感動日記 四四三四 一生悪人  令和五年六月二十九日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

食事と称して今日一日にどれ位の命を奪ったのだろうか。米粒一粒も命には替わりがありません。ほうれん草にしても同じです。ましてや動物や魚、貝の肉となると又、別物のように思いますが全ての生きものの命は平等のはずです。

全ての生きものは他の命を奪わなければ生きてはいけない宿命を背負って生きているのです。

幾らお祈りをしたとしても赦されるようなものではありません。しかも人間はゲロを吐くまで貪り喰う魔物のような存在です。

わたしはキリスト教を信じているから罪が無くなるとは言えません。

実は全ての人間は大罪を犯して生きているのです。これを悪人と言わずして誰を悪人というのでしょうか。

阿満利麿先生が次のように語っておられます。

「多くの宗教は悪人が善人になる、と教えますが、法然、親鸞は、悪人は悪人であることに変わりはなく、生涯、悪人であり続けるというのです。

しかしながら、そのことにたじろがないのです。その悪人の自覚を持った人間には、阿弥陀仏の慈悲が注がれる。摂取不捨の利益が与えられるのです。悪人という認識は、阿弥陀仏に出遭う為なのです。なぜならば悪人は阿弥陀仏に出遭う事によって佛になるという、大きな転換を手にすることができます。」

実は人間には権利などというものは存在しないと思えるのです。権利を主張する人は傲慢であり人間ではないように思えるのです。