感動日記 四四四〇 自力と他力  令和五年七月四日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

今年も半年が過ぎてしまいました。時は自分の思いとは関係なく過ぎてゆく、わたしの命も時と共に死に向かって進んでいる。

朝五時前に目が覚めました。夜中に少々お酒を飲んだせいか気分がすぐれない。

顔を洗いながら思ったのですが、お湯で顔を洗えている、ライトがつき明るい、石鹸が顔の垢を落としてくれている、自分のすぐれない気分とは関係なく、全てがお蔭様の世界で生かされて生きている。

そんな当たり前の世界の方が真実なのではないだろうか。そのような事を思いながらお念仏を二回程称えてみました。

すると真実の世界、他力の世界があらわれたのでしょう、気分が明るくなってきました。

ラジオで「われは海の子」という歌が流れていました。「我は海の子 白波のさわぐいそべの 松原に煙たなびく とまや(苫屋)こ

我がなつかしき 住家(すみか)なれ」

海が親であり我は子であるというのです。

方々でノウゼンカズラの花が咲いています。まるで地中のマグマが噴出したかのような真っ赤に燃えたエネルギーの塊のような花です。

まるで参政党が地下から、人民が湧き上がるようなエネルギーを感じさせる花のようにも思えます。

この花はわたしの思いとは関係なく自然に咲いています。その花をわたしが見させて戴いているのです。

他力は大自然でありその中でわたしは、俺が、俺がと自己中心で生きている、何と人間とは可哀そうな知恵しか備えていないのだろうか。 

他力の世界、お蔭様の世界の中にこそ真実が秘められているのです。その世界に、いらっしゃい、という言葉が南無阿弥陀仏というお念仏のように思えたのです。