感動日記 四五〇三  物と人類 令和五年九月二日  | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

時々、四角いプラスチックに入っている納豆を戴きます。

当然、プラの容器に入ったまま、辛子とエキスを入れてかき混ぜます。僅かな量でしょうが、プラが砕けて納豆と混ざります。それを人間が食べているのです。食べた容器もネバネバしているので水洗いしてプラのリサイクルにはせずにゴミにしてしまいます。

納豆の容器で丸い紙のものもあります。混ぜたとしても紙ですからプラが入ってはいません。

丸い容器なので混ぜるのにも簡単です。

何故、納豆の製造会社がプラを使うのでしょうか。

商品によってはガラス瓶やプラの容器に商品案内のラベルが貼られています。

リサイクルに出す場合にはラベルを剥がす必要があるのですが水に漬けておかなければ剥がせないものが多くあります。

何故、大手の会社ともあろうものが環境問題でリサイクルの事を考える事もなく唯、便利優先、利益優先のみで販売しているのでしょうか。

小さなことかもしれませんが日本全体、世界全体で考えたならば大変な環境問題なのです。

環境問題は人間の欲望との戦いでもあります。

既に便利を味わってしまった人類に石油を使わない、電気を使わないような生活など出来ません。

原発は反対です。しかし来年からはスマホは使えません。

部屋の照明はランプやローソクにして下さい、と言われてもできるはずがないのです。

   

便利性の後戻りはできないのです。だとしたならば如何にすれば現在使用している全てのものに対して一刻も早く環境破壊との関連性を調査研究し、答えを出しその結論を実行しなければ地球に住んでいられなくなるのです。

環境破壊は累進的に地球を汚染させています。

  

既に遅いかも知れませんが宗教、国家民族を越えての人類自らの大戦争なのです。

所で人間は命の無いものに対しての考え方が間違っている事が今日の環境破壊に繋がっているのではないでしょうか。

太陽はものでしょうか、月はものでしょうか、我らが暮らす地球はものでしょうか、水はものでしょうか、空気はものでしょうか、それら全てのものに対して人類は物としてしか考えなかったのです。

この宇宙にある塵の一つも無くすることが出来ないのです。

全ての万物は繋がりあって存在しているのです。