吾々の毎日は、お蔭様で出来ている。それをさも自分がつくったかのように振る舞っているのが吾々である。
本当の姿は、お陰さまの中にあるのです。
「段取り八分仕事二分」という諺があります。
仕事の段取りを整えて置く事は仕事の八割が終えたに等しいというような意味です。
表に出てきた仕事の二割は既に八割の陰の段取りの花の開花である、というような意味なのでしょう。
聖徳太子に世間虚仮・唯仏是真という言葉があります。
人間の世は嘘で仮のものである、真実は佛の世界しかない、というのです。さてこの言葉が真実であるとしたならば、人は皆、その通りだと合点して生きているのだろうか。
法句経に「人に生まるるは難く、今、生命あるは有りがたし、世に佛あるは難く、佛の教えを聞くは有難し」とあります。
人として生まれるはずがないのに生きている、佛さまに逢えるはずがないのに佛さまの話を聞かせて戴いている、有るはずの無い、あり得ない事の中に今を生きている、これは思議する事が出来ないのです。
吾々が生きている世界の真実は思議する事が出来ない世界の真っただ中を生きているのです。
どちらが表でどちらが裏やら分かりません。良寛さんの詩に「裏を見せ表を見せて散るもみじ」。
良寛さんの時世の詩とも言われます。
葉が散る短い間に、裏になり表になり、くるりくるりと自分を世にさらしながら落ちていくモミジのように、人間ありのままに生きよと教えているのだという。