感動日記 四四三六 佛法いそげ  令和五年七月 はじめに  | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

セキレイが海の波のような、上下のうねりを繰り返しながら飛んでいました。まるでこの世は俺の為にあるのだ、楽しくてたまらん、こんな幸せを皆にも分かって貰いたいようだ、とでも言いたいように天空を飛んでいました。

何故、上を向いて飛び一呼吸おいて下がって波のように上下を繰り返し飛んでいるのだろうか、まるで人生、苦あり楽ありとでも言いたげに飛んでいます。

しかしセキレイには楽しい、幸せだというような認識、自覚がありません。生まれてきた宿命、本能のままに飛んでいるだけなのです。幸せであるとか楽しいなどの認識がないのです。

人間には業と煩悩に汚染されながらも知恵があります。この知恵が智慧に甦った時、事件が起きるのです。知恵には知恵と智慧の二種類があります。

人間の知恵と佛の智慧です。しかし人間には智慧を呼び込む仏性が心の奥に潜んでいるのでしょう。

この佛心は佛さまとの出遭いが縁となり脱皮する事ができるのです。

吾々は自己中心の小さな人生の物語をつくって一生を終える人が殆どです。先程のセキレイと同じように生きているのです。

しかし仏縁との出遭いがあると佛さまの世界に身を投じ、任せ委ね預けてしまうと佛さまの世界に生きるようになり大きな物語の世界に生きることができるのです。

最近、動悸息切れがして階段を登るのもしんどくなり医者に行った処、心房細動と診断され薬で治療していますが治らなかった場合には九月にカテーテルによる手術をやろうと思っています。

夜、床についても脈拍が早いようで眠れない時があります。又、半年位前から股関節が具合悪いようで正座や胡坐が出来ません。

このようなダブルの病から一刻も早く人生の一大事を完成させなければならないと思っています。

蓮如上人の『聞書』には、「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ。仏法のことはいそげ、いそげと仰せられ候ふ」、とあります。

何故、急がなければならないのでしょうか。それは死んでしまえば人生の醍醐味である佛さまへの報恩感謝が出来なく幸せが訪れてはこないから生きている内に一刻も早くその事を認識し目覚めなさいとの教えではないでしょうか。

仏さまの世界を信じる処までに至りなさいという事なのでしょう。