感動日記 四四九五 平和と宗教統一 令和五年八月二十六日 | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

宗教とは字のごとく宗とする教えの事です。

アメリカのあるホテルでは宗教の無い人は人間ではないので泊める事は出来ません、と断るそうです。日本においては約2割位が何らかの信仰をもっていると言われています。だとしたならば80%の人は人間ではない、という事になります。

何故、宗とする教えを持たない人は人間ではないのでしょうか。それは、人間には生きる目的があるという考え方が根本にあるのではないでしょうか。目的を追求しない、目的などない、としたならば欲望だらけな動物集団が人類という事になります。人類が誕生したのは二〇万年位前だと言われています。

その長い歴史の中で人類は家族を持ち、集落で暮らし、民族の仲間たちと一緒に生活していると、どうしても家族を護り、集落の皆を護り、民族を護り、皆の役に立ちたい、人を幸せにしてやりたいという気持ちが必然的に生まれ高まってきたのではないでしょうか。

長野県の医学博士・産婦人科医の池川明先生が、赤ちゃんが母体の中にいた時の胎内記憶について研究されておられます。不思議な事に生まれる前の母体の中にいる時から、生まれてきたら世の中の役にたつような人間になりたい、と思っていたと、生まれてきた子供の多くが答えるそうです。

さて世界にはどれ位の宗教が有るのかと言うと数えるのが不可能な位あるそうです。日本だけでも宗教法人の数は約183,000団体もあるのです。皆、我が団体の教えこそが人類を幸せに導く教えであると建前上は宣言しているのです。それはあくまでも建前であってその内容は金集めや、教祖の為の団体であり人類の為とは言いながら宗教の本来の目的とは似ても似つかない団体が多いのです。しかし我々はその中の唯一の教えを選ばなければ人間とは言えない唯の動物人間になってしまいます。

世界にはイスラム原理主義と称してアフガニスタンを制圧したタリバンなどもいます。一神教原理主義ならば他の宗教を認めず、その教えこそが世界を幸せに導く教えであると信じ切っているのです。そして我々こそが世界人類の為に戦っているのだ、というのです。

故に宗教は恐ろしくもあります。さてそのような現実の社会おいて、どのようにして世界人類を平和で幸せにする事ができるのでしょうか。

日本国憲法第二十条には信教の自由の観点から、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」としています。人間として最も大切な世界人類が幸せになる教えは何か、は宗教の自由の観点から教えてはならないというのです。

そして何も教えられない若者達がオーム真理教のような団体に入ってしまうのです。

わたしは個人においても世界人類においても宗教統一が行われなければ世界が平和にはなり得ないのではないか、と思っています。坂東市の浄土真宗大谷の派の妙安寺さんの御住職さんが少年院などにまいり若者達に話をする教戒師という奉仕活動を長年にわたりなされておられ勲章を授与されました。

教戒師とはいえ色んな宗派の先生が若者達に話をされる事でしょうが、色んな教えを聞き、かえって若者達は迷いの世界に突き落とされてしまうのではないでしょうか。しかし多くの教戒師さんの教えから宗とする教えを選びなさい、と言われて選び出す事ができるのでしょうか。

逆に個人としての宗教統一を妨げる結果にもなっているかも知れません。

やはり多くの教えの中からこの教えこそが人類にとってなくてはならない教えであるという教えを選ばなければならないのです。

この宗とする教えこそが自分にとっても多くの人達にとっての教えであると信じられるまでに高まった時に信心が生まれるのです。

まずは日本において世界の平和と人類が幸せになる教えとは何なのかを基本のテーマとして独自に追求、研究するのです。日本における宗教団体一万8千以上もある中から選び出す事は容易ではありません。

秋月龍眠先生の「誤解だらけの仏教」が示されているように仏教においても現実の仏教は仏教とはかけ離れた、又、逆な教えになってしまっているのです。

宗教は一神教的な要素を孕んでいればこそ宗教ともいえます。しかし世界平和と人類の幸せの追求を最優先させ自らの宗派のエゴ性を抑え討論を重ねるのです。

聖徳太子に「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」という、先ずは人類の平和と幸福を願い話し合うのです。まずは日本において模範を作り出し見本を示し世界に向けて発表するのです。そして世界においても聖徳太子の言葉を基本にして国連において「世界宗教統一研究会」なる組織をつくり世界平和と人類の幸せとは何かを鮮明にする組織をつくるのです。

宗教とは必然的に必要なものなのです。その宗教心を世界文明の発祥の地でもあるシュメール文明(紀元前3500年頃)と関りが有ると思われる1万6千年前に開花した縄文文化を根底にもつ日本民族こそが中心となって人類の宗教統一を成し遂げようではあませんか。世界人類の宗教統一が出来ない限りは平和で幸せな世界はおとずれないのです。