています。

 妙とは、「妙技」「妙案」のように、非常に美しいさま、すばらしいさまをいうのに用いる語。しかし、「妙な人」というと、決して美しい人でもすばらしい人でもなく、「ヘンな人」を意味し、「奇妙」「妙に静かだ」のように、現代では「普通と違っていてヘンだ」という使い方がやや優勢です。

「妙」という漢字は、女+少で表されるように、「数少ない女性」つまり、ミスコンで優勝するようなまれにみる美しさやすばらしさを表しているとも、そのまま「少女」の意味で、若い女性の美しさを表しているともいわれる。

「数少ない女性」という意味だと、「まれにみるブサイクさ」を表しているとも解釈でき、そのあたりが「妙な人」の「妙」につながっているのではないかとも思える。

 

ちなみに、仏教のお寺の世界では「妙」は若い女の意味で、「妾(めかけ)」を表す隠語だという。

日本の僧侶の、なまぐさぶりを見るにつけ、「南無妙法蓮華経」というありがたいお題目の「妙法蓮華経(法華経の主要経典)」が、「いかに偉いお坊さんでも、『少しは女に惚れんげきょう』」などと茶化されたりするのも、やむをえないと感じる。