感動日記 四四三二 考えない社会  令和五年六月二十七日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

納豆の容器は何故、プラスチックなのだろうか。

何故、瓶などの貼ってある広告ラベルは暫く水にしたしておかないと取れない位に強度な接着剤を使わなければならないのだろうか。

何故、最近の人は体が大きくなってきていて体を洗うのに昔と同じ長さのタオルが主流なのだろうか。 

教育も教えを育むという言葉ですが、その教えとはどのような教えが、人間が生きていく上で最も大切な教えなのかを教えるのが本来の教育のはずです。その肝心な教えを求めようともせず、只、欲望達成の為の教育になっているのではないだろうか。

教育は心の教育でなければならないと思うのです。

政治家も本来は国民の幸せを願い護り導く施策を追求する為の政治でなければなりません。それが自民党はじめ野党の政治屋が自分の欲望だけの輩になってしまっています。唯一、まだ小さな政党ですが神谷宗幣率いる参政党が脚光を浴びています。何故なのでしょうか。  

地涌(湧)菩薩(じゆのぼさつ)という佛さまがおられます。

釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たちの事です。眠っている大地から湧き出てくるような、いわば民主主義の根幹である民が国家、社会をつくろうという基本を大切にする政党だからです。今までにそのような政党はありませんでした。

リンカーンの有名な言葉に「人民の、人民による人民のための政治」を目指しているのです。