感動日記 四四九八 日本の民謡 令和五年八月二十九日 | 雨にも負けず菩薩道

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わたしは三十年位前に民謡を習った事がありました。秋田酒屋唄、相馬土搗唄、など数曲が歌えます。その他に端唄の「梅は咲いたか」「春雨」などが歌えます。

日本の民謡とは、衆の生活の中から自然発生的に生まれ、伝承されてきた音楽です。

昭和六十二年の調査では現存する民謡は、およそ五万八千曲だそうです。このように民謡歌だけでも、多くの歌があるのは日本だけではないだろうか。世界にあるはのない文化大国が日本なのです。

殆どの歌は労働の中から生活の中から生まれたので現代の労働などとはかけ離れてしまい当然、衰退してしまう運命歌なのでしょう。

例えば宮城県の米節という歌の文句「米という字を 分析すればョ 八十八度の 手がかかる お米一粒 粗末にならぬ 米は我等の 親じゃもの」「八十八度の手がかかる」という文句が素晴らしい。しかし最近ではコイバインにスーツを着て革靴での稲刈り、若者にはお米は八十八度の 手がかかる、と言ってもピンとこない当然、歌は衰退します。

民謡だけでもこのように多くの歌が生まれているとは他にも多くの日本の歌があるのです。

浄瑠璃、義太夫節、清元、常磐津、新内などがあり又、端唄、小唄、長唄、都々逸、などにも分かれています。

農民、凡夫から湧き出てくるようなエネルギーの、ほとばしりの歌が日本の民謡であり民主主義の原点のようなものです。

人間社会においては、この地べたから湧き出てくるような情熱を如何にしてまとめ上げるかが国の根幹なのです。

それを今、政治において挑戦しているのが神谷宗幣氏が率いる参政党です。

この参政党の飛躍なくして日本の政治ひいては世界人類には平和は訪れないといえるのです。